2012 年 7 月 のアーカイブ

茂木彩海 12年7月8日放送


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5. 冒険の話 アーネスト・シャクルトン

アーネスト・シャクルトン。
1914年、エンデュアランス号で、
人類初の南極大陸横断を目指し、出航した。

南極大陸まで320kmの地点で、四方を氷にはばまれ、
10ヶ月ほど漂流するものの、氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊。
この時点で南極横断計画はとん挫してしまう。

救助を求めようと、500キロ先のエレファント島へ
なんとか徒歩でたどり着き、
さらに1,300キロ離れたサウスジョージア島へ、
救命ボートを使って再び出航。

ついに救助されたのはイギリスを出発してから約2年後のこと。
シャクルトンと、その隊員27名全員が奇跡的に生還した。

隊員を募集した時、シャクルトンはこんな広告を出している。

 「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。
 暗黒の日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
 成功の暁には名誉と賞賛を得る」

冒険するか、しないか。
どちらを選ぶかは、
私たちの生き方の選択肢としていつでも用意されている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



6. 冒険の話 ソーントン・ワイルダー

冒険をしたいなあと思っているのは、
家にいて何事もないときである。
いざ冒険している時には、家にいたいなあと思う

こう語ったのは、アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー。
派手で社会的な演劇が流行した1930年代のアメリカで、
彼は、平凡な人々の平凡な日常を描き続けた。

しかし、そこでワイルダーが描いているのは、
私たちが平凡だと思っている日常が
いつもそばにあるものではなくて、
今ここにしかないものである、という事実だ。

今ラジオを聴いているあなたの日常も
今ここにしかないのと同様に。

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薄景子 12年7月8日放送



7. 冒険の話 マキャベリ

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、
マキャベリは言った。

運命の女神は冷静に事を運ぶ人よりも
果敢な人によく従うようである

こんな時代だからこそ、
無難な道より冒険を。
今日も、人生も、一度きり。

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小野麻利江 12年7月8日放送


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8. 冒険の話 日比野克彦

 口の中をベロで触って、
 どんな形があるか探ってみよう。

 りんごはなぜりんごと言うのか
 いろいろな人に聞いてみよう。

 陽だまりで目をつぶって、
 暖かいのがどこから来るのか
 感じてみよう。

芸術家の日比野克彦は、
日比野自身に、そんな指令を出してみた。

日比野は言う。

 何よりやってはいけないのは、
 つまらないと思いながら仕事をすることだ。

 だから、自分で面白くする努力を常にする。

 小さな大冒険をやってみる。

好奇心が生まれたら、
そこはすべて、冒険の場所。

あしたの朝食べる、トーストの上にも、
ゆううつな気分で乗る、電車の中にも。
あなたの冒険が、
見つかるかもしれません。

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蛭田瑞穂 12年7月7日放送



星を見ていた①「ガリレオ・ガリレイ」

1609年、発明されたばかりの望遠鏡を自作した
ガリレオ・ガリレイはそれを星空に向けた。
そこには人類が初めて見る宇宙の姿が映っていた。

月の表面はそれまで考えられていたような
滑らかなものではなく、山も谷もあった。
木星には4つの衛星がまわっていた。
天の川は無数の恒星の集まりであることもわかった。

翌年ガリレオは望遠鏡による観測結果を
『星界の報告』という書物にまとめた。

ガリレオが望遠鏡で宇宙を覗いてから400年余り。
天の川の輝きはいささかも褪せることはない。



星を見ていた②「ティコ・ブラーエ」

天動説の時代、月よりも遠い空間は
永久に変化のない世界と考えられていた。

しかし、16世紀の天文学者ティコ・ブラーエは
超新星と呼ばれる、恒星が一生を終える時に起こす大爆発や、
彗星の軌道の観測をおこない、
それらが月よりも遠くで起きる現象であることを発見した。
この発見が後に、天動説を覆す大きな証拠となる。

驚くことに、こうした発見をブラーエは肉眼による観測だけでおこなった。
その時代、望遠鏡はまだ発明されていなかったのである。

その功績からブラーエは現在、
「肉眼による天体観測の天才」と讃えられている。



星を見ていた③「サウル・パームルッター&ブライアン・シュミット&アダム・リース」

2011年のノーベル物理学賞を受賞したのは、
サウル・パールマター、ブライアン・シュミット、
アダム・リースの3人の物理学者。

受賞理由は「遠方の超新星爆発の観測による
宇宙の加速膨張の発見に対して」。

1929年に発表された「ハッブルの法則」によって、
宇宙が膨張を続けていることがわかった。
その膨張のスピードが加速していることが、
3人の観測によって明らかになったのである。

