2016 年 2 月 のアーカイブ

熊埜御堂由香 16年2月21日放送

160221-08
VisualAge
お酒のはなし 談志師匠

2011年に亡くなってなお根強いファンの多い、
落語家、立川談志。

立川流を立ち上げて、弟子たちをふりまわす日々。
飲みにいくと、こんな調子で、くだを巻いた。
「芸人なら真っ当に働くな、泥棒しろ!でも俺の家はダメだぞ」
その発言は愛とユーモアに満ちていて
みんな談志師匠が大好きだった。

談志がお酒について
こんな名言を残している。

 酒が人間をダメにするんじゃない、
 酒とは、人間はもともとダメだってことを教えてくれるものなんだ。

もし彼がいまも生きていたらきっと弟子たちは
こう返すだろう。

談志師匠、
ダメだっていいじゃない、
まぁ一杯飲みましょうよ。

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東美歩 16年2月20日放送

160220-01

1億5千万のマグロ

すしざんまい創業者 木村清は
年初めの競りで
マグロを高値で競り落とすことで有名だ。
なかでも2013年の初競りは強烈だった。
1億5540万円。
史上最も高い金額でマグロを競り落としたのだ。
争ったのは、中国人オーナーの寿司屋。
無尽蔵の資金力を誇る中国チェーンと、
築地に育てられた日本の寿司屋の、
意地をかけた戦いだった。
身を引いたのは、相手だ。
1億5千万円を超えてなお、
勢いをゆるめぬ木村に、潔く負けを認めた。
「日本の寿司文化は、俺が守る。」
年の初めの築地。
木村は3億円を用意して競りに臨んでいたという。

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東美歩 16年2月20日放送

160220-02

消えた海賊

ソマリアの海は世界でもっとも危険とされる。
海賊がひしめき、襲われる船があとをたたない。
その海に、一人の寿司屋が乗り込んだ。
すしざんまい創業者
木村清だ。
「海賊の話を聞いてみたい」
通訳をつれて、
アフリカの海へと出向いていった。
そこにいたのは、
内戦で仕事を失い、
家族を養うために、
仕方なく海賊となった男達だった。
「俺が、仕事をつくるから」
漁業用の船をもちこみ
海賊に、マグロ業をたたきこんだ。
そして自ら仕入れ先となり、
安定した収入を確保した。
2015年、ソマリアの海から海賊が消えた。

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東美歩 16年2月20日放送

160220-03
kouji hamu
夢は破れるもの

戦闘機のパイロットになりたかった。
中学を出て自衛隊に入隊したが、
目に大けがを追い、夢は断たれた。
それからは
弁護士を目指した。
独学で中央大学法学部に合格。
しかし司法試験には受からなかった。
そして
会社経営をはじめた。
商売は順調に大きくなっていった。
しかしバブルとともに、すべてを失った。
夢は、かなわないことの方が多かった。
木村清。
その後手元に残ったわずかな金で、
寿司屋をはじめた男は、
一代で全国に名を馳せる寿司チェーンを築くことになる。
やってみること。
それが木村の、人生のルールなのだ。

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東美歩 16年2月20日放送

160220-04
m-louis
天才

すしチェーン経営者、木村清。
彼は電話帳や住所録を利用したことがない。
何百という相手の番号と住所を、
すべて頭のなかに記憶しているという。
語学も、学んだ経験は無い。
しかし現地に3日もいれば、
どんな言葉も話せるようになる。
貧しい家庭で育った木村は、
8歳から新聞配達にいそしむ苦学生だった。
限られた時間で学習せざるをえない環境が、
木村のなかに驚異的な記憶力と判断力を育ませた。
経営者となった今、
好んで読むのは量子や素粒子など、
物理学の本だ。
「原理を理解すれば、簡単なんです。」
そうやって独学で身につけた知識から、
経理部が1ヶ月かけてつくった決算書も
5分で読み切ってしまう。
築地に寿司屋を開いたのは
とんでもない天才かもしれない。

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東美歩 16年2月20日放送

160220-05

築地の復活

東京、築地市場。
世界から観光客の集まるこの場所は、
ほんの十数年前まで、
暗いシャッター商店街のような市場だった。
昼にはほとんどの店が暖簾をしまい、
人々は行くあてなく、踵をかえした。
そこに店を立ち上げたのが、木村である。
24時間営業の寿司屋。
斬新な経営で、
昼は観光客、夜はサラリーマン、
そのあとは深夜便で羽田に到着した外国人が
築地に足を運ぶようになった。
150万人に落ち込んでいた観光客は
木村が店を出したその年から盛り返しはじめる。
そして現在600万人に至るという。

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蛭田瑞穂 16年2月14日放送

160214-01

バレンタインデー① Unforgettable

昨年の12月31日、
歌手ナタリー・コールの訃報が世界を駆け巡った。

ジャズ・ピアニスト、ナット・キング・コールの
娘として生まれたナタリー・コール。

1991年に彼女は亡き父の代表曲、
「アンフォゲッタブル」の音源と自分の歌声をオーバーダビングさせ、
時を超えた親子のデュエットを実現させた。

ふたりは歌う。

 忘れられない どんな時も
 あなたは永遠に私の中で生き続ける
 忘れられない人のいることが
 こんなに素晴らしいことならば
 私もあなたの忘れられない人になりたい

今日は愛を伝える日。

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蛭田瑞穂 16年2月14日放送

160214-02
Wilhelmine
バレンタインデー② Endless Love

2013年のバレンタインデーにビルボード誌が発表した、
「名前に“LOVE”がつくラブソング オールタイムベスト50」。

1位に輝いたのが1981年にリリースされた
ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスの
デュエット曲「エンドレス・ラブ」。

 愛しい君
 君は僕のたったひとつの真実

ライオネル・リッチーが歌いかけると、
ダイアナ・ロスが応える。

 私が初めて愛した人
 私の呼吸のひとつひとつ
 歩く一歩一歩があなたそのもの

そしてふたりは声を重ねる。

 あなたの瞳が
 愛の深さを教えてくれる
 あなたは私の永遠の愛

今日は愛を伝える日。

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蛭田瑞穂 16年2月14日放送

160214-03

バレンタインデー③ Way Back Into Love

ドリュー・バリモアとヒュー・グラントの主演映画
『ラブソングができるまで』。
劇中、ふたりがラブソングを共同制作する場面がある。

「歌詞は思い浮かんだことを書けばいいのさ。たかが歌詞なんだから」

そう言うヒュー・グラントに、ドリュー・バリモアが反論する。

「たかが歌詞ですって? あなたは何もわかってないわ。
 メロディが初めて会った人の外見の魅力とすれば
 歌詞はその人を知ることで見えてくる内面の物語。
 ふたつが合わさることで魔法が生まれるのよ」

人は誰もメロディと歌詞を持っている。
恋をすると、その人の歌が聞こえてくる。

今日は愛を伝える日。

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森由里佳 16年2月14日放送

160214-04

バレンタインデー④ 愛を歌う人

ナット・キング・コール。
たとえその名を知らずとも、
彼の遺したヒット曲、
L-O-V-Eを知らない人はいないだろう。

彼は、世界中にこの歌がとどくことを願って、
英語の他に、5か国語もの訳を歌いこなした。
そして、その幸運な5つの言葉の中には、
うれしいことに、日本語も含まれている。

 “L”と書いたらLook at me
 “O”とつづけてO.K.
 “V”はやさしい文字Very good
 “E”と結べば愛の字L・O・V・E

この歌に背中を押された恋は、世界でいくつあるのだろう。

今日は愛を伝える日。

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