2009 年 7 月 のアーカイブ

海のむこう、広告のむこう。 〜 細田高広篇

もう本当にカンヌって何だっけ、
かもしれませんね。

こうなったら来年のカンヌまでやって
リアルタイムのフリをしたいです。

今回は少し趣向を変えまして。

前回、ホテルでばったり出くわした
ヤングカンヌ代表の古田組・細田さん。
日本代表。
ジャパン。
そんな貴重な話を聞かないなんて。
ということで、
その激戦の模様をつづっていただきました。
どうぞ、お楽しみください。

〜・〜・〜

カンヌのホテルで小山さんに出くわしたとき、
僕が「うわっ。何でここに!」と大げさに驚いてるのに、
小山さんたら「あ、ども。」と軽く会釈するだけ。
まるで渋谷あたりですれ違ったかのよう。
あまりの自然さに「まだ夢でも見てるのかな」と混乱したほどです。

それにしても、あのときの僕の姿と言ったら。
寝癖そのままの爆発ヘアーに、ださいパジャマ、
ひしゃげたメガネに、むくんだ顔。
あぁ、お恥ずかしい。

でも無理もないのです。
あの時は、コンペに負けた悔しさで
およそ1日半「ふて寝」した直後だったのですから。

そう。今回僕はカンヌでヤング・ライオンという若手(28歳以下)の
コンペに参加していました。
ヤング・ライオンにはフィルム、プレス、サイバー、メディアの
4部門があり、僕が出場したのはメディア部門。
雑誌とか、テレビCMとか、屋外広告とか、ウェブとか
メディアを自由に組み合わせてひとつのキャンペーンを提案します。

スケジュールは以下の通り。3日間にわたります。

1日目 16:00 オリエン(課題発表)
2日目 08:00−20:00 (制作作業)
3日目 プレゼン 各チーム5分 スライド10枚

今年のクライアントは、WFP(国連世界食料計画)。
世界の発展途上国の小学校に給食を送る活動を行っている団体です。
お題は、「先進国の子どもたちに活動の意義を伝え、自分ごと化させ、
寄付をさせるためのコミュニケーションを考えよ」というもの。
想定予算はおよそ5000万円。

25カ国の代表が一部屋に集まって話を聞くのですが、
みんな28歳以下に全然見えません。
「あの男強そう」とか「ケンカしたら負けるよね」とか
もうひとりのパートナーと、意味も無くブルブル怯えていました。

オリエンが終わると、皆、一斉に作戦会議を始めます。
会場の中で考えると煮詰まりそうだったので、
僕たちは会場側のカフェに移動し、とりあえず
お互いのアイデアを練ることにしました。

カンヌの心地よい風が眠気を誘います。
なんと仕事に向かない幸福な気候なのでしょう。
それをエスプレッソと日本から持ってきた
粉末ユンケルでやっつけながら、およそ2時間後。
2人のアイデアを元に議論開始。
徐々に日が落ち始めた頃、ようやく提案の筋が見え始めます。

僕はコンセプトやメッセージやらを詰め、
パートナーはキャンペーン展開をするメディアを考え、
再び持ち寄って・・・と繰り返しているうちに
あっという間に夜が明けました。

さぁ、2日目はいよいよ制作作業です。

皆さんなら、どんなキャンペーンを考えますか?

【つづく】

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五島のはなし(23)

五島のはなしを書いてきたおかげで、
ひとつパソコンに詳しくなりました。
それは、数字を〇で囲めるのは20まで、という事実です。
みなさん知ってたでしょうか?
二桁囲むんだったら、99までいけよ!と思うのですが。
ここに僕は科学技術の限界を見たのです。

さて僕のはじめての修学旅行のことを書きます。
それは小学5年生のときでした。
行先は「長崎」。長崎県人なのに長崎かよ!と今ならつっこみを入れたくなりますが、
その当時、長崎は僕にとって日本一の大都会。
銀座なんか目じゃありません。長崎。それも浜の町アーケード街。あこがれたなあ。

フェリー乗り場で整列した僕らに先生が聞きました。
「長崎行くの、初めての人」
クラスの半分近くが手を挙げたでしょうか。
僕はすでに何度か行ったことがあったので手を挙げなかったんですが、
その、手を挙げない優越感といったら!

