2009 年 7 月 のアーカイブ

佐藤延夫 09年7月4日放送

1

漂流する男の話  浜田彦蔵 1

13歳のとき、何をしていただろう。

中学1年生か、2年生。
楽しいような、つまらないような。
どこか、もやもやした毎日を過ごしていたかもしれない。

江戸時代の漂流民、浜田彦蔵の場合は・・・

偶然乗り込んだ船が難破し、太平洋を漂流。
2ヶ月後、アメリカの船に救助される。
食事は、バターをたっぷり塗ったパンに、塩漬けの牛肉。
あまりに手厚いもてなしを受け、彦蔵は思う。

こいつらは俺を太らせて、食うのではないか。

漂流する13歳は、ハードボイルドだ。

2

漂流する男の話  浜田彦蔵 2 

お前の来ているものを全部脱げ

アメリカ人の船乗りが、身振り手振りで伝えている。
江戸時代の漂流民、浜田彦蔵、13歳。
いよいよ自分は食われるのだと覚悟した。

アメリカ人、今度は頭を指差し何か言っている。
訳も分からず頷くと、いきなり丁髷を切られた。
日本人が髷を落とすのは、命を捧げることに等しい。

さすがに、もう食われるとは思わなかったが
彦蔵は、言葉の通じない辛さを噛みしめた。

この世に、悔しさに勝るモチベーションは、ない。

彼が自在に英語を話せるまで、1年もかからなかったのだから。


3

漂流する男の話  浜田彦蔵 3

江戸時代の漂流民、浜田彦蔵の旅は続く。

サンフランシスコ、
ハワイ、
香港、
マカオ、
そして再びサンフランシスコへ。

ある日、彦蔵は偶然にも、自分と同じ境遇の漂流民に出会う。
名を重太郎(しげたろう)といい、救いを求めていた。

日本語で彼の胸の内を聞き、英語で船長に通訳したとき、
自分の生きる道が見えたと、のちに語っている。

きっと、光が射し込んだのだろう。
ごく限られた人にしか見えない、まばゆい光が。


4

漂流する男の話  浜田彦蔵 4

フランクリン・ピアース。
ジェームス・ブキャナン。
エイブラハム・リンカーン。
3人の大統領と面会した日本人は、政治家ではない。

伊藤博文、木戸孝允が
お忍びで会いに来たのも、政治家ではない。

漂流民、浜田彦蔵だった。

偉い人になるよりも、
会いたい人になったほうが、
世の中を動かせそうだ。


5

漂流する男の話  浜田彦蔵 5 
             
幼いころは、浜田彦太郎という名前だった。
それが浜田彦蔵になり、
アメリカでカトリックの洗礼を受け、
ジョセフ彦(Joseph Hico)と名乗る。
帰化して日本へ戻ると、
アメリカ彦蔵と呼ばれた。

日本で初めて新聞を発行し、
のちに「新聞の父」として歴史に名を刻む。

もし彼が生きていたら、今日という日を誰よりも祝うだろう。
7月4日、アメリカ独立記念日を。

彦蔵は、ボルチモアの農場で飲んだミルクの味を生涯、忘れなかった。


6

漂流する男の話  仙太郎

江戸時代、
ペリー率いる艦隊に
ただ一人、乗船を許された日本人、仙太郎。
彼は、仲間のアメリカ人に、こう呼ばれていた。

「サム・パッチ」

なにかあるたびに「心配、心配」と呟く仙太郎の声が、
アメリカ人には「サム・パッチ」に聞こえたそうだ。

かっこいいあだ名には大抵、
かっこ悪い理由がある。

7

漂流する男の話  音吉

13歳のとき船が難破し
太平洋を彷徨いながら14歳になる。
名も知らぬ島に辿り着き
原住民に助けられたと思いきや、
イギリス船に売り飛ばされる。
マカオから船に乗り
喜び勇んで日本に帰る寸前、
江戸湾で砲撃を受け
ついでに鹿児島でも門前払いされ、
マカオに舞い戻る。

