佐藤延夫 09年10月3日放送

1

信濃の秋/平畑静塔 杉田久女


 壺の国 信濃を霧の あふれ出づ

信濃を「壺の国」と表現したのは、
明治生まれの俳人、平畑静塔だった。

山国、信濃は盆地の中にあり、深い霧に包まれやすい。
その形をぼんやり想像すると、
たしかに、壺から煙が出ているように見える。

信濃では、こんな句も生まれている。
同じく明治生まれの俳人、杉田久女によるものだ。


 紫陽花に 秋冷(しゅうれい)いたる 信濃かな

秋になってもここでは、
紫陽花が凛として咲いている。

俳人たちも、この幻想的な土地に訪れると
いつもより筆が動くのだろう。

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甲州の秋/飯田蛇笏

甲州地方の山々を愛した、
明治生まれの俳人、飯田蛇笏。

彼の句は、
自然と対話するなかで磨かれていった。

   
 くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり

蛇笏はこの句を詠んだあと、
あまりに簡潔すぎるので
他者の共感が得られるか、思い悩んでいたそうだ。

静けさがなおも深まる山。
風鈴の音もしない、くろがねの秋。

十月の山梨を、覗いてみたくなる。

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大和の秋/阿波野青畝

アキノキリンソウ、
ヨシノアザミ、
ツルリンドウ。

今ごろ、
奈良県の葛城高原(かつらぎこうげん)では
秋の花が、そっと咲いている。

明治生まれの俳人、阿波野青畝が愛した
大和地方の山々。
この地に生まれた人だから、なのか。
俳句の中に、崇高な世界観が垣間見える。


 秋の谷 とうんと銃(つつ)の 谺(こだま)かな

耳を澄ませば、遠くから聞こえる猟銃の音。
そしてまた静寂が包み込む。

奈良の秋は、神々しく深まっていく。

4

鴨川の秋/鈴木真砂女

千葉県、鴨川に行けば
俳人、鈴木真砂女の句に会うことができる。


 あるときは 船より高き 卯波(うなみ)かな

真砂女の人生もまた、波乱に満ちたものだった。
22歳で恋愛結婚をするも、夫は博打に入れ込み、蒸発。
急死した姉の代わりに、旅館の女将となる。
人に勧められるまま、亡き姉の夫と再婚するも心を許せず、
30歳で、旅館にやってきた海軍士官と不倫。
全てを捨て、思うまま、身を投じた。

銀座一丁目の路地裏に小料理屋を開き、
それでも俳句を読み続けた真砂女は、
96歳まで生きて、ゆっくり目を閉じた。

   
 来てみれば 花野(はなの)の果ては 海なりし

どこに居ても心に浮かぶのは、
穏やかな鴨川の秋だったのかもしれない。


5

草城の秋/日野草城

柿食えば、鐘が鳴るなり・・・という有名な俳句があるけれど、
俳句の中に柿を登場させた数で言えば、
明治生まれの俳人、日野草城に分があるかもしれない。

   
 岡寺の 大きな柿を 買ひにけり 

   
 小包を 解くやころころころと柿

   
 食ふまでの たのしさ尽きず 寒の柿

   
 柿を 食ひをはるまで われ幸福に

いつのまにか、柿の甘さが頭の中を駆け巡っている。
そういえば草城は、こんな句も詠んでいた。

   
 秋の夜や 紅茶をくぐる 銀の匙

この人は、紅茶もお好きだったようだ。

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放哉の秋

結婚するはずの女性と別れる。
会社をひと月で辞める。
酒癖の悪さに、禁酒を命ぜられる。
朝鮮半島に渡る。
禁酒の戒律を破る。
サラリーマンに嫌気がさす。
妻と別れる。
いくつかの寺に世話になる。
小豆島に辿り着く。
そこが終の棲家となる。

自由律の俳人、尾崎放哉は
生き方まで自由だった。
ひとりで生きることを望み、それに苦しみ、
ただ海を見つめ、言葉を残した。

   
 菊 枯 れ 尽 し た る 海 少 し 見 ゆ

枯れ果てた菊の花と、
その向こうに見える海。

孤独を噛みしめたいときは、
冬の近づく海辺で、放哉の句を呟くといい。


7

山頭火の秋

孤独の俳人、尾崎放哉が世を去った三日後、
流転の旅に出たのが、種田山頭火。
放哉と同じ、自由律というスタイルだった。

それなのに
ふたりの生き方は、あまりにも対称的で・・・。

放哉は、海を愛し
山頭火は、山に魅せられた。

放哉は、孤独に苦しみ
山頭火は、孤独を笑い飛ばした。
だから、こんな句ができた。

   
 も り も り も り あ が る 雲 へ 歩 む

昭和十五年、十月。
彼の辞世の句には、
ひとりの寂しさなど微塵も感じられない。

孤独を楽しみたいときは、
山に向かい、山頭火の句を呟くのが良さそうだ。

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