澁江俊一 18年7月29日放送

180729-05

江戸っ子の花好き

公園という言葉は
明治以降のものだけれど
江戸時代にもすでに公園はあった。
寺や神社の境内が、それである。
当時最高のアトラクションは花だった。
梅や桜やツツジや椿、春と秋の七草など
様々な花を見に江戸っ子たちは繰り出した。

川の土手に桜を植えたのも
大勢の江戸っ子が見にくることで
土手が踏み固められ、強い堤防になるためだった。

我々現代人よりはるかに、
季節を楽しむことが上手な江戸っ子たち。

江戸時代に日本にやってきた
スコットランドのプラントハンター、
ロバート・フォーチュンはこう語っている。

 日本人は、庶民でも生来の花好きである。
 花を愛することが、
 文化的レベルの高さの証明だとすれば、
 日本の庶民は我が国と比べると、
 ずっと勝っているとみえる。

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奥村広乃 18年7月29日放送

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ばなな公園

バナナの皮で滑って転ぶ。
そんな古典ギャグがある。
実は100年以上前から
このギャグはあると言われている。

東京には、
そんなバナナを滑れる場所がある。
練馬区立ばなな公園。
ここに、バナナの形をした滑り台があるのだ。

滑り台の他にも、
バナナのベンチ、
バナナにまたがって遊べるバネのついた遊具もある。

鮮やかな黄色。
独特なフォルム。
不思議な魅力があるバナナ。
あなたも一つ、滑ってみてはいかがだろうか。

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礒部建多 18年7月29日放送

180729-07
kazutan3@YCC
伝説の公園

かながわ景勝50選にも選ばれる、稲村ガ崎公園。
海際の崖の上にあり、そこからの景色は、
江ノ島と富士山を一望できることでも有名である。
晩夏の朝陽に染め上げられた赤富士は、
息を飲むほどに美しい。

またここは、
鎌倉幕府倒幕の起点となった場所としても有名である。
四方を山と海に囲まれた、天然の要塞であった鎌倉を、
新田義貞はこの場所から攻め入ったのだ。

伝説によれば、
荒々しく波が打ち寄せていた岸に、
義貞が太刀を海に投げ入れたことで、
たちまち潮が引いたため、
一気に浜から進軍できたと言われている。

絶景を眺めながら、歴史について想いを巡らせる。
それは、最も鎌倉らしい、
贅沢な時間の過ごし方である。

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礒部建多 18年7月29日放送

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majiedqasem
水中に沈む公園

公園と言えば、普通は地上にあるもののはず。
しかし、オーストリアのとある公園は、
夏場になると、水中に沈んでしまうのだ。

それはグリーンレイクと呼ばれる、
雪解け水が流れ込むことで発生する、
夏季だけの水中公園である。

ベンチも、遊歩道も、木々も、公園の姿そのままに沈んでいる。
その光景は幻想的であり、
草木の緑が陽の光を反射して、
エメラルドグリーンの輝きを放つ。

水深は深いところで12mにも達し、
水温は10度にも達しないほど冷たい。
ダイバーたちはウェットスーツなどの防寒をし、
水中公園で憩いのひと時を過ごす。

日本の猛暑に疲れたら、
こんな避暑地に旅をするのはどうだろう。

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村山覚 18年7月28日放送

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海の印象 クロード・モネ

印象派の画家、クロード・モネは
フランスの港町ルアーブルで育った。
30歳を過ぎた頃、故郷に帰って海を描いた。
タイトルは『印象、日の出』。

きらめく海、朝もやに包まれた空、
昇ったばかりの真っ赤な太陽。
当時の美術界では、ものや人物を
正確に再現した絵が良しとされた。
筆の跡が目立ち、舟も水平線もぼやけた
モネの絵は“印象で書きなぐった落書き”と
揶揄された。

モネは86歳で亡くなるまで、
この世界の印象を明るい色彩で描きつづけた。
刻一刻と変化する海や空、人間や植物が
輝く瞬間をキャンバスに閉じ込めた。

100年以上前のモネの気持ちと、
スマートフォンで海や空を撮影する
私たちの気持ちは、
きっとどこかで繋がっている。

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仲澤南 18年7月28日放送

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海の工場 間宮

“海に浮かぶお菓子工場”を知っているだろうか。
その名は間宮。
海軍の兵士たちに食糧を補給するために造られた船だ。
1920年代から40年代、海の上の戦場までお菓子を届けた。