というわけで、最初の修学旅行で思い出に残っているのは、
長崎の町ではなく、この五島のフェリー乗り場での一瞬の出来事で、
しかもほぼ唯一の思い出です。
すごく人間が小さいエピソードだと、我ながら、ほれぼれします。

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五島のはなし(22)

先日、鳥巣くんが書いてくれた「五島自動車学校」。
ここで、ぼくも運転免許をとりました。
高校の卒業式が終わり島を離れるまでの1か月間で。
自動車学校に入学する前、とても不安に思ってたことがあります。
それは「高速教習」。

まわりの大人たちが言うわけです。
「五島には高速道路がないけん、高速教習は滑走路でせんばとぞ」
当時はウブでしたので(いまもウブと思ってますが)、
その話を鵜呑みにしてました。
福江空港の滑走路で、飛び立つ飛行機を前に猛スピードで駆け抜ける俺。
こわい。けどちょっとやってみたい。

自動車学校に入学し、その話がウソだとわかったとき、
ちょっと残念な気分になったのを覚えています。
でも、無事に免許を取り終えたとき、ちゃんと後輩たちには言いました。
「滑走路での高速教習が怖かった」と。

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五島のはなし(21)

ちょっと前の話ですが、
落語専門情報誌「東京かわら版」の巻頭エッセーで
五島の「いあな」のことが出てました。
書いていたのは、爆笑新作落語家、林家彦いち師匠。
なんでも、落語家仲間とアフリカのギアナに行こうとしていたら
その仲間の都合で急遽行けなくなったとか。
じゃあ、せめて一人ででも、ギアナっぽいところに行こうと
全国の地図をくまなく探して見つけたのが、五島・福江島の「いあな」だったとか。
バカですね~。
彦いち師匠は、こういう普段の生活を落語に仕立てて爆笑させるのが得意です。

で、この「いあな」。漢字では井穴と書きます。
溶岩が噴出した際に、ああなって、こうなって、できた洞窟です。

隔離された生態系をもつため、世界的に珍しい生物がいます。
「なんとかハゼ」とか、「ほにゃららコウモリ」とか。
土器なんかも出土しており、大昔は人も住んでいたんだそうです。
何百メートルも続いた洞窟の先は海中に沈んでおり、
その先がどうなっているのかは「わからない」のだそうです。
ロマンあります。
恐竜とかいたらいいのになあ、と思います。

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名雪祐平 09年7月19日放送

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村上春樹 
  

小説家は、プロの嘘つき。

村上春樹は、
海外メディアのインタビューで
こう語っている。

 嘘をつくのが仕事の場合、
 誰よりも「真実」について
 知っていなくてはなりません。

 偽のレンガで、真実の壁を築くこと。
 それが僕の仕事です。

真実に飢えている人々が
小説『1Q84』を
超ベストセラーにしているのなら。

いまは、それだけこわい時代なのかもしれない。

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メリル・ストリープ

スピーチはむずかしい。

それが、アカデミー賞の受賞スピーチなら、
どうしても感動的な話を期待してしまう。

でも、よくあるのが、
何人も何人も関係者の名前を呼んで
感謝するパターン。

すこし、たいくつ。

そんなあきらめを、
メリル・ストリープはこんな受賞スピーチで
救ってくれた。

 大勢の人たちに感謝します。
 その人たちの名前を呼ばせてください。
 私の名前が呼ばれた時、
 両親は飛び上がって喜んだはず。
 その興奮をほかのご両親にも味わってほしいの。

メリルのてらいのない、思いやりがあふれた
名スピーチだった。

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モスクワオリンピック 日本選手団

戦争が、はじまっていた。

そして、
1980年のきょう、7月19日。
モスクワオリンピック開幕。

そこに、日本人選手はいなかった。
誰一人。

ソビエト軍のアフガン侵攻に抗議し、
50カ国近くが
モスクワ大会をボイコット。
日本政府も、ボイコットの最終方針を決定したのだった。

何年間も、すさまじい努力をしてきた選手たちは、
大会直前で、
国家や政治という強敵に、敗れてしまった。

 オリンピックは参加することに意義がある。

この言葉が、
とても重かった、夏。

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モスクワオリンピック イギリス選手団

ボイコットするか、しないか。
モスクワオリンピックは揺れた。

イギリス政府は、ボイコット支持を決定。
しかし、イギリスオリンピック協会は屈せず、
独自に大会参加を決めた。

そこから、政府の容赦ない圧力が始まる。
援助は打ち切られ、
企業の寄付も止められた。

選手たちは必死に世論に訴え、
市民の募金に頼った。
滞在費を切り詰め、
試合に合わせて
モスクワ入りを果たしたのだった。

スポーツは誰のものか。
絶対に、国家や政治のものではない。

彼らがそうおしえてくれた、夏。

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バズ・オルドリン

一番になること。

その魔力に取り憑かれた彼には、
二番は地獄。

1969年7月20日、アポロ11号、月面着陸成功。

バズ・オルドリンは、月面に降り立った。
アームストロング船長に続き、
史上二番目の人類として。

そこは地獄だったのだろうか。

月面には、100万年は消えない
彼の足跡が、たしかにある。

その足跡には、
二番とは書かれていない。
輝かしい栄誉が刻まれている。

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ピート・ローズ

4256安打。

大リーグの通算安打記録をもつ
ピート・ローズ。

 俺の脳みそは、いつまでも15歳のまま。
 これがベースボールを長く続けられる秘訣なのさ。

やがて現役を引退。
監督をつとめていたとき、
信じられない事件が起こる。
野球賭博に関わり、
大リーグを永久追放されてしまう。

無邪気な15歳のまま、
こんどは賭け事に夢中になってしまったのか。

偉大な記録は消えないけれど、
ピート、元気でやっていますか?

