
ハワード・カーター
世紀の発見といわれた
エジプト・ツタンカーメン王の墓。
考古学者ハワード・カーターの
30年におよぶ執念だった。
ついに、ついに。
ファラオのマスク、動物たち、像。
どこもかしこも黄金だった。
しかし、なかでも目を引いたものがあった。
王の棺にそっと置かれた、
ヤグルマソウのからからに乾いた花束。
どの輝きよりも、
その枯れた花のほうが美しいと、
私は思いました。
花が教えてくれたのです。
3000年といっても、
それはわずかな時間に過ぎないのだと…。

山田風太郎
いかに死ぬか。
作家・山田風太郎は、
『人間臨終図鑑』で、
古今東西923名人の臨終の様をまとめた。
死へ思い巡らし、
結論として愛した言葉は、
いまわの際に言うべき一大事はなし。
1996年、風太郎は突然倒れ、
慌てて駆け寄った妻へのひと言は、
死んだ。
実際に亡くなったのは、その5年後で、
愛した言葉どおり、
ひと言も残さず、
風のように世を去ったという。

ウィリアム・ランドルフ・ハースト
20世紀初めのアメリカに
君臨した新聞王、
ウィリアム・ランドルフ・ハースト。
戦争や殺人事件、スキャンダルな記事で
部数を伸ばし、
数十のマスコミを牛耳った。
その影響力は大統領さえ上回るといわれた。
倫理や道徳は、儲からない。
イエロージャーナリズムが富を生む。
ハーストの横暴ぶりは、
映画『市民ケーン』のモデルとなった。
幸か不幸か映画は傑作となり、
後世まで伝わることに。
ハースト家が背負う十字架として。

パトリシア・ハースト
1974年、アメリカ屈指の大富豪である
ハースト家の令嬢、
パトリシアが誘拐された。
過激派の犯行声明があり、
連日連夜、報道されるなか、
事件はあまりにも意外な展開に。
あらたに銀行襲撃事件が発生し、
犯人一味のなかにマシンガンをもった
パトリシア本人がいたのだ。
私はこれ以上、
ハースト家の一員として生きられない。
私はここで戦う。
謎めいた言葉を残して
彼女は逃亡する。
追いかけてきたのは、
皮肉にもハースト家の祖父が造りあげた
イエロージャーナリズムだった。
祖父譲りの横暴さで、彼女は吐き捨てる。
あなたたちジャーナリストのせいで
刑務所に入ったのよ。
この事件は、もちろん映画になった。
ただ、幸か不幸か、祖父がモデルの
『市民ケーン』のような傑作ではないらしい。

ボブ・ウィーランド
歩いて、
アメリカ大陸を横断できるか。
やろうと思えば何だってできるんだ。
そう覚悟した男には、両足がなかった。
ベトナム戦争で地雷を踏んだのだ。
腕で歩く。
それが、ボブ・ウィーランドのやり方。
1982年9月、ロサンゼルスを出発。
5000キロの挑戦は、
one step at a time
一歩ずつあせらないで。
そして3年8か月後、ついにワシントンへ。
ゴール地点はベトナムで戦死した
5万8000人の兵士の名前が刻まれた
記念碑の前であった。

山野忠彦
樹木を癒す人がいた。
どこが痛いんだ。
いま、治してやるからな。
樹木の医者、「樹医」。
山野忠彦
日本全国の
樹齢百年、千年の老木、巨木を
甦らせてきた。
忠彦は98歳で永眠したが、
彼が治療した樹は
あと百年、
あと千年、
生きてゆく。

三浦綾子
昭和39年、ある新聞社が
新聞小説を広く募集した。
賞金は当時としては破格の1000万円。
プロの作家の応募作もあるなか、
1等を射止めたのは、
北海道旭川で雑貨店を営む、
42歳の主婦だった。
女流作家・三浦綾子は
こうして衝撃的デビューを果たした。
受賞作『氷点』のなかで、こう記している。
信頼し合ったことさえ、
悲劇になることもある。
背後に、死の意味を孕む言葉。
それは三浦自身が経験した
戦争体験や長年の闘病生活から得た
達観であるかもしれない。
しかし、こんな言葉も残している。
苦難の中にこそ、人生は豊かなのです。
人に勇気を与える文学を書く。
その決意で多くの本を出し、
大人気作家になっていったのだった。
名雪祐平
名雪祐平 10年07月10日放送
名雪祐平 10年05月30日放送
山田無文
人生の目的は
人格の完成にある、という。
ただ、
昭和の禅の名僧、山田無文は
こう続ける。
その人格は既に生まれた時に
完成されている。
すると、修行とは
