2019 年 5 月 25 日 のアーカイブ

古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

元禄十一年。
江戸の絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)が島流しに遭った。

行き先は三宅島。
その罪状は諸説あって定まらない。

時の権力者、柳沢吉保が
おのれの出世のために、
自分の娘を公方様に差し出した。
そんな醜聞を揶揄する絵を描いたのが
致命的だったんだ。

いやいや、
生類憐れみの令で禁じられていた
魚釣りをしたせいさ。

当世の人気絵師を襲った過酷な運命。
口さがない江戸っ子の噂が噂を呼んだ。

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古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

英一蝶という絵師がいた。
四十七歳で三宅島へ島流しになった。

島へ送られるその日、
江戸霊岸島に大勢の見送りが詰めかけるなか、
一蝶はこんな約束をする。

「島に行ったら、
 干物をつくって生計を立てる。
 その魚のエラに必ず松の葉を入れておく。
 松の葉の入った干物を見つけたら、
 わたしが生きている証しと思ってほしい」

三年後、
じっさいに松の葉が入った干物を
見つけた男がいる。
松尾芭蕉の一番弟子、宝井其角。
英一蝶の、無二の親友だった。

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古居利康 19年5月25日放送


Norio.NAKAYAMA
英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭った。

島にいても絵をあきらめなかった。

江戸の友人たちに
絵の具の仕送りを頼んだらしい。
流人であっても、手紙や物資のやりとりは
許されたのだろうか。
一蝶は絵を江戸に送った。
その絵は珍重され、高値で取引された。

島の人にも観音様や天神様の絵を進呈した。
この時代の英一蝶の作品は
のちに「島一蝶(しまいっちょう)」と呼ばれるようになる。

島一蝶の作品で財を成したのか、
英一蝶は罪人の身でありながら島の娘と
所帯をもって、子どもを二人ももうけた。

江戸の人気絵師は、
ころんでもただでは起きない、
したたかな男だった。

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古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶が島流しに遭ったのは、
元禄十一年。

その三年後、浅野内匠頭が
江戸城殿中で吉良上野介に斬りかかる。
その次の次の年、浅野の元家臣四十七名が
吉良邸を襲撃し、主君の遺恨を晴らす。

世に言う、赤穂浪士の討ち入り。
三宅島にもその知らせは届いていただろうか。
英一蝶、齢、五十をとおに越えていた。

その後、徳川綱吉が亡くなる。
将軍逝去の恩赦で無罪放免となり、
英一蝶は江戸に帰れることになった。

島には十二年いた。
江戸帰還の二年前、親友其角が亡くなっていた。
酒好きで、豪放磊落で、憎めない男だった。
二度といっしょに遊べないことが悔しかった。

帰りの船のなかで一頭の蝶を見つける。
これは自分だ。自分は生まれ変わって
生きなおすのだ。

そう思った男は、古い名を捨て、
「英一蝶」の名をはじめて名乗った。
五十八歳になっていた。

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古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭って十二年後、
将軍逝去の恩赦で江戸帰還をゆるされる。

不在の十二年を埋めるかのように。
精力的に絵を描いた。

この時期の作品で、
『雨宿り図屏風』という絵がある。
降り出した雨を避けて、大きな屋敷の
庇の下に人々があわてて駆け寄る図。
侍。あきんど。お坊さん。遊女。
老人も子どもも野良犬もいる。
夕立は身分の上下に関係なく、
平等に降ってくる・・。

十七の時、狩野派に入門しながら、
すぐに破門された英一蝶。
市井の絵師として、人間の愛らしさや
滑稽さを描いてきた。

江戸に帰って十五年後。
残りの人生をめいっぱい使いきって、
英一蝶死す。七十三歳だった。

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