2010 年 2 月 21 日 のアーカイブ

はじめての立ち見と当日券

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2010年2月20日、Tokyo Copywriters’ Street ライブは
はじめての当日券と立ち見が出た。
いままでにもないことはなかったのだが
前回のJzBratは巨大な柱の背後の「売らない席」を
予備にすることができたし、
その前の曼荼羅は自由席だった。
当日、ふらっとやってきたお客もこちらが正体を知っている人で、
事情をお話してご辛抱願えた。
人数も各回おふたりづつだった。

ところが今回はどうもふたりや三人ではなかった。
チケット事務の整理が終わっていないので
全貌を把握しているわけではないのだが
ことにショートプログラムは多かった。

なにしろあまりにも素人な事務局なので
当日券など発行しては受け取るお客が迷惑だろうと思い
チケットは予約のみにしていたし、
レギュラープログラムは満席だったので
チケットそのものを持って来ていなかった。
しかし、だからといって
わざわざおいでになったお客が目の前にいるものを
まさかお断りもできず
窮屈を承知で入っていただいた。

こういうとき、やはり素人の事務局はうろたえるが
ボランティアの客入れスタッフに実にしっかりした人がおり、
おかげで本当に助かった。

ただ残念なのは、レギュラープログラム当日券の皆さまに
アートディレクター金井理明くんデザインの
たいへんかわいらしいチケットをお渡しできなかったことで
やはり満席だろうと当日券なしだろうと
予備のチケットくらい準備するべきだったのだ。

そんなわけで、
当日券といいながらチケットをお渡しできなかった皆さま、
本当にすみません。
もし、これをお読みになることがあれば
HPの投稿フォームからご連絡ください。
チケットをお送りいたします。


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坂本和加 10年02月21日放送

当麻庄司

蕎麦と当麻庄司①


重ねたセイロを「手持ち・肩持ち」で
自転車にまたがり、蕎麦を運ぶ。
昔ながらのスタイルで出前中の蕎麦屋を、
つい最近、青山で見かけたのだから、驚く。

カブの後ろに装着する
あの「出前機」が普及してからは、
こういった光景も、事故も、ずいぶん減った。
発明者は、当麻庄司。
目黒にあった蕎麦屋の主人だ。

この発明で、当麻は紫綬褒章を受章した。






ライ・クーダー

蕎麦とライ・クーダー②


江戸蕎麦の老舗といえば、のれん御三家。
更科なら白、砂場なら黄色、
藪なら緑がかった蕎麦を出す。
もちろん、汁の濃さや味も変わる。

中でも藪は、出前に適さない蕎麦だから
忙しい職人や通行人が相手だった。
もし東京で、その味や風情を楽しむなら、
「神田 やぶそば」がいい。

むかしライ・クーダーがここへきて、
「シンギング・ソバ!」と感激した蕎麦。
なぜ、シンギングなのか。
野暮は言わずに。どうぞ、お店へ。


林家彦六

蕎麦と落語家、林家彦六③


お蕎麦の「にっぱち」は、
つなぎの割合のことだと思われているが、
じつは「かけそば一杯」が、16文だったことから
「ニハチ、ジュウロク」で
「にっぱち」になったという説が、
どうやら近ごろでは有力らしい。

落語に「時そば」という
有名な演目があるが、
どうせお金を払うなら、
やっぱり、うまい蕎麦だろう。

「蕎麦は、
当たりはずれが多いから気をつけろ」と
言ったのは、今は亡き林家彦六師匠。
たしかに、扇子で蕎麦をたぐるのも芸のうちなら、
うまい蕎麦を知っていなければ。

さすがは彦六師匠…と思いきや、
本人はコーヒーやカレーなどの洋食を
好んでよく食べていたそうだ。

もとより、有名な落語家になるほど、
蕎麦を人前で食べるのを嫌がるのだそうだ。
それはじろじろ見られることよりも、
まずい蕎麦でも、うまそうに食べなきゃならないことのほうが、
ほんとうは、つらいからかもしれない。


松平治郷

蕎麦と松平治郷④


東京から遠くはなれた島根県もまた、
うまい蕎麦のみつかる土地だ。
出雲蕎麦の文化を運んできたのは、
松江7代目藩主、松平治郷。
江戸で覚えた蕎麦が、忘れられなかったのだ。
茶の世界では不昧公の名で知られるこの殿様は、
とっても風流で、オシャレに生きた。


 茶を立て、道具求めて、蕎麦を食い、
 庭を作りて、月花見ん、このほか大望なし、大笑、大笑。



夏目漱石

蕎麦と夏目漱石⑤


東京で生まれ育った文豪、
夏目漱石も、蕎麦はよく食べていたようで
多くの作品に蕎麦の描写を書き残している。

熊本から上京してきた『三四郎』は、
蕎麦屋で日本酒を飲むことを覚えたし、
かの『坊っちゃん』も、
道すがら見かけた蕎麦屋が
どうしても素通りできなくて
つい暖簾をくぐってしまうほどの蕎麦好き。

けれど、『我が輩は猫である』の登場人物、
迷亭先生はちょっと違う。
通人ぶった蕎麦講釈をのたまう、鼻つまみ役だ。
あげくに、つけすぎたワサビにむせてしまい、
迷亭先生は、作者・漱石にやり込められてしまう。

それは、蕎麦をたぐることに粋を見いだし、
知識をひけらかすスノッブたちに閉口する、
漱石なりのアンチテーゼのようにも思える。

甘党で知られる漱石にとっては、
されど蕎麦より、たかが蕎麦。
うまければそれで結構、と思っていただろうから。


宮沢賢治

蕎麦と宮沢賢治⑥


宮沢賢治もまた、蕎麦好きの文人。
「原稿料が入ったら、BUSHへいきましょう」と
うれしそうに、友人を誘った。

賢治が蕎麦屋をBUSHと呼ぶのは、
店名が「やぶ屋」だから。
そこの天ぷら蕎麦が、
賢治の大のお気に入りだったようで、
サイドメニューは酒でなく、サイダーを頼んだ。
天ぷら蕎麦、15銭。サイダー、23銭の時代に。

「やぶ屋」は、現在も
賢治の故郷、花巻市にある。
名物は、わんこそば。
天ぷら蕎麦はサイダーより、今は高い。


片倉康雄

蕎麦と片倉康雄⑦


蕎麦職人の世界で、
きっと片倉康雄を知らないひとはいない。
片倉は、蕎麦職人も通う
手打ちの名店、一茶庵の創業者。
師を持たず、まったくの
独学で蕎麦料理を完成させた。

片倉が目指したのは、
毛のように細い、蕎麦の味。
それは、片倉の幼い頃、
大好きだった母の打ってくれた、蕎麦だった。

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