生まれたままの姿に近づくこと。
赤ん坊は、無心で
南無阿弥陀仏
と、泣いているのだろうか。
寺山修司
僕は物語を中断してしまわないと気が済まない。
完結してしまうと観客の中に余白が残されない。
常に物語は半分作って、
あとの半分は観客が作って一つの世界になっていく。
そう。
寺山修司は見事なまでの劇作家だった。
47歳で世を去り、わたしたちは観客のまま
余白を生きている。
いつまでも完結できない物語のなかで。
いまこそ寺山に批評して欲しくて
たまらない。
劇のような、いまの世を、鋭く。
藤間紫
日本舞踊家、藤間紫。
12歳で日本舞踊藤間流に入門。
天才少女と呼ばれた。
21歳には名取となり、
24歳年上の師匠と結婚。
40歳を過ぎ、
16歳年下の歌舞伎俳優・市川猿之助と
暮らし始める。
二人が正式に結婚できたのは、
紫76歳、猿之助60歳の時だった。
インタビューで
紫が言った言葉がある。
それは人生後半の言葉だが、
生涯を精いっぱいに生きてきた彼女なら、
何歳であっても、
この言葉を美しく言っただろう。
女の幸せは今なんです。
市川猿之助
12歳の少年の初恋は、
28歳の人妻だった。
歌舞伎の市川猿之助と、
日本舞踊家の藤間紫。
大人になった猿之助は
別の女性と結婚するが、
心には紫があり、極秘に交際を始める。
やがて30年以上が過ぎ、
それぞれの離婚を経て、
やっと、やっと、二人は結婚する。
夫60歳、妻76歳。
9年後、妻が85歳で亡くなった時、
しみじみと猿之助は語った。
紫さんは少女のようでした。
初恋の人は、
ずっと初恋の人であり続けたに
ちがいない。
グレダ・ガルボ
もの凄い美貌の女優が
魅力的に笑う。
世界中の男たちは、イチコロ。
けれど、
「笑わない女優」と呼ばれながら
ミステリアスな美貌で人気をあつめた
伝説的女優がいた。
グレダ・ガルボ
彼女が20数本目の映画で、
始めて笑顔を見せたとき、
こんなキャッチフレーズが採用された。
「ガルボが笑う」
しかし、その後ほどなく36歳で引退し、
84歳で亡くなるまで
マスコミを嫌い、一切の姿を現さず、
公の場から消えた。
笑顔も、キャッチフレーズも、何も残さずに。
山田太一
「うん」
山田太一脚本のドラマで、
印象的に使われる、相づち。
「うん」
迷いや抵抗も含みながら、
でも、相手との関係をつくろうと
声を出しているようにも聞こえる。
「うん」
短い間だれかに夢中になれるということは
だれにでもある。しかし、
長くひとりの人間を愛しつづけるということは、
ほっといてできることではない。
山田のこんな言葉が響くのは、
それがあたりまえでなくなったからだろうか。
とりあえず、相づちから始めるのも
きっといい。そう思う。
前畑秀子 浅田真央
日本女性初のオリンピック金メダリスト、
前畑秀子。
ベルリン大会
水泳女子200m平泳ぎ。
日本を熱狂させた「前畑がんばれ!」
しかしその4年前のロサンゼルス大会で
前畑が同種目で
銀メダルは獲得していたことは
今ではほとんど知られていない。
2014年オリンピックはロシア・ソチ大会。
浅田真央の記憶を刻みたい。
彼女の素晴らしい功績を
100年後に人々にも伝えたいから。
最期の言葉
アイスクリームを食べたい。
国木田独歩
なにか飲物をくれ。
ピカソ
もっとシャンパンを飲んでおけばよかった。
ケインズ
最期の言葉は、これでいいのだと思う。
偉い人も、そうでもない人も
名言を残さなくていい。
これまで、たくさん良い言葉を
もらったのだから。
名雪祐平 10年04月25日放送
尾崎豊
尾崎豊の歌なんて、
好きじゃない。
そんな人もいるかもしれない。
でも。
好きでも、嫌いでも、
人の意識に
いまも棲み続けている。
彼の歌がもつ魔力は、
たしかにある。
生きていれば今年45歳。
この時代を
どんな歌にしただろう。
4月25日は、
尾崎豊の命日。
二葉亭四迷 1
文学を志すことを
反対した父親から、
「くたばってしめえ」
と罵られた。
そこで、若者は
自分のペンネームを
くたばってしめえ、
「二葉亭四迷」にしたという。
当時、画期的だった
話し言葉を用いて
処女小説『浮雲』を
書き始めた。
無名の24歳が、
ひょいっと、
近代文学の扉を開けたように
思えた。
