2019 年 5 月 19 日 のアーカイブ

澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の理想

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

日本資本主義の父と言われる渋沢。
彼が目指していたのは
「道徳経済合一」というしくみだ。

国や社会のためになる道徳と
しっかりお金を稼ぐという経済が
どちらも実現されている状態。
その理想を貫いて渋沢は
500社もの企業の立ち上げにかかわった。

道徳と経済。
ついお金ばかり追いかけてしまう企業が
まだまだ多い現代日本。
偉大な父の理想のように
会社が果たすべき道徳の大切さに
思いをはせてみようじゃないか。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の描いた未来

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

日本資本主義の父と言われ
500社以上の企業の
設立にかかわった渋沢。
日本赤十字社や東京慈恵会、
一橋大学などの設立にも尽力した。

渋沢が大切にしていたのは
「論語」と「算盤」。
道徳と経済の両立。
いまでこそSDGsという言葉が生まれ
企業による社会課題解決が問われているが
まさにこれこそはるか昔に
渋沢が目指していた姿なのだ。

実はノーベル平和賞にも
二度も候補に選ばれている渋沢栄一。
海外の経済人からも
その実績と人間性は高く評価されている
日本経済の偉大な父である。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の温情

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

明治25年。
53歳の時に渋沢は暴漢に襲われた。
幸いにして軽いけがで済んだが暴漢は逮捕された。
彼らは金で雇われただけと
裁判官に寛大な処置を願った渋沢。
しかし暴漢は有罪となり刑に服した。

後に出獄してからその男が
生活に困っているという話を聞くと
渋沢は商売の資本にでもなればと
いくばくかの金を送り届けた。
男は恐縮して渋沢に
礼を言いにやってきたという。

日本資本主義の父と言われ
500社以上の企業の設立にかかわった渋沢。
彼が立ち上げた企業の多くが
今もなお活動を続けているのは
渋沢が名もなき民の心を
誰よりもわかっていたからかもしれない。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢のライバル

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

明治11年8月、
隅田川の屋形船に渋沢を誘ったのは
財界の大物だった三菱の創始者、岩崎弥太郎。
その夜岩崎は渋沢に、
一緒に手を組まないかと持ちかけたが
渋沢は三菱が会社と言いながら岩崎家の家業であり
利益を独占していたことを批判したのだ。

この後2人はビジネスという戦場で
争いをくりひろげるライバルとなる。
渋沢は三菱のような巨大財閥をつくらず
道徳と経済の両立を人生の理想とした。

道徳と経済の両立。
それができていると言いきれる企業は
今、世界にどのくらいあるだろう。

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田中真輝 19年5月19日放送



津田梅子の志

五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。

1871年、岩倉具視をリーダーに欧米先進国視察のため
結成された岩倉使節団に満6歳という若さで参加。
アメリカで初等、中等教育を受け、11年後に帰国。
その後、伊藤博文の勧めで華族女学校で教鞭をとる一方、
ヘレン・ケラーを訪問したり、ナイチンゲールと会見するなど
精力的に活躍。
1900年、津田梅子は、国際的教養のある女性の育成を目指し、
「女子英学塾」を創設する。
開校の式辞で彼女は、学生に向けて、英語の専門家になろうと
するだけではなく、まったき婦人、すなわち、all-round womenに
なるよう心掛けねばならないと語ったという。

彼女が作ったその学校は「津田塾大学」と名を変えて
100年以上経った今も、彼女の志を受け継いでいる。

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田中真輝 19年5月19日放送



梅の花

五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。

日本初の高等女子教育を目指して津田が
創設した「女子英学塾」、後の「津田塾大学」だったが、
彼女が現場への介入を嫌って外部からの資金援助をほとんど
断ったため、その経営は困難を極めた。

しかし、津田は実学重視の教育方針を貫き通す。
授業中の津田は、突進するように動き回り、
机をバンバンと叩きながら討論し、また
ときには豪快にハハハと大笑いすることも
あったという。

第1期の卒業生8名は、卒業にあたって
津田にある歌を送っている。

雪霜のうちに さきがけ匂ふ 梅の花の そのみさをこそ いとゆかしけれ  

津田梅子の凛とした美しさを称えた歌には、
深い感謝の気持ちが宿っている。

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田中真輝 19年5月19日放送



ドンネル先生

千円札の新しい顔になるのは
近代医学の礎を築いた細菌学者、北里柴三郎。

北里は、「医者の使命は病気の予防にある」と確信し、
ドイツに留学。そこで、破傷風菌の純粋培養に成功し、
さらに、抗体を使った血清療法を確立する。

帰国後は、伝染病予防の必要性を説き、
福沢諭吉の支援を得て、日本初の伝染病研究所を設立。
野口英世らの研究者を育てるなど、
まさに日本近代医学の父と呼ぶに相応しい
功績を残している。

門下生からは、「ドンネル先生」つまり「かみなり先生」
と呼ばれた北里だったが、福沢の恩に報いるため
慶応義塾大学医学部を設立、無給で初代医学部長を
務めるなど、情に厚い人物でもあった。

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田中真輝 19年5月19日放送



悪魔退治

千円札の新しい顔になるのは
近代医学の礎を築いた細菌学者、北里柴三郎。

黒死病と呼ばれ、世界中で恐れられたペストの
日本でのアウトブレイクを防いだのも北里だと
言われていることをご存じだろうか。

1894年、北里はペストが大流行していた香港の地に
赴きペスト菌を発見。帰国後、伝染病予防法を
制定に尽力し、自ら指揮を取って、日本でも流行し
始めたペストを収束に導いた。

それまで悪魔の仕業と見なされていたペストを
科学の力で打ち負かす。それはまさに
近代日本の幕開けを象徴する出来事に他ならない。

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