川野康之 20年6月20日放送


長谷川辰之助と二葉亭四迷

長谷川辰之助は軍人になりたかった。
陸軍士官学校を受けたが三度不合格になった。
方針を変え外交官をめざした。
東京外国語学校ロシア語科に入学。
そこでロシア文学に出会い、心酔する。
人生が別の方向を向いた。
処女小説『浮雲』 第一篇が刊行されたのは、明治20年の今日6月20日のこと。
長谷川辰之助、ペンネーム二葉亭四迷、23歳の年である。


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川野康之 20年6月20日放送


長谷川辰之助と二葉亭四迷

二葉亭四迷こと長谷川辰之助は、愛読したロシア小説のように
人間の心や社会の姿を書きたかった。
しかし日本語には表現する言葉がなかった。
その頃は書き言葉といえば文語体か戯作調が普通で、
口語体はまだ発明されてなかったのである。
友人の坪内逍遙に相談すると
「君は圓朝の落語を知っているだろう、あの通りに書いてみたらどうか」
と言われた。
手探りで新しい小説の言葉を作り上げていった。


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川野康之 20年6月20日放送


長谷川辰之助と二葉亭四迷

『浮雲』を出した後、二葉亭四迷は筆を折った。
書くことよりも生きることを求めたのである。
長谷川辰之助に戻り、内閣官報局という役所に入って官吏になった。
社会主義の影響を受け、貧民街に出入りするようになり、そこで出会った女と結婚をした。
官吏を辞めて、さまざまな職を転々とした。
大陸に渡り、ロシアや中国をさまよった。
ようやく帰国後、新聞社に就職。
そこで再び小説の筆を執ることになる。


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川野康之 20年6月20日放送


長谷川辰之助と二葉亭四迷

新しい小説が新聞に連載された。
ペンネームは二葉亭四迷。
同じ新聞社に夏目漱石がいた。
二人は交互に小説を連載することになる。
二葉亭四迷の『其面影』を読んで漱石は大いに感服したという。
漱石がはじめて辰之助と会った時、
想像していた二葉亭四迷とあまりにも違ったので驚いたと書いている。

「あんなに背の高い人とは思わなかった。
 あんなに頑丈な骨格を持った人とは思わなかった。」



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川野康之 20年6月20日放送


長谷川辰之助と二葉亭四迷

辰之助は、文学者であることにどこか物足りなさを感じていた。
真剣で切り結ぶようなリアルな人生を生きたいと思う。
少年の頃軍人になることを憧れたように。
二葉亭四迷はまた長谷川辰之助に戻った。
新聞社の特派員となってロシアへ渡った。
ペテルブルグの下層階級が住む街に下宿した。
白夜のために不眠症になり、冬の寒さに耐えてニュースを打電した。
そして病に倒れ、帰国を決意。
帰国途中、ベンガル湾上の船の上で死んだ。


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蛭田瑞穂 20年6月14日放送

snardxpop
危機一髪  任天堂

1980年、任天堂のアメリカ進出は最初からつまずいた。
開発したアーケードゲームがヒットせず、大量の在庫を抱えた。

在庫を解消するため、新たなゲーム開発を命ぜられたのが
当時28歳の工業デザイナー宮本茂だった。

宮本はマリオが初めて登場するゲーム「ドンキーコング」を開発。
インベーダーゲームが主流の当時、
恋人をさらったゴリラを追いかけるという
ストーリー性のあるゲームは革新的だった。

ドンキーコングは大ヒットを記録。
数百億円を稼ぎ出し、任天堂を窮地から救った。

危機一髪は乗り越えるためにある。


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蛭田瑞穂 20年6月14日放送


危機一髪  エルメス

ファッションブランドのエルメスは1837年に馬具工房として誕生した。

しかし、その後、交通手段が馬から自動車へと移り変わると、
馬具の需要も減り始める。

多くの馬具工房が廃業する中、
3代目社長のエミール=モーリス・エルメスは新たな事業に乗り出す。
当時発明されたばかりのファスナーに、
馬具づくりで培った革製品の技術を掛け合わせ、
バッグや財布の製造を始めた。

エルメスの新たな革製品は瞬く間に女性たちの目を奪い、
その成功がこんにちのエルメスを築き上げた。

危機一髪は乗り越えるためにある。


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佐藤日登美 20年6月14日放送


危機一髪  愛知ドビー

名古屋の老舗鋳造メーカー、愛知ドビー。
いわゆる町工場として大企業の下請けを担っていたが、
時代が変わり、ピンチに陥った。
そこで下請けから脱するために目をつけたのが鋳物ホーロー鍋。

鋳造技術と精密加工技術を発揮できると製品の開発に
三年もかかったが、
素材のうまみを引き出し、最高の一品を作る鍋。
「バーミキュラ」が完成。

いまや大人気となった鍋は、
どっしりとした風貌でおうち時間をおいしくしてくれる。

危機一髪は乗り越えるためにある。


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佐藤日登美 20年6月14日放送


危機一髪  龍角散

明治4年から続くのど薬メーカー、龍角散。
藤井隆太が8代目社長に就任したとき、
会社は倒産秒読みの段階だったという。

役員たちが新たなプロジェクトを立ち上げようとするなかで、藤井は決断する。
のど関係の商品だけに力を注ぐことを決断。
猛反対にあいながらも、45年続いた類似商品を廃止し、
龍角散の顆粒タイプやのど飴を発表。
めまぐるしいV字回復をなし遂げた。

危機に面したとき、藤井は
「自分たちにしかできないことは何か」を考え続けた。
古臭いと思われているけれど、いいところもたくさんある。
彼は、龍角散と、それを選んでくれるお客さんのことを信じていた。

危機一髪は乗り越えるためにある。


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森由里佳 20年6月14日放送


危機一髪  上羽絵惣(うえばえそう)の仕事

1751年からつづく、上羽絵惣。
日本画に使う顔料の胡粉をあつかう京都の老舗だ。

10代目を継いだのは、石田結実さん。
実は、家業を継ぐと同時に多額の借金も引き継いでいた。
廃業も頭をよぎったが、職人たちの背中を見て心機一転。
胡粉の持つ1200色もの和の色をいかした、胡粉ネイルを売り出した。
日本ならではの美しいカラーをそろえた胡粉ネイルは瞬く間に大人気。

上羽絵惣の仕事は、絵具屋ではなく、世の中に色を提案する仕事。
そう捉え直したことで、彼女の世界は鮮やかに色づいたのだ。

危機一髪は乗り越えるためにある。


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