古居利康 20年2月29日放送



石の声を聴く

サヌカイトという石がある。
叩くと、ガラスのような、金属のような、
澄んだ音色がする。

サヌカイトでつくる楽器は、
ピアノよりも上下に1オクターブずつ広い
音階を奏でることができるという。

はるか遠い古代から響いてくるように
感じるのはそのせいだろうか。

1964年の東京オリンピックでは
開会式でサヌカイトの楽器が演奏され、
不思議な音色が世界を魅了した。

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古居利康 20年2月29日放送


Yoshio Kohara
石の声を聴く

サヌカイトという石がある。
旧石器時代には矢じりや槍先などの武器、
縄文時代に入ると、ナイフや包丁など
生活道具の材料になった。

瀬戸内海の島々、九州北部、紀伊半島。
同じ種類の石はかなり広く分布するが、
とりわけ高松市国分寺町や、
坂出市金山周辺で産出するものは、
「水晶よりも硬い石」として知られ、
この地でつくられたと推測できる道具が
近畿、中国地方など広範囲で出土する。

サヌカイトは、
約3500年前の縄文時代後期、
瀬戸内海の交易がすでに始まっていたことの
証しとなっている。

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古居利康 20年2月29日放送


ijliao
石の声を聴く

サヌカイトという石がある。
叩くと不思議な音がする。
まるで、石が歌っているかのような音。

サヌカイトが生まれた讃岐の国は
空海を生んだ国でもある。
空海が中国から持ち帰った真言密教。
その宗教音楽に用いる
「磬(けい)」という打楽器がある。

通常は金属でつくる「磬」だが、
サヌカイトでつくられた「磬」も
存在するようだ。

遠い昔、弘法大師が
聴いていたかもしれない音。
何万年も眠りつづけて
いま目覚めたかのような、余韻の長い音。

石が声を持っているとしたら、
きっとこんな音だ。

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茂木彩海 20年2月23日放送

8. 富士山のはなし 富士上人 

今では世界中から登山者を迎える富士山も
奈良時代から平安時代にかけては噴火が続き、
とても登れるような山ではなかった。

そのため富士登山は修行の一環とみなされ、
「富士上人」と呼ばれた僧は数百回と登頂し、
現在の登山道を開拓したとされている。

今日は富士山の日。
山頂から望む景色は、苦しさを乗り越えてこそ。
今も昔も、私たちの心を洗うのだろう。

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薄景子 20年2月23日放送

7. 富士山のはなし 山岡鉄舟の歌 

今日は富士山の日。
この日にこそ思い出したい歌がある。

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
もとの姿は 変わらざりけり

詠んだのは幕末の政治家、山岡鉄舟。
青空の下にそびえる雄大な富士も、
雲がかかって見えない富士も、
富士山そのものは変化することなくそこにある。

目に映るものだけに惑わされず、
変わることのない富士山の本質を
山岡は心の目でとらえていたのだろう。

人生も同じ。
晴天の日もあれば
曇りや雨の日もある。
変化に右往左往せず、
本質を変えず、どっしりと生きよ。

今日も富士山がそう言っている。

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小野麻利江 20年2月23日放送

6. 富士山のはなし 富士講 

今日は富士山の日。
すっきりと晴れた日に
眼の前に現れる富士山には、
思わず拝みたくなるような神々しさ、美しさがある。

そんな富士山に登ったら、拝んだら。
きっとご利益があるに違いない。
そう思う気持ちは、時代に関係なく。
室町時代には修験者とともに、庶民も富士山に登り始めた。

険しい山の中に登山道もでき、
江戸時代には多くの人に登山が広まったが、
江戸から富士山頂を目指すには片道四日。
現在と比べると莫大な費用を要した。

そこで人々は「富士講」という信仰組織に入り、
富士講のメンバー内でお金を出し合い、
くじで当選した人が富士山に登り、皆の祈願を行う。
という仕組みが出来上がっていった。

富士講は爆発的に増えつづけ、
江戸時代の後期には、こんな言葉ができていた。

江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。
江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人。

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茂木彩海 20年2月23日放送

5. 富士山のはなし かぐや姫と富士山 

日本一の山「富士山」。
実は日本最古の物語である「竹取物語」のラストシーンに登場する。

物語の最後では、月に帰るかぐや姫が置いていった不老不死の薬を
帝が富士山の頂上で焼くのだが、
実は富士山のある富士市に伝わる物語では、
かぐや姫は月に帰るのではなく
富士山に登り、忽然と姿を消したと言い伝えられているそうだ。

さらに、かぐや姫を見つけたと言われる光る竹は
富士市にある「竹採塚」という竹林がモデルではないかとも
言われている。

今日は富士山の日。
まだ白い雪が残る富士山に、
かぐや姫の儚い姿を重ねて見るのもまた、風情がありそうだ。

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若杉茜 20年2月23日放送

4. 富士山のはなし  芙蓉峰   

2月23日、今日は富士山の日。
富士山は、又の名を芙蓉峰と言う。

芙蓉は花の名であり、
夏から秋にかけて淡い紅色や白色の大きな花を咲かせる。

一日で散ってしまう儚さや、その姿形の美しさから、
しばしば美女を形容する言葉としてもその名が使われてきた。

富士と芙蓉。
そのどちらの名前にも、
二つとない神秘的で美しい山という意味がこめられている。

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熊埜御堂 由香 20年2月23日放送

3. 富士山のはなし 文化遺産としての富士山 

富士山を、世界遺産に。
1992年に日本が世界遺産条約に加盟してから、
自然遺産として登録を目指してきた。
しかし、登山者によるごみ問題など環境への配慮が
改善されずに、文化遺産として登録する方針に切り替えられる。
そして、2007年にはユネスコの暫定リストに登録。
2013年に、やっと登録された。

信仰の対象と芸術の源泉というタイトルで登録を受けた富士山。
山体はもちろん、周辺の神社、風穴、溶岩、河口湖などの湖や沼など
全部で25ヶ所の複合遺産だ。
富士山から最も離れたところにある三保の松原。
歌川広重の浮世絵を始め数々の芸術作品のモチーフとなってきた。
距離が離れすぎていて、対象から外れそうになったが
日本の説得で、一緒に登録されることになった。

現在、海外からの登山客も増える中で、
環境への取り組みも進んでいる。
富士山に魅了されてきたすべての人の願いを乗せて。
その美しい姿を、いつまでも。
今日は富士山の日。

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石橋涼子 20年2月23日放送

2. 富士山のはなし 富嶽三十六景 

今日は富士山の日。
今月から新しくなった日本国パスポートも、
富士山のデザインになった。
各ページに、葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち
24作品が印刷されているのだ。

世界的にも有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、
日本各地から眺めた富士山が楽しめる。

北斎は50代で江戸から西国(さいごく)へ旅して、
東海道の各宿場から富士山をスケッチしたという。
その後も構図を練り続け、
富嶽三十六景が完成したのは北斎72歳の時だった。

当時、あまりの人気のため、十景が追加され
富嶽三十六景は全部で46種類になった。

町人文化が花開き、五街道や宿場町が整ったとはいえ、
それでも旅に出られる人は限られていた。
庶民は旅への憧れも込めて、北斎の浮世絵を求めたのかもしれない。

遠い場所を思ってワクワクする楽しさは、
富士山の絵を眺めていた江戸の頃も、令和の今も、
きっと変わらない。

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