2011 年 7 月 のアーカイブ

カンヌのこと書きます

中村組の三國です。
カンヌにこのたび行ってきましたので
そのことをぽつぽつと書こうと思います。
たぶん日記みたいな感じで書いていきます。

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五島のはなし(151)

島では、というか、我が家では
「ひょーじゃみな」という。
「みな」とは貝のことだから、ひょーじゃ貝。
兵者貝?
だれか・・・正体知ってます?

岩まじりの海岸にちらばっている
ちいさな貝です。
それをひとつひとつ拾うのは
時間と根気のいる作業だし、
きれいに洗って砂を吐かせるのも面倒。

極めつけは食べるとき。
ほんの小さな身をマチ針を使ってとりだすと、
そのさきっぽについた貝の蓋をはがし、
やっとこさ食べられる。

じつに面倒な食べ物なのである。
そこまでして食べたいってことは
つまり・・・。

ゆでた後

 

こんな貝

 

極小の身

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五島のはなし(150)

18で島を出るとき、
友だちに「おれはいつか海ば守る人になるけん」
と言ったことを思い出した。

守ってないなあ。
楽しませてもらってるだけで。

とんとまりビーチ

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蛭田瑞穂 11年7月10日放送



印象的な冒頭① 太宰治

メロスは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決心した。

という一文から始まる太宰治の小説『走れメロス』。

国王の悪政に逆らい、処刑を命じられたメロスは、
妹の結婚式のため、3日間の猶予を与えられる。
ただし国王は、3日以内に戻ってこられなければ、
代わりにメロスの友人を処刑する、という条件を出した。

友の命を救うため、そして自分の誇りのため、
メロスは走り続ける。

小説で描かれる青年メロスの燃えるような正義。
太宰はそれを冒頭の一行で見事に表現した。



印象的な冒頭② ヘミングウェイ

かれは年をとっていた。
メキシコ湾流に小舟を浮べ、
ひとりで魚をとって日をおくっていたが、
一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。

という一節から始まる、ヘミングウェイの『老人と海』。
餌も残り少なくなったある日、
老人の針に想像を絶するほど巨大なカジキマグロがかかる。

4日間にわたる死闘が繰り広げられ、
ついに老人はカジキマグロを釣り上げる。

しかし、その帰路、
舟にくくりつけてあった獲物がサメに襲われ、
みるみる食いちぎられていく。

大魚と闘う老人の姿を、渇いた筆致で描いたヘミングウェイ。
全編に流れるそのハードボイルドな雰囲気は、
冒頭からすでに漂っている。



印象的な冒頭③ トルストイ

幸福な家庭はどれも似たものだが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

という一節からはじまるトルストイの小説『アンナ・カレーニナ』。

この冒頭が生まれたのにはこんなエピソードがある。

ある日、トルストイは叔母の病室で
ページが開いたままになっている本をみつけた。

それは10歳の長男が叔母のために読んでいたプーシキンの小説。
物語は「客人たちは別荘へ集ってきていた」という冒頭で始まっていた。

余計な描写をせず、読者をいきなり物語に引き込む書き出しに、
トルストイは「小説の書き出しはこうでなくてはいけない!」と感激し、
すぐに書斎に籠って『アンナ・カレーニナ』を書き始めたという。

1875年の発表当時から高い評価を受け、
現在では世界文学の最高峰とも讃えられる『アンナ・カレーニナ』。

主人公アンナの不穏な運命をわずか一行で暗示させるその書き出しも、
文学史に残る冒頭と言っていい。



印象的な冒頭④ スコット・フィッツジェラルド

「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、
父は言うのである。
「この世の中の人がみんなおまえと同じように
恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」 