二葉亭四迷 2
近代文学を一新させた
小説『浮雲』が
未完のまま、挫折。
作家、二葉亭四迷は
次にロシア文学の翻訳にとりかかる。
ツルゲーネフの小説では、
「愛しています」に変わる
すばらしい名訳を残した。
「死んでもいいわ」
しかし、文学のリアリティを
どこかで信じ切っていなかったのか。
官僚に就職してしまう。
貧しい人々の救済を考え、
そして、貧困の町で
出会った娼婦と結婚。
明治時代の官僚が
周囲のモラルとは関係なく、
娼婦を妻にすること。
そのリアリティこそが
彼にとっての
文学だったのだろうか。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
画家、
彫刻家、
建築家、
土木設計者、
解剖学者、
天文学者、
それらを一人でやってのけた、
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ほんとうに彼は
一人だったのだろうか。
10人くらい、いたのでは。
そう疑ってしまうほど、
凄すぎる。
アル・パチーノ
この男こそ。
『ゴッドファーザー』の
コッポラ監督が惚れ込んだのが、
イタリア系の小さな身体の俳優、
アル・パチーノだった。
映画は記録的な大ヒットとなる。
ところが、けっきょく、
彼にはギャラが
手に入らなかったという。
『ゴッドファーザー』出演によって、
別の映画の契約が破棄になり、
ほとんどを違約金にとられてしまった。
不器用な男の、不器用な結末。
でも、
1本の映画でスターの座を射止めた。
この男こそ。
こんどは、世界中の人々が惚れ込んだのだ。
4月25日。
アル・パチーノの誕生日。
70歳になり、
次はどんな演技を観せてくれるだろう。
スタール夫人
フランスの批評家、
スタール夫人。
ナポレオンを
目の敵にするほど、
激しい野心があったという。
そんな彼女が結婚について
こう語った。
私は男でなくて幸せだ。
もし男だったら、
女と結婚しなければならないと
思うから。
さすが優れた批評家。
自己批評もできていた。
マルキ・ド・サド
人生の後半のほとんどを
牢獄と精神病院にいながら、
作品を書き続けた
サド侯爵。
サディズムとは何か。
18世紀にあなたが示した
肉体的快楽の謎を
人間たちは
今夜も解こうとしている。
名雪祐平 10年03月28日放送
良寛 1
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛和尚の句はいつも、
せつない。
せつない、とはもともと
人や物を大切に思うことだという。
人は弱い。人は寂しい。
それが当然で
せつない、大切、と思えるかどうか。
おまえ、威張ったりしていないか。
良寛和尚の声が
聴こえる気がする。
良寛 2
あっけらかんと
良寛和尚は生きた。
酒も、煙草もたしなみ、
70歳になって、30歳の尼僧と
相思相愛にもなった。
本音で生きた良寛。
その辞世の句。
うらをみせおもてをみせて 散るもみじ
ただ無心に、
物事の表も裏もなく、自然に任せきる境地。
素朴かつ劇的。
まさしく良寛の真骨頂。
淀川長治
映画館で映画が終わったのに、
まだ座っている老人がいる。
終わりましたよと
声をかけると、死んでいた。
それが理想の死だと
映画評論家・淀川長治は語ったという。
淀川が32年間、解説をつづけた
『日曜洋画劇場』。
その収録直後に倒れたことは、
理想に近かったのだろうか。
すくなくとも。
交流があった
日本や世界の映画人が
一人の映画評論家の人生を讃えた。
ベルナルド・ベルトルッチ
アラン・ドロン
ブラッド・ピット
アーノルド・シュワルツェネッガー
・・・。
89歳まで、映画に没頭した
素晴らしい人生だった。
マルセル・デュシャン 1
芸術を疑え。
マルセル・デュシャンが、
発表したのは、
何でもない日用品のオブジェだった。
自転車の車輪
雪かきシャベル
櫛
タイプライターのカバー
まったく新しい衝撃が走った。
これは芸術なのか。
人々は何もわからず、
ただデュシャンだけが
スキャンダラスになっていく。
マルセル・デュシャン 2
20世紀の美術界を
ひっくり返してしまった男。
マルセル・デュシャン
1917年、決定的な事件を仕掛ける。
男性用小便器に
