2012 年 2 月 25 日 のアーカイブ

小山佳奈 12年2月25日放送



スープのはなし 辰巳芳子

料理研究家の辰巳芳子さん。
彼女のつくるスープは
いのちのスープと呼ばれている。

きっかけは入院した父のために
毎日病室に届けた手作りのスープ。

病院のごはんは食べられなくても
スープだけは口にする父を見て思った。

「スープは、命の瀬戸際で
 こっちを向かせるためのもの」

人は、冬眠することも
光合成することもできない。
食べなければ、生きられない。

そんな当たり前のことを
辰巳さんのスープは
やさしく思い出させてくれる。

こんな寒い日には、スープの話でも。



スープのはなし 太宰治

「朝、食堂でスウプを一さじ、
 すっと吸ってお母さまが、
  『あ』
 と幽かな叫び声をお挙げになった。」

太宰治の「斜陽」、冒頭シーン。
滅びゆく没落貴族の哀しみへ
たった一文で読者を誘う太宰の文章力は見事だ。

破天荒な私生活ばかりに目がいくが
実は彼のすごさはその技術にある。

”いつも「おいしい料理」を読者に提供しようと
 気配りを忘れない作家だった”

とは、かの吉本隆明の言葉。

なるほど。



スープのはなし 石井好子

1950年。
戦後まもない日本から
身ひとつでパリにわたった
シャンソン歌手、石井好子。

彼女は一日も休むことなく
ステージに立ち続けた。

夜中の2時。
ようやく劇場を出ると
パリの夜風が頬を刺す。

そんな時、石井さんはいつも
仲間の歌い手たちとカフェにかけこみ
「グラティネ」を頼んだ。

グラティネとは、
オニオングラタンスープのこと。

ぐつぐつと音を立てて
テーブルに運ばれてくるグラティネを
ふうふう言いながら口に運ぶ。

その瞬間、異国に一人立ち向かう彼女は
どれだけあたためられたことだろう。

今日は玉葱を飴色になるまで
いためてみようか。



スープのはなし ゴッドファーザー

映画「ゴッドファーザー」で
襲われたドンの仕返しに
ファミリーが家に集まる場面。

腹心のクレメンザが
ドンの息子マイケルに
料理を教える。

ニンニク、オリーブオイル、トマトソース、
ミートボール、ソーセージ、赤ワイン。

「いつか20人分の飯を
 お前が作ることになるかもしれん」

それはファミリーに入ることを覚悟させ、
明日死ぬかもしれない闘いの日々を覚悟させるスープ。

そういえばトマトソースは
血の色に似ている。



スープのはなし メルヴィル

アメリカの冬は寒い。
あたたかいスープ、とりわけ
熱々のクラムチャウダーが欠かせない。

「小型だが多肉質のふとったハマグリに、
 くだいた堅パンと、塩豚の薄切りをまぜ、
 バターをたっぷりとかしこんでこくをつけ、
 塩と胡椒をしっかりきかせた逸品だった。」

アメリカ文学の巨匠メルヴィルが「白鯨」の中で書いた
主人公たちがクラムチャウダーをほおばるシーンだ。

言葉と食欲は
思ったよりもずっと近い。

おかげで今、小説の舞台となった街には
クラムチャウダーを食べに観光客が押し寄せている。



スープのはなし アンディ・ウォーホル

天才の答えは
いつでも単純。

キャンベルスープの缶を
完璧なアートに仕立て上げた
アンディ・ウォーホール。

数あるモチーフの中で
なぜスープを選んだのか、
彼はこう答えた。

「僕は自分が美しいと思うものを、
 いつも描いているだけだ。
 なぜスープをデザインしたかって?
 それは僕がスープを好きだからさ」

ほらね。

天才の答えは
いつでも単純。



スープのはなし スナフキンとトーベ・ヤンソン

ムーミン谷に住むさすらいの自由人、
スナフキン。

彼はいつもあり合わせのものを煮込んだ
粗末なスープを食べている。

「人間はものに執着しないことだ」

それはそのまま作者、
トーベ・ヤンソンの生き方だった。

無人島で恋人とたった二人で
暮らしていたヤンソン。
毎日の食事はそこでとれる最小限のもの。
今日はキャベツのスープ、明日は豆のスープ。

彼女にとってムーミン谷は
絵本の中の桃源郷ではない。

「長い旅行に必要なのは
 大きなカバンじゃなく
 口ずさめる一つの歌さ」

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