スコット・フィッツジェラルドの小説、
『華麗なるギャツビー』の冒頭にはこのような一節がある。

たしかに、人はとかく、自分と誰かを比べたがる。
そして羨んだり、嘆いたりする。
しかし結局のところ、人は人、自分は自分。

どんな人生だって捨てたもんじゃない。
フィッツジェラルドがそう言っているような気がする



印象的な冒頭⑤ ロンゴス

レスボスの島で狩をしていたわたしは、
ニンフの森でこれまで目にしたこともない、
世にも美しいものを見た。
それは一枚の絵に描いた、ある恋の物語であった。

という一節で始まる古代ギリシャの小説『ダフニスとクロエー』。
エーゲ海のレスボス島を舞台に、
山羊飼いの少年ダフニスと羊飼いの少女クロエーとの恋模様が綴られる。

この小説が書かれたのは2世紀の後半から3世紀の前半という遥か昔。

そのため作者のロンゴスという人物についても、いつどこで生まれ、
どのようにしてこの物語を書いたのか、詳しいことはわかっていない。

それでも、ひとつだけはっきりしていることがある。
小説の冒頭にも書かれているように、
古代ギリシャの時代から、恋は美しいということである。



印象的な冒頭⑥ 三島由紀夫

長いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を
見たことがあると言い張っていた。
それを言い出すたびに大人たちは笑い、
しまいには自分がからかわれているのかと思って、
この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、
かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。

こんな一節から始まる、三島由紀夫の『仮面の告白』。
小説の主人公である「私」の生い立ちから青年期までが
「告白」という形式で語られる。

『仮面の告白』は三島由紀夫の自伝的小説ともいわれる。
たしかに主人公の人並み外れた洞察力は、
三島由紀夫そのものという気もする。



印象的な冒頭⑦ 江戸川乱歩

「あの泥棒が羨ましい」
二人のあいだにこんな言葉がかわされるほど、
そのころは窮迫していた。

という一節から始まる、江戸川乱歩の『二銭銅貨』。
貧乏のどん底にあるふたりの青年が、
強盗が盗み隠した大金のありかを推理する話。

江戸川乱歩の処女作にして、
日本で最初の本格推理小説ともいわれる。

『二銭銅貨』の執筆当時、江戸川乱歩は失業中だった。
「あの泥棒が羨ましい」という冒頭の言葉は、
乱歩の本心が表れているのかもしれない。



印象的な冒頭⑧ 夏目漱石

こんな夢を見た。

という書き出しで、すべての短編が始まる
夏目漱石の連作小説『夢十夜』。

第一夜から第十夜まで、十篇に渡って、
さまざまな夢の話が語られる。

死んで百合の花に生まれ変わる女と
その百合を100年待ち続ける男を描いた、幻想的な「第一夜」。
自己の存在の不条理な恐怖を描いた「第三夜」。
明治文化への絶望と批判を語る「第六夜」。

夏の夜、漱石の描いた夢を一緒に見てみませんか?

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坂本仁 11年7月9日放送



ジャック・リヴェット

長回しの手法を使って、
人間の動作や心理を細かく丹念に描きつづける
フランスの映画監督ジャック・リヴェット。
カンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞した、
「美しき諍い女」は約4時間、
代表作である1970年の「アウトワン」は
およそ13時間にもおよぶ作品である。

リヴェットの盟友で映画監督のゴダールは、
その13時間にもおよぶ「アウトワン」を鑑賞した後、
次のように言った。

「素晴らしい作品だ。
しかし、彼の才能を発揮するには短すぎる」と。

その破壊的な長さのために
未公開のままだった「アウトワン」が日本で公開されたのは
フランスでの初公開から38年後
2008年のことだった。



井上円了

机の上の十円玉に指を置き、
霊をよびだして質問する。
子供の頃、「こっくりさん」で不思議な体験をしたことある人は
多いのではないでしょうか?

近代的な妖怪研究で知られる井上円了は、
「こっくりさん」を科学的に分析し、
十円玉を動かしているのは、霊ではなく、
無意識の筋肉運動であることを実験で証明してみせた。

