2012 年 7 月 のアーカイブ

三國菜恵 12年7月15日放送



遊びの話 安田朗

1991年に社会現象を起こした格闘ゲーム、ストリートファイターⅡ。

彼らが唯一、暗黙のルールにしていたのは
キャラクターをつくっていく過程で
笑いが起きるかどうかということ。

信じられないほど手が伸びるキャラ。
見た目は人間なのに、なぜか緑色のキャラ。
スペイン人の設定なのに、使えるのは忍者の技。

などなど、
チームのみんなが「そんなのありか!」と笑ってしまった瞬間に
ゲームキャラとしてのOKを出していたというのだ。

開発メンバーの安田朗(やすだあきら)はこう語っている。

 デザイナーが思い入れたっぷりにキャラクターを作っても、
 すごいものが生まれるとは限らない。

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中村直史 12年7月15日放送



遊びの話 藤本義一

仕事にまじめに取り組んでいると、
とある面倒な疑問がたちはだかる。
自分には、才能があるのかどうか。
そして、才能がないと思ったときに、どう動けばよいのか。

放送作家の藤本義一(ふじもとぎいち)は、
若いころから才能のかたまりのように見えた。
放送作家であり、劇作家であり、映画脚本家で
小説家、エッセイスト、その他。
20代ではやばやと芸術祭文部大臣賞戯曲部門を受賞すると、
その後書き始めた小説でも、直木賞を受賞した。

文芸の才能にめぐまれ、話せばおもしろく、なんだってできる男。
が、それはもちろん、世間から見た、安易なイメージ。
ものを生みだしつづけるところには、苦しみも、行き詰まりもある。
では、どうやって、それらを乗りこえられるのか。

 行き詰まっても、
 他人がくだらないと評価するようなことを真剣にやっているうちに、
 思いがけない喜びが、天の方からガツンと来よる。
 だから人生も真剣に遊んでたらええのと違うか。

遊ぶ。
それが答え。
みなさん、どうでしょう、真剣に遊んでますか?
天からの思いがけない喜び、味わってますか?

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三國菜恵 12年7月15日放送



遊びの話 すぎやまこういち

讃美歌をうたってくれた祖母。
麻雀名人の父と母。
チンドン屋のおにいさん達。

作曲家・すぎやまこういちは
あそびを愛する大人たちに囲まれて育った。

彼は、ロールプレイングゲーム
『ドラゴンクエスト』の音楽を担当し、
そのメインテーマ曲ができたときのことを
みずからの半生に感謝するかのように
こんな言葉でつづっている。

 あれは、五十四年と五分でできた曲だ



遊びの話 岩谷徹

1980年にヒットしたゲーム、パックマン。
あの特徴的なキャラクターは
ある食べものがきっかけで生まれた。

その食べ物は、ピザ。
開発者の岩谷徹(いわたにとおる)
一切れ食べたときのかたちを見て
「これだ!」と思ったのだという。

最初に女性をターゲットにしようとは決めていて、
「女の子って、ケーキとかデザートとか好きだよなあ」と。
じゃあ“食べる”ことが、なんかゲームにならないかなって。

誰に届けたいだろう。
何をやればその人は喜ぶだろう。
それを四六時中考えていたから、
岩谷には、シェーキーズのピザがパックマンに見えたのだと思う。

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中村直史 12年7月15日放送



遊びの話 夢枕獏

イソップ童話「アリとキリギリス」。
夏の間働きつづけたアリは、冬を越すことができ、
歌い遊んでいたキリギリスは、餓死してしまう。

結論。遊びより、労働。

でも、ちょっと気になる。
キリギリスは、どんな歌を歌っていたのだろう。
アリがキリギリスを応援したくなるような歌なら
食べ物をもらえたかも..