今、この瞬間にも宇宙は広がっている。
途方もなく速いスピードで。



星を見ていた④「カール・ジャンスキー&グロート・リーバー」

1931年、ベル研究所の技術者カール・ジャンスキーが
雷に含まれる雑音の分析をしていると、
毎日ほぼ同じ方向から来る未知の電磁波を受信した。

一年に及ぶ研究の結果、それは天の川から
発せされる電磁波であることを突き止めた。

その数年後、ジャンスキーの研究を知った
アマチュア天文学者のグロート・リーバーが
自宅の庭に巨大なパラボラ・アンテナを設置した。

世界初の電波望遠鏡となるそのアンテナをつかって
リーバーは宇宙から届くさまざまな電磁波を受信し、
電波による天の川の地図をつくりあげた。

ジャンスキーとリーバーのふたりによって、
電波天文学という新たな分野が幕を開け、
可視光では観測できない天体が観測できるようになった。


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星を見ていた⑤「アーノ・ペンジアス&ロバート・W・ウィルソン」

1964年、ベル研究所に勤めるふたりの科学者、
アーノ・ペンジアスとロバート・ウッドロウ・ウィルソンが、
衛星通信用アンテナの試験中、
宇宙から飛来する未知の電磁波を観測した。

あまりにも正体が不明だったため、
ふたりはアンテナに棲むハトが起こしたノイズとさえ考えた。

のちにそれは超高温状態の宇宙から放射された電磁波の
名残であることが判明する。

ふたりが偶然受信した電磁波は、
ビッグバン理論を裏づける世紀の大発見となった。



星を見ていた⑥「ウィリアム・ハーシェル」

18世紀の天文学者ウィリアム・ハーシェルは、
その生涯で400を超える数の望遠鏡を製作した。

ハーシェルをそこまで駆り立てたもの。
それは宇宙の構造を解明したいという欲求だった。
やがて彼は望遠鏡で見えるすべての星の位置を記録し、
天の川の地図をつくりあげた。

「ハーシェルの銀河モデル」と呼ばれるその天体図は
人類が宇宙を知る大きな道しるべとなった。



星を見ていた⑦「アイザック・アシモフ」

地球に生きるわたしたちはおよそ24時間ごとに夜が訪れることを
あたりまえのこととして知っている。

しかし、もしそれがあたりまえでなかったら?
そんな想像をしたのがSF作家のアイザック・アシモフ。

アシモフが1941年に発表した小説『夜来たる』。
舞台は6つの太陽に囲まれた、夜のない惑星ラガッシュ。
この惑星にある時、2000年に一度の日食が起こる。

突如あらわれる暗闇。初めて目にする夜空と無数の星。
惑星の住民たちは恐怖におののき、光を求めて街に火を放つ。
こうして惑星ラガッシュの文明は一夜にして崩壊する。

当時21歳の無名の作家は、この作品によって一躍人気作家になった。

地球には今夜も夜が来る。そのあたりまえの、なんと幸福なことか。

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五島のはなし(181)~五島でふたりがキスをするのなら(2)~

やはり、高浜海水浴場をはずすわけにはいきません。
高浜のビーチを二人でのんびり歩いてほしい。
手をつないだり、つながなかったりしながら、歩いてほしい。
ぼくは、手をつないだり、つながなかったりするカップルが好きだ。
そういう距離感が好きだ。

高浜海水浴場を見おろす、魚覧観音の高台にも立ってほしい。
上の写真は、魚覧観音から見た高浜海水浴場。

海の色ってこんな色なんだ!と二人はあっけにとられるだろう。
五島でするキッスはこんな味なんだ!と二人はあっけにとられるだろう。

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五島のはなし(180)~五島でふたりがキスをするのなら(1)~

五島で結婚式をあげたい。
そう思っているカップルが僕は好きです。
ふたりで五島を旅したい。
そう思っているカップルも僕は好きです。

ぼくは、感じのいいカップルが好きです。
五島に行こう、なんていうカップルはそれだけで、感じがいいなあと思うのです。
場所の選び方が、すごくいいですよねえ。
そんなカップルを、ぼくは応援したい。といっても大したことはできないので、
ふたりが五島でキスをするならこの場所がいいよ、というのを
できるかぎりたくさん教えたい、と思ったのです。