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勝海舟

勝海舟が亡くなった時、
最期に遺した言葉は、

 コレデオシマイ

作家・山田風太郎は、
「最期の言葉としては最高傑作にあたる」と絶賛した。

その言葉に、
すべてがあり、
すべてがない。

勝の豊かな人生を浮かび上がらせる名文句である。

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平賀源内

生まれては消えていく、広告。

けれど、200年もの間、
絶大な効果をあげ続ける広告コピーがある。

 土用の丑の日、うなぎの日。

夏場の不人気に悩んだ鰻屋のために、
平賀源内が
考案したと伝えられている。

小さなアイデアが、大きな流れをつくる。
ことばは、奇跡を生む。

平成21年、土用の丑の日に。

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中村直史 09年7月18日放送

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©Naoko Hoshino

星野道夫、旅の始まり

1970年ごろ、
ひとりの男子学生が、
神田の洋書専門店で一冊の本を手にしていた。

一枚の航空写真に目を奪われる。
写っていたのは、アラスカ、シシュマレフ村。

行ってみたい。
いてもたってもいられず、
その村の村長に手紙を書いた。

半年後返事が返ってきた。
「あなたの訪問を歓迎する」。

写真家、星野道夫。
運命のような旅の始まり。

彼はアラスカを見つけ、
アラスカもまた、星野道夫を見つけた。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の写真

アラスカの自然を撮り続けた
写真家、星野道夫。

彼の写真はすごいのだけれど、
どうすごいかを言葉にするのは難しい。

「動物って美しい」でも、
「自然ってたくましい」でも、
「地球は生命に満ちあふれてる」でも、
核心からは遠く。

そう思っていたら、
ある風景を前にしたときの
彼の感想が残っていた。


 ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった。

星野さん、
これは、あなたの写真を前にした
僕らの気持も的確に言い表しています。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の友

「類は友を呼ぶ」
は本当なんだと思う。

星野道夫には、素敵な写真家の友人がいた。

「類」は、写真家の意味ではない。
素敵な、の方だ。

英語も話せず、
はじめてのアラスカ暮らしに
とまどっていた星野道夫夫人に、
その友人は短いアドバイスを贈った。


 寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。 
 離れていることが、人と人とを近づけるんだ。

アラスカで
生きていく者に、
これ以上の言葉があるだろうか。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の視線


自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。
そしてぼくが魅かれるのは、
自然や生命のもつその脆さの方です。

星野道夫は、かつてそう語ったことがある。

大自然を切り取った
圧倒的な彼の写真に、
切なさを感じてしまうのは
その視線のせいかもしれない。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の言葉

星野道夫の写真を見ていると、
詩人、萩原朔太郎の言葉を思い出す。


 詩の表現は素朴なれ、詩のにおいは芳純でありたい。

星野道夫の写真は、その一枚一枚が詩だ。

動物、山、湖、草、花。
要素は素朴、だが、そこから立ち上ぼる感情が濃い。
写真だけではない。


 原野の秋色は日ごとに深みを増し、
 さまざまな植物が織りなすツンドラのモザイクは、えも言われぬ美しさです。
 快晴の日が続き、ある冷え込んだ夜の翌日、
 あたりの風景が少し変わっていることに気付くでしょう。
 一夜のうちに、秋色がずっと進んでしまったのです。
 北風が絵筆のように通り過ぎて行ったのです。

写真の解説文というより、
遠くに住む詩人から届いた
手紙のようだ。

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©Naoko Hoshino

星野道夫と人々

写真に写った人間の表情は、
写すものと、写されるものの
気持ちの距離を伝える。

ネイティブアメリカンの古老。
カムチャッカの子ども。
チンパンジーと戯れるジェーン・グドール。

星野道夫の撮った人々の顔はやさしい。


 人と出会い、その人間を好きになればなるほど、
 風景は広がりと深さをもってきます。
 やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいです。

人とも世界とも
親密な距離をとれる
稀有な人だったと思う。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の最後