妖怪や化け物は人が生み出すもの、
迷信を恐れることはない。
けれど、不思議な現象を知的に楽しむことを
否定するわけではない。

井上円了の研究の目的は、
人の暮らしの幸福にあったと思う。



B・C・フォーブス

学校のテストの点が悪かったり、
仕事で結果がでなかったり、
好きな人にフラレたり。

生きることは、失敗の連続かもしれない。
けれど、アメリカの作家B・C・フォーブスは言う。

ゴルフにバンカーやハザードがなければ、単調で退屈に違いない。
人生も然りだ。
と。

あなたにとって面白くないことは、
あなたの毎日を面白くしてくれるもの。
そう思えれば、きっと毎日はもっと楽しくなる。



サミュエル・ジョンソン

辞書を引くのは一瞬で終わるが、
辞書をつくるのはそうはいかない。

1755年、イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンは、
4万語を超える単語を収録した A Dictionary of English を刊行した。
その内容は極めて詳細に記述され、
世界初の本格的な辞書とも評されている。
単語の意味を説明するために、
シェイクスピアやミルトンの文書を引用し、
その後の辞書の編集に多大な影響を与えた。

サミュエル・ジョンソンは言う。

大偉業を成し遂げるものは、
体力ではない、耐久力である。
元気いっぱいに3時間歩くことができれば、
7年後には地球を一周できる。



エジソン

いま、多くの人の毎日は、時間に追われている。
細切れに組まれた予定は
人から集中力を奪っていく。

けれど、世界の発明家・エジソンは言う。

決して時計を見るな。
これは若い人に覚えてもらいたいことだ。 

若いうちは時間を忘れるくらい何かに没頭しなさい。
発明に夢中になりつづけ、数々の偉業を成し遂げたエジソンは、
そう私たちに教えてくれる。

時間を守ることも大切だけど、
時間を忘れることも大切にしたい。



森本泰輔(たいすけ)

涙の出ない仕事をするな。
それが嬉し涙でも、悔し涙でも。
たくさん失敗してもくじけなかったらいいんです。

音楽プロデューサー森本泰輔はそう語る。

彼にとっての涙を流した仕事とは、
人気バンド・ウルフルズを育てたことだった。
本気で愛して本気で駆けずりまわって、本気で泣いた。

そうだ、「涙」を言い換えると
「本気」というコトバになるのかもしれない。



野村克也

いまTwitterで流れている野村克也楽天イーグルス名誉監督の言葉を
拾い出してみた。

 思考が止まれば、進歩も止まる

 アンパイアは、ピッチャーの女房役のキャッチャーにとって、
 言ってみれば夫の上司 みたいなもの

 捕手は目配り、気配り、思いやりと危機管理のマイナス思考

 「失敗」と書いて「せいちょう」と読む

データ重視のID野球で知られる、名監督・野村克也。
ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、
結果をだせる監督としてその手腕は高く評価されている。

しかし彼の野球哲学はデータ重視なだけではなく、
人間重視でもある。
選手の性格をよく考えて指導すること。
人の心理を考えつくした配球理論をキャッチャーに教えること。
人間をみつめつづけてきた野村克也は言う。

コンピューターがどんなに発達しようとしても、
仕事の中心は人間だ。
ならばそこには「縁」と「情」が生じる。
それに気づき、
大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。 
と。

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五島のはなし(149)

ライブ・イン・タイコ

博多発、五島行きフェリー「太古」の
中からお伝えしています。

平日だからか、お客さんは少ないです。
2分前にエンジンがかかりました。
1分前に「もうすぐ出港です」とのアナウンスがありました。

ただいま23:27。
定刻どおりの出港ならば、あと3分。

マッサージチェアがある。
PCを使えるように電源つきのデスクがある。
畳もしかれていて、ゴロ寝も快適そうである。
寝台ベッドも、シャワーも、カップヌードルの自動販売機もある。
目の前には
「ペット同伴ルーム:
 くわしいことはインフォメーション係員に
 お尋ねください。」
と斜体文字で書かれた張り紙もある。
インフォメーション係員か、ふつうの係員か、
見分けはつくのだろうか。
心配だ。
でもペット同伴じゃないから
尋ねる必要もない。

気づけば、フェリーは
もうけっこうな勢いで走り出している。

明日5時に起きて甲板に出ると
夜明けの海にうっすら浮かびあがる
美しい島々の景色が見られるだろう。
この景色は、太古で五島に渡るときの大きな魅力だ。
本当に美しい。

