2013 年 2 月 のアーカイブ

蛭田瑞穂 13年2月17日放送


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BAUHAUS 5限目「ワシリー・チェア」

1919年にドイツに設立された総合造形学校「バウハウス」。

ハンガリー出身の家具デザイナー、マルセル・ブロイヤーは
1920年から4年間、バウハウスの家具工房に学び、
その後バウハウスの講師も務めた。

マルセル・ブロイヤーの代表作が1925年に製作した、
「ワシリー・チェア」と呼ばれるスチールパイプ製の椅子。
この「ワシリー・チェア」がパイプ椅子の原型といわれる。

簡単に持ち運べ、簡単に折りたためるパイプ椅子の登場は、
巨大なホールに人を集める国際会議やイベントの開催を容易にした。

椅子を単に座るための道具から、
人々のコミュニケーションを助ける道具にする。
デザインにはそのような力もある。

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蛭田瑞穂 13年2月17日放送



BAUHAUS 6限目「抽象画」

抽象画の始祖、ワシリー・カンディンスキー。

カンディンスキーは当初、風景画を描いていたが、
しだいに具象から離れ、単純化された形と色彩から構成される
抽象画に傾倒していった。

絵画とは、直接的に感情に訴えかける音楽のようなものでなければならない。
それがカンディンスキーの信念だった。

抽象画家としての地位を確立したのち、
カンディンスキーはドイツの総合造形学校バウハウスで教鞭を執り、
後進の育成に努めた。

バウハウスでのカンディンスキーの絵画クラスは
多くの学生を集める人気の講座だったという。

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蛭田瑞穂 13年2月17日放送


Marc Wathieu
BAUHAUS 7限目「芸術とは」

1919年にドイツに設立された総合造形学校「バウハウス」の講師に
モホリ・ナギというハンガリー出身の芸術家がいた。

写真やデザイン、彫刻など広範囲に渡って
先駆的な創作活動を行なうモホリ・ナギは、
バウハウスの教育理念を体現する人物だった。

芸術とは何の役に立つのか?
しばしば問われる疑問に対し、モホリ・ナギはこう述べている。

 芸術は感覚の研磨機であり、
 観察力や理性、そして感受性を強くする。

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蛭田瑞穂 13年2月17日放送



BAUHAUS 8限目「閉鎖」

ドイツの総合造形学校「バウハウス」は
1919年の設立からわずか14年で閉校した。

バウハウスが運営されていたのはふたつの世界大戦の間。
ドイツ国内外の政治動乱に翻弄され、
最後はナチスによって閉鎖に追い込まれた。

閉鎖後、講師の多くはアメリカに渡り、バウハウスの教育を世に伝えた。
その教育が20世紀の建築、デザイン界に与えた影響は計り知れない。

バウハウス最後の校長、ミース・ファン・デル・ローエはこう語る。

 バウハウスはひとつの理念だった。
 理念のみがかくも大きく広がる力を持つのである。

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佐藤理人 13年2月16日放送


hugovk
ミカ・ハッキネン①「運転免許」

 フィンランド人を雇えば勝てる

モータースポーツ界にはそんな格言がある。

彼らの運転技術が優れている理由。
それは免許に真剣に取り組む姿勢にある。

濡れた路面や夜間の走行も含め、
免許取得にはなんと3年もかかるのだ。

F1王者に2度輝くフィンランド人レーサー、
ミカ・ハッキネン。

 コーナーは考えながら攻めるのか?

そう聞かれた彼は笑って答えた。

 僕らは子供の頃から走ってるから
 自然と身に付いているのさ。

 イギリス人が25歳になって
 クリケットを習いはじめても、
 真髄を習得するには遅すぎるだろ?

