宗兄弟 「誕生」
63年前の今日、世界一有名な
双子のマラソンランナーが生まれた。
宗茂・猛の「宗兄弟」。
1980年代、瀬古利彦とともに
日本長距離界をリードした彼らは、
見た目はそっくりなのに中身は正反対だった。
兄の茂は大雑把で天才肌。
練習より調整
と感性のまま走った。
一方、几帳面で努力家な弟の猛は
練習あるのみ
とひたすらトレーニングに励んだ。
兄弟で出場したマラソン大会は22回。
勝ち星は茂が12回、猛が10回とほぼ同数。
ちなみに茂は左利き、猛は右利きと、
利き手も正反対だそうだ。
2016 年 1 月 9 日 のアーカイブ
佐藤理人 16年1月9日放送
佐藤理人 16年1月9日放送
Real Cowboys Drive Cadillacs
宗兄弟 「茂」
世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の兄、宗茂。
現役引退後、監督に就任した彼の元に、
一人の気功師から手紙が届いた。
正直興味はなかったが、
選手たちのケガや故障の助けになればと、
茂はすがる思いでその気功師を訪ねた。
しかし彼はそこで
自分の気功の才能に目覚めてしまう。
監督の職を弟の猛に譲った後、
大学で東洋医学を学び、地元宮崎に
気功の診療所を開いたのは8年前のこと。
心や体の弱った人を助けてあげたい
そう言う彼の診療所には
全国から大勢の患者が訪れるという。
佐藤理人 16年1月9日放送
宗兄弟 「猛」
世界一有名な双子のマラソンランナー
「宗兄弟」の弟、宗猛。
タッチの差でこの世に生まれた性なのか、
猛はレースではいつも兄・茂の背中を追い続けた。
しかし1983年の東京国際マラソンで
茂の自己最高記録を抜くと、1984年のロス五輪では
日本のトップ瀬古利彦を降し4位入賞を果たす。
さらに茂の引退後も現役を続行。
兄より9年も長く走り続けた。
天才肌の兄と努力家の弟。
どちらが優れた選手かはわからない。
ただ、ひたすら走り続けるその後ろ姿は、
努力は決してムダではないことを
私たちに教えてくれる。
佐藤理人 16年1月9日放送
spcbrass
宗兄弟 「モスクワ」
1979年福岡国際マラソン。
モスクワ五輪代表の座をつかむのは
瀬古利彦か、宗茂・猛の「宗兄弟」か。
レースは三つ巴のデッドヒートに突入。
先頭から猛、茂、そして背後から迫る瀬古。
運命の40km地点。宗兄弟は思わず後ろを振り返った。
今だ。瀬古はこの瞬間を4年間待っていた。
振り向くのは苦しい証拠。ラストスパートをかけ、
二位の茂よりわずか2秒差でゴールテープを切った。
宗兄弟と喋っちゃいけない
友達になっちゃいけない
なめられちゃいけない
あいつは違うと思わせないといけない
監督にそう言われ続けた瀬古の執念勝ちであった。
だが半年後、日本はモスクワ五輪をボイコット。
3人の金メダル争いは幻と消えた。
佐藤理人 16年1月9日放送
drp
宗兄弟 「瀬古」
1980年代、日本マラソン界をリードしたビッグ3、
瀬古利彦と宗茂・猛の「宗兄弟」。
地元宮崎が雨の日、兄の茂は弟の猛に言った。
こっちが雨でも東京は晴れている
瀬古は今頃走っているに違いない
東京が雨の日、瀬古のコーチも同じことを言った。
東京は雨でも宮崎は晴れている
宗兄弟は40kmも50kmも走っているぞ
相手が自分より練習していたらどうしよう。
その恐怖に打ち勝つため、
3人は雨の日も風の日も走り続けた。
ライバルは敵じゃない。
自分を成長させてくれるいちばんの味方だ。