2012 年 4 月 28 日 のアーカイブ

佐藤理人 12年4月28日放送

aimeeorleans
スティーブ・マックイーンとカースタント「一枚の写真」

まだ映画にCGがなかった時代の話。

一人の映画監督が
ある危険なシーンのスタントを引き受けてくれる
命知らずのスタントマンを探していた。
主演の俳優に相談してみると、

ちょっと高いが、いいスタントマンがいる

と言う。監督が

高いのは仕方がない。紹介してくれるかい?

と頼むと、俳優は監督に一枚の写真を手渡した。

写っていたのはその俳優
スティーブ・マックイーン本人だった。





Podknox
スティーブ・マックイーンとカースタント「ブリット」

映画史上最高のカーチェイスは何か。

アンケートの答はいつも同じ。スティーブ・マックイーンの「ブリット」だ。

咆えるエンジン。きしむタイヤ。巻きあがる白煙。
サンフランシスコ市街の急斜面を舞台に、
宙を舞い、坂を駆け下り、互いにぶつかり合いながら
猛スピードでチェイスする二台の車。

最高時速160kmにも達したこの危険なアクションを、
マックイーンはスタントなしで演じきった。

それまでのカーチェイスといえば、
ハンドルを握った俳優を背景に合成するだけだった時代。
この映像は評論家の度肝を抜き、

観客は11分もの間、
自分の内蔵を地下室のどこかに置き忘れてしまう。


と絶賛された。



washako16
スティーブ・マックイーンとカースタント「目覚め」

1934年3月24日。
4歳の誕生日を迎えたスティーブ・マックイーンは、
母ジュリアから素敵なプレゼントをもらった。

ぴかぴかの赤い三輪車。

幼いスティーブ少年は父がいない寂しさを紛らわすために、
来る日も来る日も近所の子供たちとキャンディを賭けて競争した。
そして大抵一等をとった。後に彼は語る。

あれがレース熱の始まりだった。

中学生になると彼は町の不良グループに入り、
改造車での違法レースに明け暮れるようになる。

そして1944年、警察の世話になりすぎた彼は、
ついに少年院に入れられてしまう。

しかしそのときスティーブは14歳にして既に、
強力な改造車を作る凄腕のエンジニアになっていた。



Tsuru1111
スティーブ・マックイーンとカースタント「大脱走」

史上最高の映画スターの一人、スティーブ・マックイーン。
その人気を決定付けたのは、戦争映画の傑作「大脱走」だった。

この映画は第二次世界大戦下のドイツで実際にあった
250人の捕虜脱走計画を描いたものだが、
登場人物が多すぎて脚本は混迷を極めていた。

6人の作家が11通りの脚本を考えてもストーリーはまとまらず、
マックイーンが撮影現場に着いても役さえ決まらない有様だった。

役が決まらないことに怒り、
一時は撮影をボイコットしようとしたマックイーン。
しかしあることを条件に出演を承諾する。

それは、

バイクの腕前を披露させること。

ドイツ兵のオートバイを奪い疾走する脱走シーン。
そして高さ3.6mの有刺鉄線を時速100kmで飛び越えるクライマックス。
映画史に残るこの名場面は、実はマックイーンのアイデアだ。

逃走シーンでは見事なバイクの腕前を披露したマックイーンだが、
肝心のジャンプシーンだけは自ら演じることができなかった。
どうしても保険会社の許可が下りなかったのだ。

実際にジャンプしたのはマックイーンのレース仲間で、
スタントを一緒に考えたバド・イーキンスだった。

ちなみにマックイーンをバイクで追うドイツ兵のスタントも
マックイーンが演じていることは意外と知られていない。



BikoBikoBiko
スティーブ・マックイーンとカースタント「栄光のル・マン①」

「大脱走」のヒットにも関わらず
俳優スティーブ・マックイーンは憂鬱だった。
次の作品としてふさわしい脚本になかなか出合えなかったのだ。

失望から逃れるように彼はモータースポーツにのめりこんだ。
そのために6本もの出演依頼を断るほどだった。

結婚を続けるなら自分との時間を作って欲しい。
妻に頼まれてもその決意は揺るがなかった。

ある日マックイーンは「ル・マン24時間レース」を観戦する。
観衆の大歓声、エンジンの轟音、時速400kmを超えるスピード。
これこそ自分が求めていたものだ。彼は新聞記者に語った。

今までにないとびきり最高のレース映画を作るんだ!

そうしてできたのが、
史上最高のレース映画「栄光のル・マン」である。



MonthouPhoto
スティーブ・マックイーンとカースタント「栄光のル・マン②」

これまでのレース映画につきものの
よくあるまやかしは避けたいと思っている。
レースは美しいスポーツ。私はそれを正しく映画化したい。


映画「栄光のル・マン」を作るにあたり、
スティーブ・マックイーンがどうしても譲れなかったもの。
それは本物のレースのリアリティだった。

ハリウッドのレース映画の大半はスターに吹き替えを使っている。
私はその世話にはなりたくない。


スタントには現役のレーシングドライバーを起用。
自分が乗るポルシェにももちろんスタントは使わなかった。

さらに実際のル・マンにも車に撮影用カメラを積みこんで参戦。
レースをこなしながら撮影を行った上、
9位でゴールするという度を越えた熱の入れようであった。

しかし、観客に強く訴えるストーリーが必要という監督と、
レースそのものを描きたいマックイーンの間に確執が生じ、
監督は途中降板することになってしまう。

その監督とは、あの「大脱走」を撮ったジョン・スタージェス。
「栄光のル・マン」について彼は

途方もないジョーク、800万ドルをかけたマックイーンのホームムービー

と酷評。マックイーン自身は、

私は自分の持っている全て、キャリア、金、結婚、人生を投げ出した。

と語る、文字通り全てを賭けた映画だったが、
結果はスタージェスの予想通り大失敗に終わった。




スティーブ・マックイーンとカースタント「栄光のル・マン③」

ル・マン24時間レースを描いた映画「栄光のル・マン」。
そのカースタントを全て自分でやることについて、
プレイボーイ誌の記者がスティーブ・マックイーンに尋ねた。

確かにヘルメットをかぶって車を運転しているのはあなたです。
でも車の中にいるのが誰か分かる人なんていないでしょう?


マックイーンは答えた。

観客が分かってくれるさ。
もっと大事なのは、私自身わかっているということだ。
問題はありのままに、ごまかさずに演じるってことなのさ。


映画は本国アメリカでは大惨敗であった。
しかしここ日本では大ヒットを記録。

映画公開の2年後には、
日本人チームが実際にル・マンに初参戦を果たし、
日本のル・マン熱の火付け役となった。

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