第1回目の今日は、大瀬崎灯台(上の写真)。
ここは、西の果ての島、福江島の、西の果てに位置する灯台。
海をへだてた向こうはアジアの大陸。
大海原を渡る船たちの道しるべとなるよう、日本一明るい光で、道筋をつくります。
ふたりのこれからの道をしるす、日本一明るい光。

さあ、ここで、すてきなキッスをどうぞ。

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薄景子 12年7月8日放送



1. 冒険の話 シルヴァスタイン

絵本作家、シルヴァスタイン。
彼の代表作でもある
「ぼくをさがしに」という絵本には、
足りないかけらを探して歩く、ぼくの冒険が描かれる。

自分は何がしたいのか。
ほしいものは何なのか。

やっと何かを見つけても、
また違うものを求めてしまうのは、
まるで人生のそのもの。

絵本の中表紙には、

だめな人とだめでない人のために

という献辞が書かれている。



2. 冒険の話 柳田國男

本を読むということは、大抵の場合において冒険である。
だから又、冒険の魅力がある。

こう語ったのは、
日本民俗学の祖として知られる柳田國男。
彼は子どもの頃から
膨大な量の書物に囲まれて育ち、
読書とともに大人になった。

そして、大人になるにつれて痛感するようになったのは、
書物だけで学ぼうとしたら一生かかっても足りない、
という事実だった。

柳田國男は、若干44歳でエリート官僚の道を退いた。
日本中の民間伝承を自分の足で探す冒険に出るためだった。



3. 冒険の話 高橋淳

現役最高齢パイロット、高橋淳。
御年88歳。
空を飛んだ時間、2万5000時間。
師匠と仰ぐ者たちはみな、彼を「飛行機の神様」と呼ぶ。

世界大戦が始まり、軍隊に入った高橋は
戦死することが栄誉だとされた時代、
何が何でも生きて帰ると心に決めていた。
なりたかったのは軍人じゃない。飛行機乗りなんだ。
その気持ちが高橋を守った。

終戦後はプロパイロットの養成に力を入れたが
49歳でフリーのパイロットに転身。
飛行機は車とは違い機体に個性があるため、
免許があっても、すべてを乗りこなせるわけではない。
50種類以上の機体を乗りこなせるのは、今も昔も、高橋だけ。
ひとりでも大丈夫。自信があった。

高橋は言う。

 「せっかく生まれてきたんだから、
 僕は死ぬまで進歩したい。」

生き方そのものを、冒険と呼びたくなる人は
今の世界に、いったいどれだけいるのだろう。



4. 冒険の話 高橋源一郎

小説というものは、
広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から
抜け出す少年、のようなもの。

前衛的な作風で知られる
小説家・高橋源一郎は言った。

学生運動で大学を除籍になり10年ほど、
土木作業員として各地を転々とした。
長く患っていた失語症のリハビリで書き始めた小説が
高橋を広い世界へ連れ出した。

今日も彼は、ひとり机にすわって
どこまでも遠くへいく。



5. 冒険の話 アーネスト・シャクルトン

アーネスト・シャクルトン。
1914年、エンデュアランス号で、
人類初の南極大陸横断を目指し、出航した。

南極大陸まで320kmの地点で、四方を氷にはばまれ、
10ヶ月ほど漂流するものの、氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊。
この時点で南極横断計画はとん挫してしまう。

救助を求めようと、500キロ先のエレファント島へ
なんとか徒歩でたどり着き、
さらに1,300キロ離れたサウスジョージア島へ、
救命ボートを使って再び出航。

ついに救助されたのはイギリスを出発してから約2年後のこと。
シャクルトンと、その隊員27名全員が奇跡的に生還した。

隊員を募集した時、シャクルトンはこんな広告を出している。

 「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。
 暗黒の日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
 成功の暁には名誉と賞賛を得る」

冒険するか、しないか。
どちらを選ぶかは、
私たちの生き方の選択肢としていつでも用意されている。



6. 冒険の話 ソーントン・ワイルダー

冒険をしたいなあと思っているのは、
家にいて何事もないときである。
いざ冒険している時には、家にいたいなあと思う

こう語ったのは、アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー。
派手で社会的な演劇が流行した1930年代のアメリカで、
彼は、平凡な人々の平凡な日常を描き続けた。

