2011 年 のアーカイブ

三島邦彦 11年8月14日放送



前を向く言葉/森繁久彌

戦争が終わった時、森繁久彌は満州の放送局に勤めていた。
森繁は芦田伸介らと有志を集め、劇団を作った。
当時を振り返りこう語る。

まったく、世紀の劇団であった。
異国のはてに一切の希望を失って毎日を送っている、
   そんな街の人々とともに、
私たちは少しでも、生きる力や勇気や、
喜びや幸福を語り合う時間を持とうとしたのだから。

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三國菜恵 11年8月14日放送



前を向く言葉/仁木ふみ子

1964年。
戦争がおわり、少し落ち着きをとりもどした日本では
教育に対する新しい試みがはじまっていた。

大分県立別府青山高校。
受験を目的とする進学校で、しかも女子校だった。

何もかもが真新しいこの学校に赴任してきたのが、
教員・仁木ふみ子。

スターターメンバーとして
一から学校を「つくる」権利をあたえられた彼女は、
これから入ってくる一期生に向けて、
入学式のしおりに、こんな言葉を添えた。

教えるとは希望を語ること、
学ぶとは誠実を胸にきざむこと

学校の「これから」を
たしかに指し示している言葉だった。

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中村直史 11年8月14日放送



前を向く言葉/ロン・クラーク

世界中の人が差別や仲たがいなんかせず、
認めあって生きていく方法は何だろう。

政治的観点から、経済的観点から、歴史的観点から、
専門家たちが専門的な見解を披露してきた。
もちろん、その多くは示唆に富むけれど、
ときにはちょっと難しくて、ひとりひとりが
具体的にどうしたらいいか、わからない場合もある。

そんなときは、ムズカシイ話をカンタンにしてくれる人に聞いてみよう。

アメリカの小学校教師ロン・クラーク先生の本
「みんなのためのルールブック」

子どもたちのために書かれた
50ある、「あたりまえだけど大切なルール」の
23番目のタイトルには、こう書かれてある。

「だれであれ、なかまはずれにしない。」

 だれかがとなりに座りたがったら、
 座らせてあげよう。
 決まった友だちとしか
 座らないのは、よくないことだ。

ほら、話はカンタン。
大人もこんな気持ちでやってみましょうか。



前を向く言葉/齋藤孝

「声に出して読みたい日本語」を書いた斎藤孝。

教育者である彼は、
子どもたちに向けて、熱く語りかけつづけている。

著書のタイトルから熱い。たとえば、
「ガツンと一発・カッコよく生きてみないか!」

カッコよく生きるとはどういうことか、
わかりやすく、熱っぽく書かれたその本の中に、
ひときわ目立つ一行があった。

 逆風がふいているときこそ、人はカッコよくなれるんだ。

いま、カッコよくなれるチャンスかもしれません。

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三島邦彦 11年8月14日放送



前を向く言葉/小津安二郎

映画監督、小津安二郎。
「東京物語」や「秋刀魚の味」など、
人生の機微を淡々と描く独自の作風で、
世界中の映画監督に大きな影響を与えた。
国内では戦前から若き巨匠としてその名を知られていたが、
33歳で徴兵され、
「ちょっと戦争に行ってきます」という言葉を残して、
2年間を中国で過ごした。

帰国後第一作は、「戸田家の兄妹」。
一人の軍人も出てこない、ホームドラマだった。
映画記者の、戦争映画を撮らないのかという質問に、小津はこう答えた。

何?今度の映画かい?戦争ものじゃないよ。だって考えてもみたまえ。
二年間も毎日泥んこの中に足をつっこんで来ているのに、
また映画でそれをすぐやれるかというんだ。

その後も小津は、人々のささやかな生活にひそむドラマを描き続け、
生涯一本も戦争映画を撮らなかった。
小津の戦争から帰国してすぐのインタビューに、こんな言葉がある。

生まれたことを感謝しなくちゃいかんのだよ。
自分がこの世に生きているという事実に対して、自信を持ち、
生き甲斐を感じなくちゃいかんのだね。



前を向く言葉/藤沢周平

小説家、藤沢周平は、18歳で終戦を迎えた。
世の中の価値観が大きく変わりゆく様を目にして、
これまで見知らぬ他者が自分の運命を左右してきたことの恐ろしさに気がついた。
藤沢は、後にこう語る。

