Vision

藤本宗将 17年4月9日放送

170409-04
奈良の大仏と平和

平和を守るためにつくられた奈良の大仏だが、
現実には戦火によって二度も焼失している。

はじめは、源平の合戦。
そして二度目は、戦国時代。

しかしそのたびに
人々の力を集めて大仏は再建された。
いま現存している奈良の大仏は、
江戸時代、太平の世になってからのものだ。

大仏が焼けずにすむということが、
平和の証と言えるかもしれない。

平和を守るのは、私たち人間の役目なのだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-05 Takashi(aes256)
鎌倉の大仏と作家

時代小説からノンフィックションまで、
幅広い活躍で知られた作家の大佛次郎。
大仏(だいぶつ)と書いて「おさらぎ」と読むこのペンネーム、
由来は鎌倉の大仏さまだ。

作家として活動をはじめた頃、大佛は鎌倉大仏の裏手に住んでいた。
本物の大仏が太郎だから、謙遜して自らは「次郎」としたのだという。
その後も彼は自然と歴史のある街並みを愛し、
生涯を鎌倉で暮らした。

しかし日本が高度成長期を迎えた頃、
鎌倉にも宅地開発の波が迫ってきた。
街のシンボルである鶴岡八幡宮の裏山までもが
そのターゲットとなったのだ。

当時は自然や景観を保護するということに対して、
まだ一般的な関心が低かった時代。
そのときいち早く反対の声を上げたのが、大佛だった。
開発への反対運動は、一般市民はもちろん、
川端康成や小林秀雄、鏑木清方、伊東深水といった
文化人にまで幅広い支持を集めた。
そしてイギリスのナショナル・トラスト運動を参考にして
大佛が立ち上げた「鎌倉風致保存会」によって
開発予定だった山林1.5ヘクタールの買収と保存が決まる。
さらにこれをきっかけとして、
1966年には「古都保存法」が制定された。

大佛次郎の尽力がなければ、
いまの風景は残っていなかったに違いない。
鎌倉の街は、もうひとりの大仏さまに守られたのだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-06 bryan…
鎌倉の大仏と大統領

今年1月、8年間の任期を終えた
アメリカのバラク・オバマ大統領。

2009年に大統領として初来日した際の演説では、
少年時代に母親と鎌倉に行ったエピソードを披露した。
まだ小さかったオバマ少年は、
大仏よりも抹茶アイスクリームのほうに
夢中だったそうだ。

その翌年、再び来日したオバマは、
鎌倉を訪れている。
大仏さまに見守られながら
思い出の抹茶アイスを味わった大統領は、
ゲストブックにこう書き残した。

 日本文化のすばらしい宝と再会できて光栄だ。
 この美しさは何年も私の記憶に残っている。




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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-07 campra
鎌倉の大仏と女流歌人

鎌倉大仏の裏手には、
有名な与謝野晶子の歌碑がある。

 かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
 美男におはす 夏木立かな


与謝野晶子は「釈迦牟尼」と詠んだが、
正しくはこの大仏は「阿弥陀如来」。

美男と褒められたはいいが、
名前を間違えられては
大仏さまも複雑な気分だろう。




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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-08
京の大仏と天下人

大仏といえば奈良と鎌倉。
しかし、かつては三大大仏に数えられる
もうひとつの大仏があった。
天下を統一した豊臣秀吉が、
晩年になって京都・方広寺につくらせたものだ。

記録によれば、その高さは19m。
奈良の大仏が15mほどだから、その巨大さがわかる。

しかし、そんな方広寺の大仏も
慶長伏見大地震によって倒壊してしまう。
倒れた大仏を見て秀吉はこう言い放ったという。

 かように、わが身を保てえざる仏体なれば、
 衆生済度(しゅじょうさいど)は、なかなか思いもよらず。


自分の身も守れない仏に
人々を守れるものか、と激怒したのだ。
さらに大仏めがけて矢を射かけたという話まで残っている。
もしかしたら、自分亡き後の不安が
秀吉をそこまで苛立たせたのかもしれない。

方広寺の鐘の銘をきっかけにして
豊臣家が滅んだのは、
それから19年後のことである。



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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-01
「悪妻」夏目漱石の妻(鏡子)

夏目漱石と妻、鏡子の出会いは、見合いの席。
歯並びの悪さを気にもせず、
ケラケラと笑う鏡子を、漱石は気に入った。

家事が苦手。朝も苦手。
朝食をつくらない鏡子は、
良妻賢母が当たり前の時代からすれば、
立派な悪妻。

「眠いものは眠い。嫌々やってもいいものはできない。」
そう口を尖らせる鏡子に漱石は、
「それも理屈だな。」と答えた。

並の神経では、
漱石の妻は務まらなかっただろうし、
漱石は漱石になれなかったかもしれない。



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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-02
「悪妻」森鴎外の妻(しげ)

森鴎外の妻、しげ。
気の強かったしげは
姑の峰子と折り合いがつかず、
実家に帰ってしまった。

失望した鴎外は、
母と嫁の諍いを書いた小説「半日」を書き上げる。
ほどなくして、なんと、しげも、
二人の新婚生活を元にした小説「波乱」を発表。
小説を通じて、二人は互いにやりあった。

実はこれ、離婚を避けるために
鴎外が考え、しげに勧めたこと。

しげは生涯、鴎外の傍にいた。



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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-03
「悪妻」芥川龍之介の妻(文)

文ちゃんが昔から好きでした。
今でも好きです。

芥川龍之介に、
こんなストレートで飾り気のない
ラブレターを書かせた女性が、妻の文。

芥川が自殺した時、
文は「お父さん、良かったですね」と
声をかけたというが、
その真意は文にしかわからない。

夫亡き後も、二人の息子を
それぞれ演劇人、音楽家として
立派に育て上げた妻に、
夫は空の上でも頭が上がらないはずだ。



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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-04
「悪妻」与謝野鉄幹の妻(晶子)

 やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

挑発的に恋を歌った、歌人、与謝野晶子。
雑誌「明星」を主宰する夫の鉄幹は、
晶子がいながら多くの女性と浮名を流した。

鉄幹は編集者としての才はあったけれど、
歌は明らかに晶子が上。
晩年の鉄幹は、日本を代表する歌人となった
晶子のマネージャーとして生きた。

晶子のそれは、耐えて終わる器ではなかった。



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渋谷三紀 17年4月8日放送

170408-05
「悪妻」谷川俊太郎の妻(佐野洋子)

画家でエッセイストの佐野洋子は、
詩人谷川俊太郎の妻だった。

谷川さんは佐野さんと結婚して、
詩の書き方が変わってしまうほどの影響を受けたという。
一方、佐野さんは、「私は何も変わらなかった。」とピシャリ。

 妻は僕のお抱え批評家で、
 僕は妻のお抱え執事なんだ。


谷川さんをして、こう言わせる女性は、
佐野さんの他にいるはずもない。



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