しかし、たぶん、ぼくは
明日起きないと思うけど。

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第51回消費者のためになった広告コンクール締切り迫る

第51回を迎える「消費者のためになった広告コンクール」の
作品募集のご案内をいたします。

「消費者のためになった広告コンクール」(後援・経済産業省)は、
消費者が日頃接する広告の中から、役立った、わかりやすかった、
印象に残った、楽しかったなど、消費者の心を振り向かせ、
企業との間に深い絆を結びつけた広告を、
消費者自らが消費者視点で選ぶ、他に類のないコンクールです。
また、審査には広告関係者を一切含まないわが国唯一の広告賞として、
幅広く知られております。

51回目を新たなる歴史への第一歩とし、
広告が企業と消費者をつなぐ信頼性の高いコミュニケーションとなり得るよう
意義のある本コンクールとしてまいります。
また、昨年度から賞の一部を見直し、広告会社ならびに制作会社を称賛する
「ベストパートナー賞」の新設と「地域広告賞」のリニューアルを行いました。
詳しくは当協会HPをご参照いただき、
奮ってご応募くださいますようお願いいたします。
【URL】http://www.jaa.or.jp/con_top.html

応募締切りは、7月15日(金)です。
お早目のご応募をお待ちしております。

【お問い合わせ】
 社団法人日本アドバタイザーズ協会 広告コンクール係
【TEL】03-3544-6580
【FAX】03-3544-6581
【E-mail】jaa-info@jaa.or.jp

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五島のはなし(148)

今月の美術手帖の表紙、
五島の教会です。

いま資生堂TSUBAKIの広告で使われている椿の映像、
五島の椿です。

いまこれを書いているの、
五島の人間です。

どれもオススメです。

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古居利康 11年7月3日放送



高峰秀子が乱れるとき その1

映画『乱れる』は、1964年1月15日、
東宝の正月番組として封切られた。
監督、成瀬巳喜男。
主演、高峰秀子、加山雄三。

昭和39年。
秋に東京オリンピックの開催を控えたこの国の、
町のかたちや家族のありようが
大きく変わろうとしている頃。

11歳年の離れた兄嫁と弟が交わす、
ゆるされない愛を描いた映画だ。



高峰秀子が乱れるとき その2

『秀子の車掌さん』
『稲妻』
『浮雲』
『口づけ』
『妻の心』
『流れる』
『あらくれ』
『女が階段を上る時』
『娘・妻・母』
『妻として女として』
『放浪記』

そして、『乱れる』

監督・成瀬巳喜男は、その生涯に、
高峰秀子を主演に17本の映画をつくる。
とりわけ1950年代半ばから、
その主要な作品のことごとくに
高峰を起用するさまに、
ひとりの女優に取り憑かれた、
ひとりの映画監督の、
執念にも近い惑溺が見てとれる。



高峰秀子が乱れるとき その3

女優・高峰秀子は、5歳のとき、
子役でデビュー。
10歳までに30本以上の作品に出て、
『デコちゃん』の愛称で
戦前の日本に愛された。

一種のアイドル映画として企画された
『秀子の車掌さん』で成瀬巳喜男と出会った
17歳の年は、山本嘉次郎監督の『馬』に出演して、
演技に目覚めた年でもあった。

成瀬は、高峰秀子が大人になるのを
待っていたのか。
戦後7年を経て、『稲妻』という作品で
28歳になった彼女と出会い直す。

その3年後、成瀬にとっても、高峰にとっても
それぞれのキャリアのピークとも言える
『浮雲』が完成する。相手は、森雅之。
高峰秀子が演じたのは、年上の妻子持ちとの
破滅的な愛に身を焦がし、愛に果てる女性。

このモノクロフイルムに漂う
生々しい息づかいと肌ざわり。ただごとではない。

このとき、高峰秀子、31歳。



高峰秀子が乱れるとき その4

そして、1964年、成瀬巳喜男監督の『乱れる』。

高峰秀子演じる兄嫁、森田礼子は37歳。
19の年に嫁に来たが、半年後、夫は戦争にとられ、
帰らぬひととなる。独身のまま酒屋を切り盛りし、
18年の歳月が過ぎた。

加山勇三演じる弟、森田幸司は25歳。
高峰が嫁に来たとき、まだ7つのこどもだった。
大学を出て就職するが、転勤を拒んであっさり退職。
自堕落な毎日を送っている。

義理の姉と弟…
そのままの関係がつづけばホームドラマ  
しかしそうではないことを
「乱れる」という映画のタイトルが告げている。



高峰秀子が乱れるとき その5

映画『乱れる』の舞台は、
静岡県の清水という地方都市。
駅前に店を構える森田酒店が、
新たに進出してきたスーパーマーケットに
圧迫され、時代の変化に巻き込まれていく。