いざというそのときに、
自衛隊から借りた銃を持って辺地に行くか、
それとも家の中で降服のための白旗を縫うかは、
今度こそ自分で判断するつもりである。

30歳を過ぎて本格的に作家となった藤沢周平。
「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」などの時代小説にはどれも、
歴史の表舞台には登場しない主人公たちの、
一世一代の決断が描かれている。

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前を向く言葉/タモリ

前を向いて、明るくいこう。
それはとても正しいけれど、
そう思ってもいられないときだって、人間にはある。

誰もが知っている名司会者・タモリも
そう思うところがあったのか、こんな言葉を残している。

前を向いて歩いてたって、つまんないよ。
後ろを振り返ったほうが「あれが楽しかった」って楽しいよ。

要するに、その人らしいことが大事なのかもしれない。



前を向く言葉/チャールズ

ノーベル賞、受賞数学者
ジョン・ナッシュ。
彼の名言にこんな言葉がある。

 数学は正確さにかけては芸術だ

しかし、人を好きになる気持ちは数学とは無縁のものだった。
彼は自分の愛する女性が本当に自分を好きかどうか
確かめるのがこわくて思い悩んだ。

そんな彼に、友人・チャールズは
こんな言葉をかける。

人生に確かなことなんてない、
それだけが確かなことなんだ。

友人のその言葉には
彼が信じるに足りる確からしさがあったらしい。
自分の言葉で彼女の気持ちを確かめた彼は、ぶじ、結婚。

数字はもともと確かなものだが
人を信じることは
自分のなかに確かなものをつくることだと思う。

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八木田杏子 11年8月13日放送



佐藤初女

どんなに心と体が弱っていても、
佐藤初女のつくるものは、食べられる。

自然のいのちを料理にこめて、
手渡してくれるから。

その作り方を、教えてもらいました。

素材の気持ちになって、
常に心を通わせることを大切にしています。

それだけで、お浸しも煮物も、
まったく味が違ってきます。

料理をすることは、いのちを預かること。

レシピだけを見ていると、
いのちの抜け殻を、食べることになる。



エジソンの母

エジソンの最終学歴は、小学校中退。
わずか3カ月しか学校に通っていない。

先生に教えられたことを暗記するより、
自分が素直に感じた疑問を口にした少年、エジソン。

なんで、風は吹いてくるの?
なんで、空は青いの?

学校教育の枠にはまらず、
先生から煙たがられ、
エジソンは落ちこぼれとされた。

小学校教師だったエジソンの母親は、
わが子を自らの手で育てることにする。

エジソンが「なんで?」と言うと、
親子はいっしょに実験をし、百科事典を調べ、
答えを見つけていった。

落ちこぼれた子に寄りそって、のびやかに育てる。
それが、天才を育てあげる方法のひとつ。



エジソンの言葉

エジソンの言葉は、
しばしば誤解されて伝わっている。

天才とは、1パーセントの閃きと、
99パーセントの汗である。

今でもよく聞く、この言葉。
汗をかくことの大切さばかりが伝わることを
エジソンは懸念した。

無目的の努力だけでは
大海をさまよう小船のごとく、
あるいは密林の中を迷い続ける迷子のように
いつか力尽きる。
ときどきでいい、閃きを考えてみてくれ。
それが羅針盤となって方向を示してくれる。
99パーセントの汗が実るのは、
1パーセントの閃きを大切にしたときなのだ。

汗をかくのをお休みして、
のんびり閃きを待つ時間、つくっていますか。



山本周五郎と原田甲斐

極悪人とされてきた男を、
山本周五郎は、
まったく逆の視点で書き上げた。

江戸時代前期、
伊達六十二万石を滅亡に追い込む
内紛をおこした伊達藩の家臣、原田甲斐。

伊達騒動として歴史に残る事件の
中心人物だった原田は、
極悪人の烙印を押されてきた。

山本周五郎が
歴史的事実を紐といて描いたのは、
真逆の人物像。

それは、
汚名を背負うことで、
伊達藩を守ろうとする忠臣、原田甲斐。

藩内の悪評を恐れずに
陰謀の中心に飛び込んでいく、
孤独な美学をまっとうした男。

断片的な情報がつむぎだす人物像は、
悪人にも善人にもなりうる。

悪口を言われているその人は、
憎まれ役を買って出ている人なのかもしれない。



J. K. ローリング

ハリーポッターの作者、J. K. ローリングは、
ハーバード大学を卒業したのに、
ホームレス一歩手前のような暮らしに陥ったことがある。

結婚が上手くいかず、仕事もなく、
生活保護をうけながらハリーポッターを執筆していた。

そのときのことを、彼女はこう語っている。

最も恐れていたことが現実となりましたが、
それでも私はまだ生きていました。
私には愛する娘がいて、
古いタイプライターと、
途方もないアイデアが残っていました。
そのどん底の状況が、
私の人生を立てなおす強固な基盤となりました。

