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佐藤理人 20年1月11日放送



シュリーマン  クリスマスプレゼント

1829年のクリスマス。7歳のハインリヒ・シュリーマンは、
父親から一冊の本をプレゼントされた。

 イリアス

ギリシャの詩人ホメロスが書いた世界最古にして最高の叙事詩。
挿絵には古代ギリシャ軍に滅ぼされるトロイの街が描かれていた。

絵を見た瞬間、ハインリヒ少年の胸にひとつの夢が生まれた。

いつかトロイの遺跡を見つけてやろう。
そしてこの話が真実であることを証明しよう。

考古学の歴史を書き換える壮大な冒険が始まった。

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佐藤理人 20年1月11日放送



シュリーマン  40年越しの夢

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

彼が最初に選んだ仕事は貿易商だった。
多額の発掘費用を稼ぐため、武器の密輸にも手を染めた。

しかし片時もトロイのことが頭を離れることはなかった。
仕事の合間を縫って古代ギリシャ語を学び、大学に通い、
ギリシャ人女性と結婚した。

1870年、仕事を引退した彼は、
新婚の花嫁を連れてついに発掘へと旅立った。

このとき47歳。実に40年越しの夢だった。

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佐藤理人 20年1月11日放送



シュリーマン  ヒッサリクの城壁

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

ホメロスの叙事詩「イリアス」に魅せられた彼は、
100人の人夫を連れ、トロイがあったと言われる伝説の場所、
トルコのヒッサリクの丘へ向かった。

発掘から3年後の1873年、高さ6mの城壁が見つかった。

イリアスの王子パリスに奪われた妻ヘレネーを取り戻すため、
メネラーオス率いるギリシャ軍が攻め寄せる。

城壁の上に立ったシュリーマンの目には、
幼い頃に見た「イリアス」の挿絵が映っていた。

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佐藤理人 20年1月11日放送


DieBuche
シュリーマン  遺跡の真実

1873年6月14日。トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマンの前には、目もくらむ財宝が広がっていた。

8700点にのぼる装飾品の数々。中でももっとも素晴らしいのは、
1万6000個の純金を集めて作った、額から肩まで届く宝冠だった。

彼は泣きながら妻に冠をかぶせると、抱きしめて叫んだ。

 おまえはトロイのヘレネーの生まれ変わりだ!

しかし冠は紀元前2300年頃の、もっと古い時代のものだった。

彼は発掘に夢中になるあまり、
トロイの遺跡を掘り抜いてしまっていたのである。

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佐藤理人 20年1月11日放送



シュリーマン  夢への敬意

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

彼が実際に見つけたのはトロイの遺跡の、
はるか下に埋まっていた青銅器時代の古代都市だった。

それでも考古学者たちは、彼にトロイ発見の名誉を与えた。

考古学がまだ学問として整備されておらず、
発掘技術にも限界があった時代に、
夢を追い続けた男に敬意を表した。

1881年、彼は改めて発掘したトロイの黄金を、
母国ドイツに寄贈し、ベルリンの名誉市民となった。

生涯、トロイの発掘を続けたという。

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佐藤理人 19年11月9日放送



ツタンカーメン  最後のチャンス

1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターは、
崖っぷちにいた。

ツタンカーメン王の墓がどうしても見つからない。
25年間も探しているのに。

仲間の信頼も発掘資金も底を尽いた。
彼は資金提供者の元を訪ね、最後の支援を願い出た。

どこを掘るつもりか聞かれたカーターは、
王家の谷の地図を広げ、小さな一画を指差した。

資金提供者は言った。

 私はギャンブラーだ。もう一度、君に賭けよう。

カーターの最後の挑戦が始まった。

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佐藤理人 19年11月9日放送



ツタンカーメン  発見

1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘していると、
突然急な階段が現れた。

階段を降りると、封印された岩の扉があった。
扉に穴を開けて明かりを差し込むと、
数千年分の埃の中に何かがぼんやり浮かび上がった。

何も言わないカーターに痺れを切らし、
仲間が何か見えるか尋ねた。

だがカーターは、

 すばらしいものです

としか言えなかった。
穴の中はあたり一面、黄金が輝いていた。

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佐藤理人 19年11月9日放送



ツタンカーメン  花の色

1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけた。

墓にはファラオの生活がそのまま納められていた。
金や宝石に飾られた、たくさんの家具と服。
そして部屋の中央には大きな純金の棺。

蓋を開けると、宝石を散りばめた経帷子に包まれて、
ツタンカーメン王のミイラがあった。

顔は水晶をはめ込んだマスクで覆われ、
胸には様々な花で作った花輪が置かれていた。

3300年後の墓の中でも、
花はかすかな色合いを残していたという。

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佐藤理人 19年11月9日放送



ツタンカーメン  呪い

1922年11月6日。
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を見つけたときのこと。

突然、一羽のタカが現れ、西の空へ飛んで行った。
タカは古代エジプトで王家の象徴。
西はあの世がある方角だと言われる。

人々は死んだファラオの魂が、
墓を汚した者に呪いをかけたのだと噂した。

5ヶ月後。発掘資金の出資者、
イギリスのカーナボン伯爵が左の頬を蚊に刺された。
傷は化膿し、伯爵は敗血症でこの世を去った。

ツタンカーメン王のミイラを調べたところ、
伯爵と同じ場所に、全く同じ傷があった。

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佐藤理人 19年11月9日放送



ツタンカーメン 

1922年11月6日、
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
ツタンカーメン王の墓を発掘した。

それから7年間で、発掘に関わった人々のうち
12人が次々と謎の死を遂げた。俗に言う、

ファラオの呪い

である。
しかしもっとも呪いを恐れなければならないはずの男、
ハワード・カーターはこの噂を笑い飛ばした。

カーターがこの世を去ったのは、発掘から17年後の1939年。
64歳という当時の平均寿命以上の年まで、充実した人生を送った。

死因はもちろん自然死だった。

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