結婚して家を出た2人の妹たちは
店をスーパーマーケットにする計画を立てるが、
兄嫁・高峰秀子の存在が邪魔になり、
再婚話をもちかける。

体のいい追い出し工作とも思える
家族の企みに、ひとり猛反対する弟・加山雄三。
事情をぜんぶ飲み込み、
みずから身を引こうとする兄嫁。

思いあまった弟が告白する。
ねえさんのことがずっと好きだった、と。
義理の弟のあまりにまっすぐな思慕に、
義姉はうろたえ、取り乱す。

映画の空気は、ここで一変する。

ほかの登場人物は、もう、ほとんど出てこない。
義姉と弟、ふたりだけを追いかけ、追いつめる。



高峰秀子が乱れるとき その6

夕食のとき、
じぶんの食べかけのおかずに
箸を伸ばす弟をたしなめる。

大雨の日、
配達からずぶ濡れで帰ってきた弟の
雨合羽を脱がせようとして、
気がつけば抱擁のようなかたちになって、
思わず後ずさりする。

じぶんのサンダルを平気で履く弟に、
壊れちゃうからやめて、と抗議する。

成瀬巳喜男監督の映画「乱れる」

義理の弟とはいえ
家族と思っていたときはなんでもなかった
さりげない身体の触れあいが
愛の畏れを喚び覚ます。

義姉・高峰秀子の、
弟・加山雄三への過剰な意識が、
映画『乱れる』を
思いもよらない方向へ導いていく。



高峰秀子が乱れるとき その7

これ以上、
ひとつ屋根の下に暮らしていると、
きっとまちがいが起きる。
そんな予感に苦しみ、
じぶんの気持ちの乱れを畏れる
義姉・高峰秀子は、とうとう家を出る。

清水の駅から準急に乗って、
故郷・山形県新庄に向かう列車のなかで。

ふと見ると、弟・加山雄三が乗っている。

成瀬巳喜男監督の映画「乱れる」
物語は、姉と弟という安定した関係をつづけようとする女と
それを拒否する男の結末に向かって進む。



高峰秀子が乱れるとき その8

映画『乱れる』、最後の21分間。

清水発14時35分。
弟・加山雄三の姿におどろき、とまどう
義姉・高峰秀子。空席はない。通路に立つ弟。

小さな川を渡る列車。3つ前の席に坐っている弟。
目が合って、かすかに微笑む義姉。

大きな川に架かった鉄橋を渡る列車。
斜め後ろの席にいる弟。

列車の疾走をカットバックし、
車内の映像に戻るたびに、 義姉の席に近づいていく弟。

上野着23時50分。

東北本線に乗り換えたふたりは、
もう、向かい合わせの席に坐っている。

やがて夜が明けて、目の前で眠る弟の寝顔に、
義姉は静かに涙を流す。そして言う。
「幸司さん、次の駅で降りましょう。」

義姉と弟が二日目の夜を過ごす場所は、
列車の中ではなかった。

残酷な結末に向かって、
映画は北へ北へと疾走しつづけて、
ついにその動きを止めない。

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佐藤延夫 11年7月2日放送



忍びの者/出浦対馬守盛清(いでうらつしまのかみもりきよ)

戦国時代、多くの忍者を召し抱えた武将といえば
武田信玄と毛利元就が双璧をなす。
甲斐の忍び集団は「三ツ者」と呼ばれ、
出浦対馬守盛清という男が頭領を務めた。

盛清の場合、怪しげな妖術を使うわけではない。
敵の動静を窺う斥候を得意とし、
軍勢や将兵の配置、城の弱点などを調べ上げた。
そのおかげで武田軍は、勝ち戦を重ねていく。