人は逆境で試されて初めて、
真の自分自身や人間関係の強さを知るのです。

人生の失敗から這い上がるチカラを、
J. K. ローリングは言葉にこめて、わけてくれる。



ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

映画「ハウルの動く城」の原作者、
ダイアナ・ウィン・ジョーンズが
まだ少女だったころ。

父親の書斎にあるギリシャ神話や古典文学は、
男性が主役のものばかりで、
読みたい本が手に入らないことをもどかしく思った。

いつしか自分で物語を創作するようになり、
妹たちを楽しませるようになっていた。

ダイアナは、父の書斎にないものを
自らの手で創りだす喜びを堪能した。

欲しいものすべてを買い与えられなかったから、
ダイアナは小説家になれたのだ。



天童荒太「悼む人」

まわり道を恐れないから、
予想もつかない物語が生まれる。

直木賞作家、天童荒太は、
300枚もの原稿をすっぱりと捨てて、
書き直しをする。

物語の終わりへの見通しがついて、
予定調和になる予感がしたとき、
その原稿を捨てたのだ。

僕自身が、
これはどう書いていいかわからないという
着想を乗り越えたときに、
新しい感動を読者に届けられるのではないか。

直木賞を受賞した
「悼む人」を書き上げるのに
天童荒太は7年をついやした。

見ず知らずのひとの死を悼む主人公は、
死者と縁のある人に、こう尋ねる。

亡くなった方は誰を愛し、
誰に愛され、感謝されていたのか。

天童荒太自身も、
新聞記事で見つけた死者を悼むことを日課として、
誤魔化しのない物語の結末へ、辿りつく。

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薔薇がなくちゃ生きていけない 20110619-2

コンペの提出が全部終わったのは20時半ぐらい。

わたしたち含むのんびり組の人たちの
プリント出力に時間がかかったので、
少し時間がおしました。

事務局のひとたちはとてもやさしく、
最後のメール提出のところまできちんと見守ってくれ、
「たのしくつくれたかい?」「二人とも満足しているかい?」と聞いてくれたので

「イエース!」

ほんとはとってもたいへんだったけど、
二人でひとつのことをやりきったというのは
やっぱりね、気持ちよかったのです。

で!

やっと ごはん!

じゃなくて、

ビール!!

おいしかった・・

お店の人が気をきかせて
「ふつうのビアー?コロナもあるよ」
と言ってくれたのですが、
ものすごくふつうのが飲みたかったのでそっちにしました。
(基本的に、フランスはハイネケンが主流?ぽかったです)

ちなみに、バックをみていただくと
わかると思うのですが明るいんです。
これで夜の・・21時とかそのくらいです。

ごはんもとてもおいしかった。
ユーちゃんがその感想を
「味がいいね」と言っていて、
若者にしてはしぶい言葉を使うなあというのが
とってもツボでした。

さて。
量をこころえた今回は、ちゃんと完食。
そのタイミングをみはからってお店の人が

なんと バラをくれた・・

「来てくれてありがとうマドモワゼルたち」
「カンヌをたのしんでいってね」

ですって・・

フランス・・!

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Urgent request to support “Mori wa Umi no Koibito”

Urgent request to support “Mori wa Umi no Koibito” (“Forests are lovers of the sea”)

The massive earthquake and tsunami that hit Tohoku in Japan devastated the nation. Today, I ask your urgent support to help continue a very important movement to save lives in the sea of Japan and in the world.

Shigeatsu Hatakeyama is an oyster fisherman in Kesennuma, Miyagi. Since 1989, together with many children and adults, he has been planting trees in the forest to bring life back to the sea. The movement is called “Mori wa Umi no Koibito” (“Forests are lovers of the sea”) and has spread throughout the nation.

You might ask, “Why plant trees to protect the sea?” The answer is that fallen leaves in the forest create vital nutrients for a bountiful sea. The rivers carry them there to feed the plankton, which in turn feed other creatures such as oysters. We must protect forests. They are mothers to every living organism.

Many children and adults alike joined the movement and planted thousands of trees in the forest, and Kesennuma Bay finally returned to what it used to be. Now, the flesh of oysters growing there is a translucent white. The children are especially excited to see that they can make a difference.