それが江戸時代の漂流民、音吉(おときち)の人生。

故郷の地を踏むことは二度となかったが、
日本から流れ着いた多くの同胞たちに
救いの手を差し伸べている。

プロの漂流民とは、彼のことを言う。

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海のむこう、広告のむこう。~vol.2

事件は、行きのパリ、シャルルドゴール空港で起こりました。

飛行機を降りる時に確認したトランジットは3時間。
携帯の時刻をパリ時間に合わせ、
飲めないエスプレッソを飲みながら、
優雅に時間をつぶしておりました。

ようやく出発の30分前になってカウンターまで行ってみると、
何か様子がおかしい。
乗るはずの飛行機は20時15分発ニース行き。
しかし見上げた掲示板に表示されているのは、
21時15分発のマドリッド行き。
おかしいなと思いつつ、
ゲートのお姉さんにチケットを見せます。
お姉さんは一ミリも眉を動かさずこう言いました。

「You missed.」

あぁなんということでしょう。
飛行機が出ています。

でも、なぜ?
私の携帯は19時40分ですよ?
掲示板の時計を見ると、
時刻は20時40分。
何度も目をこすりました。マンガみたく。
そして私はすべてを合点したのです。

サマータイム。

   「夏の季節だけ標準時刻を進めて、日照時間を有効に使おうとする制度。
    日本では昭和23年(1948)から昭和26年(1951)まで実施。
    夏時間。夏時刻。」(yahoo辞書)

くらくらしました。
平成21年の日本から来たのですから、
そんな単語を発音したのは中学の基礎英語以来です。

思えば、
「世界時刻自動補正機能」なんていう漢字だらけの機能に、
「サマータイム」なんていう舶来の思想が理解できるはずもない。
わざわざ成田空港で交換したソニーエリクソンを
心の底からうらみました。
(後から見たらちゃんとそういう機能はついてました。ぬれぎぬ。)

そうして飛行機に乗り遅れた私は、
死ぬほど美人で死ぬほど無愛想なフランス人の空港職員から渡された
ホテルのリストに片端から電話をかけ
10件以上断られた後ようやく取れたB&Bに
どこをシャトルしてるのかわからないシャトルバスで
半べそをかきながら向かったのでした。

                                           つづく。

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海のむこう、広告のむこう。~vol.1

2009カンヌ広告祭が終わって早や1週間。
カンヌから帰ってきた人もきちんと仕事に戻り、
そうでない人にはもはや何かそんなものあったかしらという頃合いでしょう。

そんなタイミングで、
カンヌ滞在記。
即時性の時代に10日以上遅れた日記。
もはや滞在記でもなんでもありませんし、
速報も何もありませんので、
おひまな方だけお付き合いください。
とりあえず名前だけそれっぽくして
ごまかしています。

そもそも。
なぜこんなことになったのかというと、
カンヌの広告も景色もトップレスも、
ちゃんと目に入ってきたのが、
広告祭も終わりかけのころだったのです。

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五島のはなし⑱

五島時代の友人たちが僕のこの文章を
読んだらと思うと怖くなりました。
彼らは口をそろえてこう言うでしょう。
「ばえ~」。

数年前、五島に帰省中のときのこと。
兄とすぐ近くの漁港へ釣りに行きました。
もうほんと、目と鼻の先の小さい漁港。
そのとき同じく島に帰省中の人が
最新鋭のフィッシングスーツに身を包み、
高級そうな釣り竿を持ち、まるでプロアングラー(釣り師)のような
いでたちで立っていました。
その時、兄と僕の口から同時に出た言葉が、まさに「ばえ~」。

この言葉には「ようよう、かっこつけちゃって」的な意味合いがあります。
ブログ?J-WAVE?広告代理店?コピーライター?
すべて「ばえ~」です。
僕がここで使っている標準語がまた「ばえ~」です。

ちなみに発音は、「わあ」に近いです。

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五島のはなし⑰

team Vision の小山佳奈さんが、
渾身のレポート続編をアップしてくれるであろう「カンヌ広告祭」。
そこで今年、財政難に苦しむ夕張市の
プロモーションキャンペーンが立派な賞をもらってました。

僕もそういうのをやんなくちゃいけない。
ナイスなアイディアで五島を盛り上げなくちゃいけない。
(財政難なら五島だって負けてないんです!)
知名度上げなきゃ、島の自然を守らなきゃ、観光客を呼ばなきゃ、
とれなくなった魚をなんとかしなきゃ、ふるさと納税も推し進めなきゃ、いけない。
ああ、でも、目の前の仕事であたふたしている。
明日の朝提出の仕事がまだ何もできていない。
そしてそんな状況でこの五島のはなしを
仕事からの逃避に利用している。

ごめん、五島!

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