2015 年 4 月 のアーカイブ

佐藤理人 15年4月5日放送

150405-05

作家たちの副業⑤ 「フォークナー」

作家ウィリアム・フォークナーの副業は
発電所の管理人だった。

昼起きてから夜勤に向かうまでの数時間を、
若きフォークナーは有効に使った。
そうして生まれたのが出世作「響きと怒り」。

1949年、ノーベル文学賞をもらってからも、
彼の創作意欲はいささかも衰えることはなかった。

 私は魂に動かされたときに書く。
 そして魂は毎日、私を動かす。

書かずにはいられない。その性こそが才能。

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佐藤理人 15年4月5日放送

150405-06

作家たちの副業⑥ 「カフカ」

作家フランツ・カフカの副業は公務員だった。

仕事はラクで短く、
実家暮らしで身の回りの心配もない。
しかし彼は不満だった。

 時間は足らず、職場は不快で、
 アパートはうるさい。

貴重な執筆時間であるはずの夜も、
明日彼女から手紙が来るだろうか、
来るとしたら何時だろうか、
そんなことばかり考えていた。

不眠症のせいで常に不安だったカフカ。
職場にある大きな台車が、彼には、
自分のために作られた棺桶に思えた。

どこへも行けない。何にもなれない。

傑作「変身」は、そんな絶望が生んだ、
やぶれかぶれの願望だったのだろうか。

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佐藤理人 15年4月5日放送

150405-07

作家たちの副業⑦ 「クリスティ」

ミステリ作家アガサ・クリスティの副業は主婦だった。

いや、作家こそが副業だったと言うべきか。
書類の職業欄に彼女はいつも「主婦」と書いた。
作家としての自覚どころか、自分の机さえなかった。

だから、取材があるといつも困った。
記者は必ず机の前で写真を撮りたがるからだ。

一体いつどこで書いているのか。
それが彼女の最大のミステリ。

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佐藤理人 15年4月5日放送

150405-08

作作家たちの副業⑧ 「トロロープ」

作家アンソニー・トロロープの副業は官僚だった。

郵政省で働くかたわら、
19世紀のイギリスで最も成功した作家となった。

 執筆に適した時間は一日3時間

集中力を高めるために
15分できっかり250語書く訓練をした彼は、
自分より時間に厳しい下男が
毎朝5時半に淹れるコーヒーを飲みながら、
出勤前にその日のノルマを書き終えた。

この並外れた勤勉さは
人気作家だった母親の影響である。

彼の母、フランシス・トロロープが
小説を書きはじめたのは53歳。
6人の子供と病気の夫を養うために
お金が必要だったというのがその理由。

彼女は毎朝4時に机の前に座り、
執筆を終えてから朝食の支度をしたという。

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佐藤延夫 15年4月4日放送

150404-01
まあぽん
空海と桜

真言宗の教えを広めるため、東北地方を巡っていた空海。
岩手山が間近に見える場所で農民たちに説法を始めた。
その後、空海は村人の用意した握り飯を食べて休むと
ここに来た記念として、
桜の枝でつくった杖を地面に突き刺した。
杖はすぐに芽を出し、村人たちは大切に育てたそうだ。

そんな伝説の残る桜は、
岩手県雫石に行けば会える。
その名を、七つ田の弘法桜という。

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佐藤延夫 15年4月4日放送

150404-02

謙信と桜

越後の春日山城を本拠としていた上杉謙信は、
ひとたび武田氏や北条氏の軍勢が近づくと
手勢を従えて出兵し、激しい戦闘を繰り返した。

初めて群馬の地、相俣(あいまた)を訪れた際、
謙信は手にした桜の枝を逆さに地面に刺し、
「この枝が芽吹けば幸先良し」と
自らの運命を占ったという。

群馬県の天然記念物にも指定されている桜、
謙信の逆さ桜は、赤谷湖のほとりに
悠然とそびえ立っている。

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佐藤延夫 15年4月4日放送

150404-03
mimin☆
又兵衛と桜

大坂夏の陣に出陣した後藤又兵衛は、
乱戦の中で討ち死にしたというのが通説だが
実は、ひとり落ち延びていた。
そんな伝説が残っている。
頭を丸め僧侶となり、
奈良のとある村で余生を送る又兵衛は
桜を慈しみ、我が子のように大切に育てたそうだ。
後藤家の屋敷跡に今でも残るのは、
樹齢300年を超える枝垂れ桜。

奈良県宇陀市にあるこの老木は、
又兵衛桜と呼ばれ、
毎年、多くの観光客が訪れている。

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佐藤延夫 15年4月4日放送

150404-04
いなぴょん
政宗と桜

わずか23歳で奥州を制覇した伊達政宗。
初陣を飾ったのは、弱冠15歳のときだった。
戦いには多くの家臣が付き添ったが
戦況は芳しくなく、
たったひとりの家来と敗走する羽目になる。
そして辿り着いたのが、桜の巨木の前だった。
大きな桜の根元には空洞があり、
中に潜み身を隠して敵の目をかわし
九死に一生を得たという。
のちに大名にまで出世した政宗は、
このときの恩を忘れず
家臣を遣わし、桜の保護にあたらせたそうだ。

山形県長井市に立つ草岡の大明神桜は
樹齢1200年。
歴史を一身に背負う風格を持っている。

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