しかし、そこでワイルダーが描いているのは、
私たちが平凡だと思っている日常が
いつもそばにあるものではなくて、
今ここにしかないものである、という事実だ。

今ラジオを聴いているあなたの日常も
今ここにしかないのと同様に。



7. 冒険の話 マキャベリ

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、
マキャベリは言った。

運命の女神は冷静に事を運ぶ人よりも
果敢な人によく従うようである

こんな時代だからこそ、
無難な道より冒険を。
今日も、人生も、一度きり。



8. 冒険の話 日比野克彦

 口の中をベロで触って、
 どんな形があるか探ってみよう。

 りんごはなぜりんごと言うのか
 いろいろな人に聞いてみよう。

 陽だまりで目をつぶって、
 暖かいのがどこから来るのか
 感じてみよう。

芸術家の日比野克彦は、
日比野自身に、そんな指令を出してみた。

日比野は言う。

 何よりやってはいけないのは、
 つまらないと思いながら仕事をすることだ。

 だから、自分で面白くする努力を常にする。

 小さな大冒険をやってみる。

好奇心が生まれたら、
そこはすべて、冒険の場所。

あしたの朝食べる、トーストの上にも、
ゆううつな気分で乗る、電車の中にも。
あなたの冒険が、
見つかるかもしれません。

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カンヌレポート 勝浦雅彦 & 三國菜恵

三國菜恵がやっと去年の「カンヌの話」を再開する一方で
Tokyo Copywriters’ Street では
勝浦雅彦さんのカンヌレポート「リメンバーカンヌ」が
はじまりました。

去年と今年の違い、男女の違い、
公費(三國)と私費(勝浦)の違い、
読みくらべるとさまざま面白いことがあると思います。
みなさま、ぜひぜひ(玉子)

三國菜恵のカンヌレポート:http://www.01-radio.com/vision/category/cannes_mikuni/
勝浦雅彦のカンヌレポート:http://www.01-radio.com/tcs/archives/category/cannes_katsuura

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五島のはなし(179)

博多から五島福江に向かうフェリー「太古」。
ここでも何度か紹介したのだが、どうも、宣伝効果が出ていない。
「ブログを読んだのがきっかけで乗ってみましたよー」
って声を一度も聞かない。
(※そもそもこれを読んで五島に行ってみました!って話も聞かない!涙!)

でも考えてみれば、
太古のこと、さらっと書いただけで、どんなにすばらしいフェリーか、ちゃんと書いたことがなかった。
だから、今日はもうちょっとくわしく書こうと思う。

まず、フェリーの乗り場ですが、福岡というか博多あたりでタクシーに乗ったら
「五島行きのフェリーの出るとこのあっでしょ、あそこ行ってください」
と言ってください。
その言い方が、博多のタクシー運転手に親密な気分にさせ、最短距離で行ってくれます。たぶん。

チケット売り場で切符を買ったら、案内板に従ってフェリーに乗り込みます。
フェリーの乗り口のところに、係員の人がひとり、立っています。
この人に切符を渡すのですが、この場所からすでに五島は始まっています。
まず、おしりとおしりをくっつけあって、「ハイホー!」と叫ぶ、五島独特の挨拶をしてください。
これで、係員の対応が良くなります。

客室はこんな感じです。
ここでも、まわりにいる人には、前述のあいさつをしましょう。

フェリーはなかなか清潔で、気持ちが良くて、ちょっとゴージャスな感じさえあります。
上の写真の階段では、ドレスアップした奥様の手をひいて、一歩一歩降りていきたいところです。
階段を降りたところで、ダンスを踊っても構いません。
きっとまわりの乗客たちも、にこやかに眺めてくれるはずです。手拍子だってしてくれるかも。

踊り疲れたら、自販機コーナーでビールと食べ物をゲットしましょう。
おすすめは、たこやきです。

ペットルームもあり、わたしワンちゃんといっしょじゃなきゃ旅したくない!という方にも安心です。

2階にはグリーン寝台もあります。一般客室にプラス2000円で、個別のベッドに寝られます。
お花も飾ってあったり、それはもう、貴族の気分ですね。
ぼくはたった2000円プラスで貴族の気分が味わえるなら、といつもこの寝台をとります。
めちゃめちゃ快適です。

博多を出てからの寄港地はこんな感じです。
博多を23時30に出港し、最終目的地の福江港に到着するのが朝の9時。
途中、夜明けの時間に、うっすら浮かび上がる島々を甲板から眺めるのが、この船旅の至福の時間になります。
ほんっっっっっとうに美しいです。ぼくはたいてい寝てて見逃しますが。

そんなこんなな太古の紹介。
この夏、海水浴がしたくなったら、だんぜん五島がおすすめです。
そして、太古での渡航がおすすめです。
おしりとおしりの挨拶をした瞬間、夜明けの島々を見た瞬間、ばかみたいに透き通る海水浴場に立ったとき、
なるほど、これが五島なんだ、と実感できるはずです。

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