いろんなことを考えさせられる童話であるが、
ちなみに、小説家の夢枕獏は
こんな生き方はどうですか、とシンプルな提案をしている。

アリのように働き、キリギリスのように遊ぶ。

なるほど、それがいい。

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大友美有紀 12年7月14日放送



レイ・ブラッドベリ「「愛するものへの言葉」

2012年6月6日レイ・ブラッドベリが亡くなった。91歳。
アメリカで最も名高い作家のひとりだ。
代表的な作品は『タンポポのお酒』、『火星年代記』、
『華氏451度』、『何かが道をやってくる』。

彼は未来を描く時、テクノロジーを細かく描写することはなかった。
自動車を運転せず、飛行機を嫌い、テレビもほとんど見ない。
2009年のインタビューで、インターネット、電子書籍に
痛烈な言葉を浴びせている。

 この間、ヤフーのCEOが電話してきて、
 インターネットに発表する小説を書いてくれと
 言われたんで、バカ言えと答えた。
 そんなもの書いたって本にはならない。
 コンピューターには匂いがない。
 紙の本には匂いが二つあるね。
 新しい本は、すごくいい匂いがする。
 古くなると、もっとよくなる。

時に、機械に敵対し、テクノロジーを恐怖するSF作家だった。



レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

14歳のころ、ブラッドベリはハリウッドに引越す。
映画好きだったレイ少年は、来る日も来る日も
撮影所のまわりをうろついて、
有名人からサインをもらって写真を撮る。
試写会があればもぐりこむ。
週に4、5本は映画を見ていた。
それがのちに小説家になった時に役立ったという。

 さんざん映画を見たおかげだな。
 見たものを意識下にため込んでいたんだろう。
 つまんないのも、すごいのも、
 いっしょくたに消化吸収していた。
 あとで戻っていって、
 底にたまってたものを さらうんだ。
 そうすれば本を書けるようにもなる。



レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

高校を卒業後、ハリウッドで新聞売りをしながら、
いろいろな雑誌に作品を送り続けたレイ・ブラッドベリ。
そのひとつが女性向けの雑誌「マドモアゼル」。
編集助手として、まだ無名のトルーマン・カポーティが働いていた。
カポーティは、ブラッドベリの『集会』という
吸血鬼ものの原稿を買うことを上司に進言する。

 電報が来たんだ。
 「当雑誌に合うように書き直そうと考えていたんですが、
  この作品に合うように当雑誌を変えることにいたします」
 と書いてあった。
 ハロウイーン号に載ったんだ。話が振るってるだろ?

天才同士の引力があったのだろうか。
この作品がきっかけで、彼は、
ニューヨークの知識人社会に仲間入りした。



レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

レイ・ブラッドベリは、1947年、48年にO・ヘンリー賞を受賞。
短編の名手として地位を確立する。その頃、いろいろな人から
「映画の台本は書かないのか」と聞かれるようになった。
ブラッドベリは「ジョン・ヒューストンに頼まれたらね」と答えていた。
そして試しに短編集を監督本人に送ってみた。
のちにジョン・ヒューストンから電話が入り、
『白鯨』の脚本を手がけることになる。
ところが、破天荒な映画監督から
台本づくりに気持ちが入っていない、と辛辣な言葉を投げつけられる。
ブラッドベリがショックを受けていると、ジョンは冗談だと慰めにくる。
そんなことの繰り返しだった。

二人の亀裂が決定的になったのは、映画『白鯨』のクレジットだった。
共同で脚本を書いたことになっている。彼一人で書いたのに、だ。
ブラッドベリは作家組合に訴えた。
だが、クレジットを変えることはできなかった。
ジョンの存在が大きすぎたのだ。
その経験をもとに小説『緑の影、白いクジラ』を書いた。
二人は果たして和解できたのか。

 彼が亡くなる直前、映画関係者と食事しているとこに出会った。
 僕は近づいていって、ジョンを指差して
 「こちらの方が私の人生をがらりと変えました。良いほうへ。
  今夜、あらためてお礼を言います。
  どうぞ、あちこちで噂をまいてください。
  レイ・ブラッドベリは、ジョン・ヒューストンを敬愛し、
  感謝を忘れない、と」

 
ブラッドベリは人生を愛する作家である。 


por phototop
レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

ブラッドベリは2003年にまとまった短編集を出した。
届いたゲラを見て泣いてしまったという。
それだけのものを一人で書いたとは思えなかったという。

 自分で書いた二百の短編を見てると、
 宇宙への大きな借りがあるんだと、つくづく思う。
 いろんな遺伝子が何かしらのレベルで
 実験を繰り返して、その結果、僕という形態が生じた。
 これは自分で書いたものじゃないって思う。
 ひとりでに書き上がっちゃったんじゃないか。
 やっぱり宇宙からの贈り物だ。

