佐藤延夫 20年3月1日放送


Jessica Quezada
雛祭りの話

3月3日は雛祭り。
現在のように、
美しい衣装をまとった男雛と女雛が
並んで座る形になったのは、
江戸時代中期あたりと言われている。
そのルーツのひとつが、ひひな遊び。(ひいな)
ままごとの一種なので、
季節など関係なく日常的に行われた。
衣装は紙で作られ、
お祓いのヒトガタのような形だった。

内裏雛の姿は平安貴族をイメージさせるが、
雛祭りの歴史は、意外と浅い。

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佐藤延夫 20年3月1日放送



雛祭りの話

雛祭りのルーツを探る研究は、
江戸時代から行われている。
1815年に発行された「骨董集」では、
「宇津保物語」、「蜻蛉日記」、「枕草子」などの書物から
ひひな遊びの記述を紹介している。
「源氏物語」では、
若紫がたくさんの道具を部屋中に広げ、
ひひな遊びに夢中になっている様子が描かれている。
そして、

「十にあまりぬる人は、ひひな遊びは忌みはべるものを。」

と、少納言にたしなめられる。

現代の年中行事が、まだ子どもの遊びだったころの話。

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佐藤延夫 20年3月1日放送



雛祭りの話

まだ、雛祭りと呼ばれる前。
ひひな(ひいな)遊びが3月3日になったのは、
江戸時代よりも前と言われている。
貴族社会でのみ行われる行事として根づきつつあったが、
それは正式なものではなく、
節句の中のおまけのような扱いだったようだ。
ひひな遊びを年中行事に決めたのは、
公家ではなく武家という説もある。
江戸幕府は、3月3日を含む五節供を
公式儀礼の日と定め、祝いの儀式が執り行われた。
それをきっかけにひひな遊びは、
一般社会に浸透していったと思われる。

人に歴史あり。雛にも歴史あり。

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佐藤延夫 20年3月1日放送



雛祭りの話

貴族から武家へ。
そして町人に伝わっていった雛祭りだが、
雛人形や雛道具は、
次第に華々しく派手なものに変わっていく。
江戸幕府は、度を超えた贅沢を禁止するお触れをたびたび出した。
たとえば、
人形は八寸以上の大きさにしてはいけない。
八寸というのはおよそ24センチ。
道具も、蒔絵など贅沢なものを作ってはいけない。

物差しを持った役人に、
多くの雛人形が摘発されたそうだ。

お内裏様もさぞ驚いたことだろう。

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佐藤延夫 20年3月1日放送



雛祭りの話

江戸時代の雛人形は、
いくつかのスタイルに分けられる。
まずは次郎左衛門雛。
公家や上級の武家に重用された、
由緒正しき雛人形だ。
そして町民の間に広まったのは、
寛永雛と享保雛。
シンプルな寛永雛が進化し、
享保雛は、女雛の袴がふっくらとしている。
金襴や錦などの上質な織物が使用されたものもあるという。
ちなみに、寛永、享保とも製作年代を意味するわけではなく、
便宜的に名付けられたそうだ。

雛人形の進化は、まだまだ続く。

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佐藤延夫 20年3月1日放送


t-miki
雛祭りの話

18世紀の中頃になると、
雛人形界に新たなブランドが誕生する。
それが有職雛だ。
これまでの丸顔、卵型のような
デフォルメされた人形とは異なり、
髪型、衣装の形式、色柄など
公家礼式を忠実に再現している。
公家の位や年齢、季節によっても衣装は異なり、
これらが着せ替えできる人形もあるそうだ。
上級の公家だけが楽しめる、
まさに雅な雛遊び。

どんな時代でも、
人々はリアルを求める。

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佐藤延夫 20年3月1日放送



雛祭りの話

18世紀の中頃まで、
雛人形の多くは京都で作られた、
いわゆる「京雛」だったそうだ。
江戸の業者は、事前に京都の問屋に注文しておく、
という流通ルートができあがっていた。
しかし、幕府から贅沢な雛人形を禁ずるお触れが出ると、
江戸のマーケットを争う新勢力が現れる。
京都を代表する人形師、井筒屋小左衛門と鍵屋吉右衛門。
そして、幕府の御用をつとめた雛屋次郎左衛門。
流行り廃りの波に揉まれながら、
新興勢力との覇権争いは続いた。

雛人形も、ハードボイルドだ。

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佐藤延夫 20年3月1日放送


グルメと旅
雛祭りの話

18世紀の終わりごろ、
江戸で流行したのは、古今雛だ。
目にガラスをはめ込み、写実的な表情。
女雛の袖には美しい刺繍が施された。

そして芥子雛というミニチュアの雛人形。
幕府の規制をくぐり抜けるために作られた。
小さくて上質なものが富裕層の人気を集めたという。

今年の雛祭りは、
男雛、女雛の顔をじっくり眺めてみよう。

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古居利康 20年2月29日放送



石の声を聴く

サヌカイトという石がある。
讃岐地方で発見されたので、サヌカイトという。

叩くと不思議な音がする。
カーン、カーンという、金属質の澄んだ音色。
地元香川県では「カンカン石」と呼ばれて
親しまれてきた。

およそ1500万年前。
瀬戸内地域の火山活動で
地上に噴出したマグマが、急速に冷えて
固まった火山岩。黒色緻密なガラス質。
硬質で堅牢だったため、
旧石器時代になると、
矢じりや石斧の材料に使われた。

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古居利康 20年2月29日放送



石の声を聴く

サヌカイトという石がある。

ナウマン象やフォッサマグナで知られる
ドイツ人地質学者、ナウマン博士が発見した。
明治の初め、お雇い外国人として来日。
日本列島の地質を調べるために、
本州、四国、九州の広範囲を調査する
その過程で、不思議な石に出会う。

「日本の讃岐地方に、
叩くと美しい音がする石がある。」

ドイツの学術誌に報告し、
石のサンプルを本国に送る。
友人の地質学者ヴァインシェンクが
「サヌキの石」という意味の学名
「サヌカイト」と命名。
学会で発表した。

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