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佐藤理人 13年2月16日放送


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ミカ・ハッキネン②「シス」

フィンランドはSで始まる4つの言葉で有名だ。

サウナ、シベリウス、サンタクロース。
そしてシス(Sisu)。

 フィンランド魂

を意味するこの言葉を訳するのはとても難しい。
英語の「ファイティングスピリット」に近いが、
本来の意味はもう少し複雑だ。

厳寒の長い冬を乗り切るたくましさと、
数百年に及ぶ他国の支配を耐え抜いたしたたかさ。
それは過酷な歴史の中で、
埋み火のように燃え続けてきた不屈の執念だ。

かの国が生んだ最高のレーサー、
ミカ・ハッキネンは言う。

 フィンランドは冬が長い。
 でも解っているんだ。
 太陽は必ず輝く、とね。

どんな劣勢でも
勝負を絶対にあきらめなかったハッキネンは、
あのF1最速の皇帝、

 ミハエル・シューマッハが最も恐れた男

として知られている。

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佐藤理人 13年2月16日放送


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ミカ・ハッキネン③「カート」

初レースの記憶は、父親の心配そうな顔だった。

フィンランド最高のF1レーサー、
ミカ・ハッキネン。

彼がジュニアレースを始めたのは6歳のとき。

  成績が下がったらレースは禁止

そう言われたミカは大嫌いな勉強を頑張った。
両親はそんな彼を力一杯支えた。

毎週末レース場に付添い、
仕事の他にバイトをいくつもかけもちして
レース費用をねん出した。

彼が速くなるにつれて、
家族はやがてチームになった。
家計は苦しかったけれど、幸せだった。

レースはハッキネン家に、
家族が一つになれる
かけがえのない時間をくれた。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン④「Mr.クリーン」

 アイルトン・セナの再来

F1王者は数いれど、
そこまで言われた男は一人しかいない。
フィンランドが誇る最高のレーサー、
ミカ・ハッキネン。

「カミソリの切れ味」と呼ばれた
コーナリングテクニックで彼は、

 悪魔のように速い

と恐れられた。

あまりに速すぎて、
これ以上速く走ることは物理的に不可能と
コンピュータがはじき出したタイムを
上回ったことがあるほどだ。

しかしそれ以上に
彼のトレードマークとなったのは、
そのクリーンなレーススタイルだった。

他のドライバーに
危険なことや意地悪をしたことなど一度もない。

シューマッハをはじめ、ライバルたちはみな、
彼ほどフェアなレーサーはいないと断言する。

ブロックするのではなく、抜き返す。
誰かにではなく、自分に勝つ。

それが常にハッキネンのスタイルだった。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン⑤「最悪のクラッシュ」

どんな天才レーサーも事故と無縁ではない。

フィンランド最速の男ミカ・ハッキネン。

1995年のオーストラリアグランプリで
コンクリートの壁に激突したハッキネンは、
舌を噛み切る意識不明の重傷を負う。

 正面からぶつからなければ、
 恐怖を克服することはできない。

病院のベッドでそう悟った彼は、
翌年の復帰戦を同じサーキットで迎える。

世界が注目する中、
クラッシュしたコーナーを難なくクリアし、
5位という好成績でゴール。

スタッフに拍手で迎えられた彼は、

 5位で騒ぐな!

と悔しがった。

不幸を糧にできるのもまた、天才の所以。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン⑥「最高のオーバーテイク」

2000年F1ベルギーグランプリ。

周回遅れで走っていたリカルド・ゾンタの後ろに
突如2台のマシンが現れた。

トップを争うミハエル・シューマッハと
ミカ・ハッキネンだ。

シューマッハのために左を開けたゾンタを、
右から強引に抜こうとするハッキネン。
しかし右の路面は前夜の雨でびしょ濡れだった。

スピンする!

ハッキネンは迷わずアクセルを踏みこんだ。
時速330km。
世界初の追い越し速度で二人を抜き去り、
彼は見事優勝を飾る。

 20世紀最高

と絶賛されたこのオーバーテイク。
味わった張本人のゾンタは、

 狂ってる!

と思わず叫んだという。

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