Sadly, the tsunami destroyed everything. Countless trees were swept away. So were the oyster cultivation farm and the facilities for educating children. They lost their very foundation. There is no place for generous friends to come back to, where their serious work can continue. Children are losing hope for the future of their sea.

May I appeal to you? It’s urgent. Professor Tanaka from Kyoto University kindly organized a fund-raising team called “Mori wa Umi no Koibito Kinkyu Shien no kai” (“Support group for ‘Forests are lovers of the sea’”). Please make a donation by one of two following ways:

Postal transfer:
Account number: 009830-6-2821710
Name on the account: Mori wa Umi no Koibito Kinkyu Shien no kai

Bank transfer:
Bank: Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ
SWIFT:BOTKJPJTXXX
Branch: Kyoto Ekimae (branch #: 434)
Account number: 3095280
Name on the account: Mori wa Umi no Koibito Kinkyu Shien no kai

For inquiries:
Mori wa Umi no Koibito Kinkyu Shien no kai
Call: 0774-33-2503

Thank you in advance for your support. Many children and adults are eagerly awaiting your help so they can continue to work to protect our sea. We need your help, now.

●reference
Highlighting JAPAN「Forests Are Lovers of the Sea」
http://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201011/201011_02.html

<<森は海の恋人緊急支援の会義援金 発起文>>

森は海の恋人運動ならびに畠山重篤さんへの緊急支援のお願い

東北は史上空前の言いようのない深刻な事態に至りました。
皆様方の中にはご親族やお知り合い等身近な方が東北太平洋沿岸域に
お住まいになっている方もおられ、
大変心を痛めておられるのではないかと思います。

森は海の恋人運動を1989年以来、
気仙沼大川流域を中心に進めて来られた畠山重篤さんご一家も
大津波の直撃を受け、
心の支えになっていたお母さんを失われ、カキやホタテガイの養殖筏、
5艘の作業船、陸上の施設などは壊滅状態と伺っています。
幸いにもご自宅は高台にあり、浸水を免れ、
3月15日には自宅にも戻られて復旧への第1歩をスタートされました。

森は海の恋人運動は今では小学校5年生の全ての社会の教科書に
掲載されるほど全国に広まり、森と海にこの上なく恵まれた日本が
これから進む道を見定める上でも“国民的財産”と言えるほど
重要な存在となっています。
これまで私たちはこの森は海の恋人運動に多くのことを学び、
大いに励まされてきました。
この運動とこれを支えて来られた牡蠣の森を慕う会の多くの皆さん
想像を絶する極めて厳しい現実に直面されています。

私たち個々にできることは限られていますが、
今こそ人と人のつながりの力を発揮することが
こうした難局を克服する上で不可欠と思われます。
多くの皆さんから何か支援したいとの申し出をいただいており、
本日緊急に「森は海の恋人緊急支援の会」を立ち上げ、
募金を始めることに致しました。

かつて気仙沼流域の環境と人の心を大きく動かして
地域と日本全体に元気を与え続けてきた森は海の恋人運動が
ふたたび不死鳥のように蘇り、気仙沼から東北、
そして日本を元気にする希望の星になるよう
できる限りの支援をできればと願っています。

この趣旨に賛同いただけるようでしたら、
下記の郵便振替口座により募金いただければ大変ありがたく存じます。

義援金口座

<<郵便振替>> 
口座記号番号 00930-6-282171
店名 八一八(818)
加入者名   森は海の恋人緊急支援の会
<<三菱東京UFJ銀行>>
支店名    京都駅前支店(店番号434)
普通口座   3095280
口座名義   森は海の恋人緊急支援の会

皆様方の周りにかかる趣旨に御賛同いただける方がおられましたら、
このメールを転送いただきますよう、お願い申し上げます。

森は海の恋人緊急支援の会代表 田中 克

<東日本大震災「森は海の恋人運動」継続へのご支援のお願い>

私達の「森は海の恋人運動」並びに「森は海の恋人植樹祭」は、
皆様の多大なるご協力のもと、本年で23年目を迎えようとしております。

しかしながら、この度の未曽有の震災によって、
たくさんの子供達の笑顔あふれた環境教育フィールド、
気仙沼市唐桑町舞根地区は道路や岸壁が大きく破損、水没し、
この地区の90%近い家屋が津波により跡形もなくその姿を消して
しまいました。また、運動の起点となる水山養殖場は、事務所や船、
養殖漁船やトラック、カキやホタテの養殖施設など、
そのすべてを流失し、運動の起点としての機能を果たすことは、
もはやできません。