『泉』というタイトルをつけ、
別の署名で出品したのだ。
もはや、作ったのが誰だろうと
問題ではないのだ。
ひとつの日用品を選び、
その物体のための新しい考えを作り出したことが
重要なのだと。
……だれにも、理解されなかった。
けれど、デュシャンは
人間の生き方を見分ける目をもとうとした。
ステレオタイプな評判を拒否しようとした。
芸術を疑ったデュシャンこそ、
芸術の本質を生きたのかもしれない。
ダイアナ・ロス
1997年7月、
NHKホールでライブ直前だった
ダイアナ・ロスに、
最悪の知らせがあった。
弟夫婦が殺された。
でも、彼女は観客には何も明かさず
プロとしてステージに立った。
さすがに途中、涙で歌声を詰まらせた。
その時、事情を知らない観客から
静かな合唱が始まったのだ。
『イフ・ホールド・オン・トゥゲザー』
その温かさに励まされて、また涙が出てしまった。
高杉晋作
長州の志士、高杉晋作。
幕末に
こんな句を詠んだ。
おもしろきこともなき世を おもしろく
物事がうまくいかなくても
他人のせいにせず、
まず自分からおもしろく。
さあ、春です。
こんな、
おもしろきこともなき世を おもしろく!
名雪祐平 10年02月28日放送
ショパン『帰る心臓』
ショパンは、パリで、死んだ。
彼の希望にそって、
心臓だけは
祖国ポーランドに戻った。
帰ることが
かなわなかった故郷へ。
せめてハートだけ、心臓だけは
帰りたかったのか。
Bon anniversaire!
あす3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。
ショパン『祖国の音楽』
ポロネーズ ト短調。
この曲をショパンが作曲したのは、
なんと7歳の時だった。
ポロネーズとは、
祖国ポーランドに伝わる
民族舞曲。
ハタチで祖国を離れた後も
生涯にわたって
ポロネーズを作曲したショパン。
神経質といわれた男が
無条件に愛したポーランド。
祖国とは、親なのかもしれない。
ショパン『天才の初恋』
ワルシャワ音楽院で
10代のショパンは、
音楽の天才と絶賛された。
けれど、
どんな天才にも初恋はせつない。
僕は不幸なことに、
僕の理想を発見したようだ。
発見されたのは、
同じ音楽院で声楽を学ぶ
コンスタンチア・グワトコフスカ。
彼女がショパンに
振り向くことはなかった。
なぜなら、ショパンは
想いを告白するどころか、話しかけることさえ
できなかったのだ。
強烈なナイーヴさが生んだ曲。
♪ピアノ協奏曲 へ短調 第2楽章
片想いは、傑作の素。
ショパン『不幸な幸福』
25歳のショパンは、
16歳の貴族の娘マリアに
心を奪われた。
彼はプロポーズし、
彼女は受け入れたが。
この婚約を、
両親、胸の病、身分の差が
じゃまをした。
不幸が名作を生むのなら。
芸術家にとって、
不幸は不幸なのだろうか。
幸福は幸福なのだろうか。
ショパン『奔放と純情と』
なんて
感じの悪い女なんだろう。
そう思ったら、もう恋の兆候。
奔放な、小説家ジョルジュ・サンド。
純情な、作曲家ショパン。
正反対のN極とS極が
強烈な磁力で引かれ合うように。
二人は強く結びついた。
関係が破局するまで
8年間も続くなど、だれが予想しただろう。
その8年間に、
音楽史に残る傑作が次々と生まれた。
ピアノ音楽史上の傑作とされる、
ピアノソナタ第3番もそう。
♪ピアノソナタ第3番
こんな曲を男に書かせるなんて、
なんて
いい女なんだろう。
ショパン『最期の美女』
ショパンの最期を
看取った
絶世の美女がいる。
ポーランド貴族出身の
ポトツカ夫人。
ショパンとは、
古くから交友があり、
小犬のワルツを贈られてもいた。
しかし、客観的事実が
ほとんどわかっていないため、
二人が恋人だったかも、謎。
永遠の、二人だけの秘めた恋、
なのかもしれない。
ショパン『登竜門』
5年に1度の
ショパン国際ピアノコンクールが
今年開催される。
どんな天才が世界中から
あつまるだろうか。
日本人初の優勝者は出るだろうか。
Bon anniversaire!
今年3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。





