1996年、夏、カムチャッカ。

川を上る鮭の大群。
待ちうけるヒグマ。
何万年も繰り返されてきたであろう自然の営み。
その中で。
星野道夫は、逝ってしまった。

「それは、そういうことなのだ」と、彼の声が聞こえる気がする。

そう、悲しむべきことではない。
ただ、たまらなく切ないだけで。

その感情は、
彼の写真が呼び起こすものと、
似ている気がする。

撮影:星野道夫
協力:星野道夫事務所

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今村直樹監督のブログ




 いままで、ぼくたちが「広告の仕事」に向けてきた、
 情熱や、時間や、場所をコンパクトに。
 そして、広告以外の(正しくは、従来、
 広告の仕事と思われていたこと以外の)仕事に、
 その、情熱や、時間や、場所を広げていく
 時なのではないか?

http://www.liverary.com/new%20HP/newHOME.html

今村直樹さんと仲間たちのブログです。
ご一読を。

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海のむこう、広告のむこう。~vol.5

そろそろカンヌってなんだったっけってなっている頃かと思いますが。
めげずに書きます。
今のところ、ただ飛行機に乗り遅れて荷物をなくしただけの
間抜けな日本人ですものね。
広告の話まったくしてないし。
それにしてもこんな大仰なタイトルつけるんじゃなかった・・・。

ホテルについた翌朝、
そういえば広告祭を見にきたんだったとホテルのエレベーターを降りると
見た顔が。
Visionの細田さんです。
ヤングライオン日本代表だったという細田さん、すごいですね。
コンペの翌日だったそうで、その顔色が壮絶な戦いを物語っていました。
あと会場でも佐藤さん(事務局長)に会いました。
カンヌの光を浴びて、一層さわやかな佐藤さん。
さすがです。

Visionの人たちにはたくさん会ったんですが、
今年のカンヌはみなさんもご存知のとおり、本当に人が少なくて。
5年前に初めて来たときには、
日本人も外国人も外国人みたいな日本人も、みんなみんな
道端にあふれ返っていたし、
夜になると歓声や奇声があちこちのパーティーから聞こえていたのに、
今年は普通の観光客しかいなくて
あぁカンヌってリゾート地だったんだな、と改めて思いました。
会場内も、
スクリーニングの会場に3人しか見ている人がいなかったり、
地下のグラフィックが並んでるフロアも冷え切ってたりと
どうも様子が違います。

とはいえ、女子トイレに並ばなくても入れるし、
微妙に知ってるけど微妙にしか知らない会社の人とかに会って
まごついたりしなくてもいいので、
意外と悪くないです。
地味カンヌ。

フィルムのグランプリもインターネット、
やれ時代はサイバーだなんだといってるのに、
そんな流れとはまったく関係ないPRESS部門を真っ先に見にいきます。
英語がわからないので、ずいぶん時間がかかる。
好きだったのは、GOLDだったFIATの環境広告。
車の衝突実験でエアバッグがバーンって開いてるんだけど
運転席にいるのがパンダとか絶滅危惧種。
「Engineerd for a Lower Impact on the environment.」。
たしかフィルムでもSILVERだった気が。
あとは、
これもGOLDのMiller「High Life Innovation.」シリーズ。
「ミラーを飲むとき足を組まないようにしとく装置を開発しました」
「ミラーを飲むとき小指を立てないようにしとく装置を開発しました」
ばかばかしくっていいなぁ。
グランプリのWrangler「We are animals.」は
コピーがいい的なことを外人が言ってました。

その隣にはOUTDOOR部門やMEDIA部門のボードが並んでいます。
カテゴリーの違いが今いちよくわかりません。

目を引いたのは、
たしかOUTDOORのグランプリだった
「TRILLON DOLLAR BILLBORAD」っていうお札でできたポスター。
ジンバブエの新聞の広告で、
何万枚という本物のお札でできたポスターに
「こんなにたくさんのお金でもこの一枚のポスターが刷れません」
というようなことが書いてある。
ジンバブエは今ものすごいインフレで
1兆ジンバブエ・ドルとかになってるらしく。
この手の経済ネタは結構あって(夕張もそうですよね。)
「来年までは経済ものはイケるから、貧乏な街を探しにいこう」って
さっき打合せで古川さんが言ってました。

その日はほぼ一日、地下にいて
夜はブイヤベースをいただきました。
うまーい。
高崎さん、タダさん、阿部さん、ありがとうございます。
ようやく、わたしカンヌにいるんだと、実感。

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薄組・薄景子

薄写真




見つけていただき、ありがとうございます。


薄景子対談
http://www.acc-cm.or.jp/kaiho/118/16radio/index.html

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薄組・石橋涼子

0714石橋写真

つまらないことに囚われまい。
と思ったらすでにハマってました。
ウンウン唸ったりクネクネ身悶えたりしながら
向こう側に行けるようがんばります。

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