森川海と人の連環を取戻し、
将来の自然環境を担う子供たちの「心の木」を植え、育み、
その大きな輪を広げてゆきます「森は海の恋人運動」は今、
運動の継続の帰路に立たされております。

皆様にお願いです。私たちに、皆様のお力をお貸し下さい。

この度、森里海連環学の生みの親である京都大学名誉教授 田中克先生のご厚意により「森は海の恋人緊急支援の会」が設立され、
義援金の募集が行われることになりました。

皆様からお寄せ頂きましたご厚意は、「森は海の恋人運動」の継続、
牡蠣を育てつつこの運動の起点となり、また環境教育フィールドでもある水山養殖場の復興、運動の中核となる「牡蠣の森を慕う会」事務局機能の回復などに大切に使用させていただきます。

復興を心に誓いながらこのリアスの海辺より、
皆様方のご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。

最後に、この度の大震災により亡くなられた方々のご冥福と、
未だ行方の分からない方々の一日も早い発見とご無事を
心よりお祈り申し上げます。

「森は海の恋人」牡蠣の森を慕う会
代表 畠山重篤

http://mizuyama-oyster-farm.com/shien-no-kai.html

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小野麻利江 11年8月7日放送



「夏」のはなし 淀屋辰五郎

氷も電気もなかったころに
粋な涼み方を考えだした男がいる。

江戸前期の豪商であり遊び人でもあった
五代目淀屋辰五郎。
その広大な邸宅の夏座敷には
金魚が泳ぐ大きな水槽を天井にとりつけ、
それを下から眺めて、暑気払いをしたという。

それから数十年
丸い小さなガラスの器に金魚を泳がせ
風鈴のように軒先に吊るす金魚玉が
庶民の間にもひろまったのだが
ガラスの涼しさと金魚の涼しさを組み合わせるアイデアは
淀屋辰五郎のおかげといえそうだ。



「夏」のはなし 清少納言

清少納言も、かき氷を愛していた。

『枕草子』の中の、「あてなるもの」。
上品なもの・良いものを挙げるくだりで、
こんな記述がでてくる。
削り氷にあまづら入れて、
新しき金鋺(かなまり)に入れたる

金属製の器に盛られた、削り氷。
その上に、アマチャヅルの茎の汁をかけた、
平安時代のかき氷。

氷の入った金属の器を手に持つと
当時ならそれだけで汗が引くほど冷たかっただろう。

クーラーなんてなかった夏の「女子の愉しみ」は、
現代にもしっかり、受け継がれている。

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茂木彩海 11年8月7日放送



「夏」のはなし 山下清

「裸の大将」山下清。

3歳になる年に重い病にかかり、
言語障害・知的障害の後遺症が残った。
まわりの子どもたちよりどうしても勉強が遅れてしまう清は、
知的障害児の施設へ預けられた。
ここでのちの画家人生を支える、ちぎり絵と出会う。

驚異的な記憶力の持ち主だった清は、
日本中を放浪しながら、情景を心に焼き付け
帰宅してからその瞬間を思い出して描いたという。

そんな清がとりわけ好んで描いたのが、夏の風物詩、花火。
夜空の黒いキャンバスに、
様々な色彩を浮かびあがらせては消え去る危うさは、
記憶を瞬間でとどめる清に
もっとも適した題材だったのだろう。

あるとき、彼は花火について、こんな言葉を残した。

大人は、もう花火をそんなに好かないものだが 
子供は大好きだと聞いて、僕は、まだ子供なのかもしれないと
少し恥かしくなりました。しかし、何といわれても花火はきれいなので、
僕はこれからも夏になったら見物に行こうと思っています。

清が最期まで描きつづけた鮮やかな花火は、
少年のように純粋でありつづけた
彼の命のきらめきだったのかもしれない。



「夏」のはなし 太宰治

暑い日が暮れる頃
庭に打ち水をして行水を使い
涼やかに風の通る着物を着て縁側に座ったら
どんなに気持がいいだろう。

そんな夏の魅力に、思いがけず救われた命がある。

 死のうと思っていた。今年の正月、
 よそから着物一反もらった。
 着物の布地は麻であった。
 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
 これは夏に着る着物であろう。
 夏まで生きていようと思った。

太宰治。夏に生かされた男の最期は、
結局、新しい夏を待てなかったが。

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