戦国時代も、マーケティングが重要だったのである。



忍びの者/中西某(なかにしなにがし)

戦国時代、上杉謙信は
優れた忍者部隊を擁していた。
甲斐の忍び集団「三ツ者」に対し、
こちらは「軒猿(のきざる)」と呼ばれた。

その忍者の一人が、中西某。
名前こそわかっていないが
変装術の名人だったという。

とある豪族が寝返ったという嘘の書状を携え、
百姓に化け、武田方の陣屋に届けた。
その身なりや話しぶりに、誰も疑うものはいなかったそうだ。

役者になるのも、忍者の仕事。



忍びの者/加藤段蔵(かとうだんぞう)

「飛び加藤」の異名を持つ
戦国時代の忍者、加藤段蔵。
塀や堀を軽々と飛び越える飛翔術のほかに、
幻で牛を呑み込んでみせるという呑牛(どんぎゅう)の術を得意とした。

最初は上杉謙信に重用されようと試みたが、
あまりにも腕がたちすぎると恐れられた。
今度は武田側に接近したが、
その魂胆を怪しまれ殺されてしまう。

実力がありすぎると干されるのではなく、
消されてしまう業界なのである。



忍びの者/風魔小太郎(ふうまこたろう)

その昔、相模の国に風間(かざま)という山間の小さな村があった。

村に暮らす一族は、
大陸から移住した騎馬集団という説もあるが、
その由来は謎に包まれている。
普段は狩猟や杣(そま)仕事をして細々と暮らし、
戦になると散り散りに消えていく。

小田原の北条氏が召し抱えた忍者部隊、風魔一族。
頭目は代々、風魔小太郎と名乗った。

彼らが得意としたのは、奇襲攻撃。
手当たり次第に将兵を生け捕りにし
火を放ち、武器や食料を略奪する。

二百人を超える大所帯であったが、
紛れ込んだ忍者を見分ける術も持っていた。

それは「立ちすぐり居すぐり」と呼ばれ、
不意に出される号令に合わせて
立ったり座ったりする符牒のようなものだった。
動きに合わせられない者は敵方の忍者と見なされ、
ことごとく斬り捨てられてしまったという。

一流の忍者は、リスクヘッジも万全なのである。



忍びの者/下柘植木猿・小猿(しもつげのきざる・こざる)

伊賀の国に、二人の忍者がいた。
兄弟なのか親子なのか定かではないが、
名前を下柘植木猿・小猿という。

その名の通り、猿のように身軽だった。
木の葉を揺らすことなく
枝から枝へ飛び移る秘伝の技、
忍法「浮足」を得意にした。

刀の鍔に足をかけて飛び上がり、
枝に取り付いたら刀をするすると引き上げる。
その姿はまるで漫画のようだが、
なるほど、木猿は猿飛佐助のモデルにもなっている。



忍びの者/松之草小八兵衛(まつのくさこはちべえ)

ドラマ水戸黄門に登場する忍者と言えば
風車弥七だが、そのモデルは実在する。

名前は、松之草小八兵衛。
元々盗賊の頭であったが、
捕縛され打ち首になる寸前、
光圀公に見いだされ無罪放免となる。

その後は密偵として働き、
光圀公に他国の情報を知らせたという。

諸国漫遊をしたのは、小八兵衛なのかもしれない。



忍びの者/割田重勝(わりたしげかつ)

真田の忍者、割田重勝は、
武芸兵法に優れた忍びだったという。

いくつかの逸話も残っている。
上杉謙信の館に忍びこみ
秘蔵の刀を盗み出し手柄を立て、
また、大豆売りに扮すると
小芝居をうち敵方の駿馬を騙し取った。

しかし時代は変わる。
大坂夏の陣が終わり、徳川の世になった途端、
忍者の需要は極端に減った。

大名家に雇われる忍者は、ほんの一握り。
その役目と言っても隣国の諜報活動が主流となり、
忍び本来の持ち味を出す機会はなくなった。
職にありつけない忍者は、
割田重勝のように盗賊に身を落とす。
そして名も無き武士に討ち取られてしまう。

泰平の世では生きられない、
哀しい忍者の末路である。

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