宇宙のおかげで、私たちはブラッドベリの
切なく、妖しく、美しい小説を読むことができるのだ。



レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

その著作が、世界25ヶ国で読まれているブラッドベリ。
人に好かれたいと思い、悪びれることなく名声に浴し、
有名であることを楽しんでいる。

 ビバリーヒルズの街角に立っていたら、
 俳優のシドニー・ポワチエが車で通りかかって、
 車から降りて、大声で言った。
 「ブラッドベリさん、シドニー・ポワチエです。
  大好きです!」
 それだけ言って、また走り出した。
 ああいうことは忘れられない。



レイ・ブラッドベリ「愛するものへの言葉」

2003年、最愛の妻マギーを亡くしたブラッドベリは、
自分の墓は火星に立てたいと言っている。

 できることなら火星に埋葬されたい。
 遺灰はトマトスープの缶に入れてもらいたいな。
 僕の名前のある墓石が火星に立って、
 よく読まれた本の題名も書いておく。
 墓石のてっぺんに小穴を掘って、
 その下に注意書きがあるんだ。
 「献花はたんぽぽに限る」

 
2011年12月、ブラッドベリは『華氏451度』の
デジタル化を許諾した。あれほど嫌っていた電子書籍だ。

 『華氏451度』は社会的批評の要素があるけれど、
 それは冒険物語という全体に隠れているんだ。
 本を燃やしちゃいけないんだ。
 でも、逆のことを言った方がおもしろい。
 本を燃やそう、本は危険だから。
 本を読むと人は考えてしまう。考えると悲しくなる。

 
コンピュータの画面に表示される本は焼くことができない。
未来の禁書隊から逃れることができる。
さようならレイ。
あなたがくれた未来に、たんぽぽの花を捧げます。

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薄景子 12年7月8日放送



1. 冒険の話 シルヴァスタイン

絵本作家、シルヴァスタイン。
彼の代表作でもある
「ぼくをさがしに」という絵本には、
足りないかけらを探して歩く、ぼくの冒険が描かれる。

自分は何がしたいのか。
ほしいものは何なのか。

やっと何かを見つけても、
また違うものを求めてしまうのは、
まるで人生のそのもの。

絵本の中表紙には、

だめな人とだめでない人のために

という献辞が書かれている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



2. 冒険の話 柳田國男

本を読むということは、大抵の場合において冒険である。
だから又、冒険の魅力がある。

こう語ったのは、
日本民俗学の祖として知られる柳田國男。
彼は子どもの頃から
膨大な量の書物に囲まれて育ち、
読書とともに大人になった。

そして、大人になるにつれて痛感するようになったのは、
書物だけで学ぼうとしたら一生かかっても足りない、
という事実だった。

柳田國男は、若干44歳でエリート官僚の道を退いた。
日本中の民間伝承を自分の足で探す冒険に出るためだった。

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茂木彩海 12年7月8日放送


Ako
3. 冒険の話 高橋淳

現役最高齢パイロット、高橋淳。
御年88歳。
空を飛んだ時間、2万5000時間。
師匠と仰ぐ者たちはみな、彼を「飛行機の神様」と呼ぶ。

世界大戦が始まり、軍隊に入った高橋は
戦死することが栄誉だとされた時代、
何が何でも生きて帰ると心に決めていた。
なりたかったのは軍人じゃない。飛行機乗りなんだ。
その気持ちが高橋を守った。

終戦後はプロパイロットの養成に力を入れたが
49歳でフリーのパイロットに転身。
飛行機は車とは違い機体に個性があるため、
免許があっても、すべてを乗りこなせるわけではない。
50種類以上の機体を乗りこなせるのは、今も昔も、高橋だけ。
ひとりでも大丈夫。自信があった。

高橋は言う。

 「せっかく生まれてきたんだから、
 僕は死ぬまで進歩したい。」

生き方そのものを、冒険と呼びたくなる人は
今の世界に、いったいどれだけいるのだろう。

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熊埜御堂由香 12年7月8日放送


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4. 冒険の話 高橋源一郎

小説というものは、
広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から
抜け出す少年、のようなもの。

前衛的な作風で知られる
小説家・高橋源一郎は言った。

学生運動で大学を除籍になり10年ほど、
土木作業員として各地を転々とした。
長く患っていた失語症のリハビリで書き始めた小説が
高橋を広い世界へ連れ出した。

今日も彼は、ひとり机にすわって
どこまでも遠くへいく。

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