2012 年 4 月 22 日 のアーカイブ

熊埜御堂 由香 12年4月22日放送

八犬伝
師のはなし 司馬遼太郎の言葉

歴史小説を通して
人間を描き続けた作家、
司馬遼太郎はこう言った。

食欲と性欲と睡眠欲が三大本能として、
四番目は教育する本能、
そして教育を受けたくなる本能かもしれません。


春、わけもなくわくわくするのは
知的な新しい出会いを
本能が察知しているからだろうか。

お気に入りの本を、親しくなったあのひとに
思わず、すすめるように。
教え、教わり人は生きていく。


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薄景子 12年4月22日放送

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師のはなし 岸本葉子の先生

エッセイスト、岸本葉子。
彼女の人生訓となる、
高校の先生の言葉がある。

「うちの子はやればできる、やらないだけ」
という親がいるが、それは違う。
重要なのは、やるかやらないかだ。

その言葉に導かれるように、
岸本は自分で400枚の原稿を出版社にもちこみ、
それがデビュー作となった。

編集者は言ったという。
「本を出してくれるなら書く」という人は大勢いる。
だが実際に書いてくる人はその何百分の一だ。

人生は、やるかやらないか。
いい教えは、一生、生徒を育てつづける。

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石橋涼子 12年4月22日放送


師のはなし 内村鑑三と斉藤宗次郎

明治のキリスト教伝導者であり
社会運動家でもある内村鑑三のもとには、
弟子になりたいという者が後を絶たなかった。
しかし大きすぎる期待は失望へと変わりやすいもので、
内村のもとを去る者も後を絶たなかったという。

師弟関係というものに絶望した内村は、
弟子を持つの不幸
という文章まで書いた。

そんな師匠を最後まで慕い続けたのが斉藤宗次郎だ。

なにしろ斉藤は、雨にも負けずのモデルになった
と言われている人物だ。
雨の日も風の日も師匠のもとへ通い、敬い、尽くし、
病気の内村を最期まで看取った。

内村鑑三は、最晩年にようやく
弟子を持つことの幸福を知ったのではないだろうか。

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茂木彩海 12年4月22日放送


師のはなし 立川談志のことば

立川談志の人情噺「芝浜」をはじめて聴き、
感動でしばらく席を立てなかった。
立川談春。その時、17歳。
高校を中退し、立川談志に弟子入りすることを決意する。

「師匠が黒と言ったら白でも黒になる」
というほど徹底した師弟関係の中、
大量の用事を言いつけられても、師匠が笑顔になる
その一瞬のために、目の色を変えて駆けずり回った。

そんな談春を悩ませたのが、弟弟子の志らく。
あとから入門してきた彼を談志が何かにつけて誉めるため、
談春はすっかり腐ってしまったのだ。

そんな談春を、ある日師匠は呼び出し、
二人きりになったところで、こう切り出した。

お前に嫉妬とは何かを教えてやる。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。


いま、「最もチケットが取れない落語家」と呼ばれる立川談春。
彼の師匠は、落語だけでなく、
人生の師匠でもあったということは、言うまでも無い。



東十条の王子
師のはなし 尾田栄一郎の師匠

いま、日本で一番売れている漫画。ワンピース。
作者の尾田栄一郎が大学を中退してアシスタントについたのは
「ジャングルの王者ターちゃん」の作者、徳弘正也だった。

この2人が描く主人公には、
“不器用さ”という共通点がある。

ターちゃんは腰蓑ひとつといういでたちで
ジャングルの王者でいながら、徹底した菜食主義者。

一方、尾田の描いたルフィーは、様々な能力者がいる中、
一番弱そうなゴム人間という設定。

その理由を尋ねられた尾田は、こう答えている。

どんなに話が深刻になってもルフィーは伸びたり膨らんだり。
いつでもふざけるチャンスをくれます。

格好良くて、強くて、完璧なヒーローよりも、
不器用なヒーローこそ、読者に永く愛される。

師匠、徳弘の精神は、主人公を通して尾田へと受け継がれている。

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小野麻利江 12年4月22日放送

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師のはなし 香川真司とレヴィ・クルピ

ドイツ・ブンデスリーガの強豪、
ボルジア・ドルトムントで活躍する、香川真司。

Jリーグ・セレッソ大阪に入団当初は、
責任感の強さから、
ミスをすると自分を責める傾向があった。

そんな彼に、監督のレヴィ・クルピはこう言った。

人はミスをして当たり前だ
ミスを繰り返すなかで自分を見つければいい
もっと強気な姿勢を見せてくれ


今の香川の活躍の裏には、
才能を見抜き、励ましてくれた
師の存在がある。



師のはなし 野村克也と江夏豊

1976年。望まないトレードによって、
阪神から南海ホークスへ移籍した、投手・江夏豊。
すでに全盛期を過ぎていた彼は
長いイニングを投げられず、
先発として、思うような成績を残せずにいた。

監督であり捕手でもあった野村克也は、
江夏の制球力は健在なことを見抜き、
リリーフ投手への転向を何度も打診する。

しかし当時リリーフ投手の地位は極めて低く、
先発にこだわる江夏は、反発し続けていた。
「トレードのうえ、今度はリリーフ投手への転向か。
何で自分にばかり、恥をかかせるのか」

ある日のこと。
野村は、江夏が新撰組が好きだと知り、
こんな言葉で説得することにした。

二人で野球界に、革命を起こそう。


リリーフ投手の地位をくつがえし、
日本野球界に革命を起こす「師弟」の誕生。
野村の采配は、ここでも功を奏した。

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