間宮は、ただ運搬するだけの船ではない。
“お菓子工場”という呼び名の通り、
船内に製造設備があった。そこにはなんと
60人もの菓子職人が乗り込んでいたらしい。

毎日の食事もままならない戦場に
ひとときの甘い幸せをもたらした間宮。
その姿が見えようものなら、
戦いに疲れた兵士たちは大騒ぎだった。

戦争が激化した1944年、間宮はマニラ沖で沈没。
その40年後、有志の手で慰霊碑が建てられた。
“海に浮かぶお菓子工場”は
その姿が海に沈んだ後も、人の心に残り続けている。

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仲澤南 18年7月28日放送

180728-03

海の舟 勝海舟

幕末から明治にかけて活躍した政治家、勝海舟。
日本が開国を迫られた時代に
世界と対等に渡り合うために力を尽くしたことで知られる。
1860年、軍艦「咸臨丸」による渡米も、彼の功績のひとつ。
幕府としては初めての、太平洋横断だった。

勝は、艦長として乗り込んだ。
しかし、およそ40日間に渡る航海のあいだ、
自分の部屋にこもりきりだったという。
理由は船酔い。さらに、伝染病の疑いまであったそうだ。

長い航海の間、衛生管理が行き届かず、
咸臨丸で伝染病が流行してしまった。
海の上では、逃げ場もない。
艦長の頼りない姿に、共に渡米した福澤諭吉は
ひどく呆れていたという。

海の舟と書き、海舟。
そう自ら名乗った男が、海の舟に酔ってしまうとは、、、
時代の荒波を乗り越えた幕末の英雄も、
本物の波は苦手だったらしい。

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村山覚 18年7月28日放送

180728-04
Photo by Masaaki Komori on Unsplash
海の底へ リンゴ・スター

イギリス北西部の港町で生まれ育った
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ。
言わずと知れた、ザ・ビートルズ。
彼らは海にまつわる曲を何曲か残している。

もっとも有名な曲は「Yellow Submarine」だろう。
リンゴ・スターによる優しくほのぼのとした歌声が
印象的だ。しかし今日ご紹介したいのは
リンゴが作詞作曲を手がけた「Octopus’s Garden」。
ユニークな歌詞と親しみやすいメロディで描かれる
“タコの庭”は、地上のどんな庭よりもハッピーで
居心地が良さそうだ。

解散直前の数年間、4人の仲はギクシャクしていた。
リンゴは一番温厚な性格だったそうだが、
ドラム演奏にケチをつけられて「やめてやる!」と
スタジオから出ていったことも。
そんな悩ましい時期、地中海でバカンスをしていたら
タコ料理が出てきた。“タコは小石や光るものを集めて
海底に庭を作る習性がある”と聞いた彼は、
Octopus’s Gardenに君と行きたいという曲を書いた。

人間関係に悩んだ時、海でひと潜りしてみれば
タコが出迎えてくれるかもしれませんよ。

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福宿桃香 18年7月28日放送

180728-05
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海で暮らす オーシャンスクレイパー

海の家、といえばビーチにある小さな食事処のこと。
だが「海の中の家」のことはご存知だろうか。

それが未来の都市計画として発表されたのは2年前。
オーシャンスクレイパーと名付けられたその家は
半透明の巨大クラゲのような見た目をしている。
水深1000メートル近くまで縦に長く伸びることで、
なんと2万人が暮らせる空間になるという。

提案者であるベルギーの建築家ヴィンセント・カレボーによれば、
有機廃物を常にリサイクルし、バイオ燃料を生産することで
環境問題を解決。長期的な生活が可能になるそうだ。

この話は、少なくとも現時点では架空のもの。
だが、テクノロジーの進化に期待してしまうのは私だけだろうか。

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道山智之 18年7月22日放送

180722-01

ドン・ヘンリー ふるさと

イーグルスのドラム・ボーカルをつとめたドン・ヘンリー。
彼が3年前に出した最新のソロアルバム。
タイトルは「カス・カウンティ」。
自分が生まれ育ったテキサス州カス郡に想いをはせる。

イーグルスとしての華やかなツアーの合間に5年をかけて、
故郷に近いダラスやナッシュビルで録音。
数多くの地元のプレイヤーとともにつくりあげられた。

カントリーという原点を見つめながら、
ひとつのカテゴリーにおさまらない曲の数々。
そこで歌われるさまざまな「人生」は、
自分がどこから来て、今どこにいるのかを探しつづけてきた
彼の人生そのものに、聞こえる。

7月22日。
今日は、ドン・ヘンリー71歳の誕生日。
Happy birthday, Don!

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