2016 年 12 月 のアーカイブ

渋谷三紀 16年12月17日放送

161217-05
hto2008
「君の名は。」と「君の名は」

2016年の大ヒット映画「君の名は。」

若い世代に向けて作られた作品に、
連日50代以上がつめかけているという。

その世代の「君の名は」といえば、
1954年に邦画一位を記録した、
岸恵子と佐田啓二主演のメロドラマ。
ヒロイン真知子の真知子巻きがブームになったが、
新海版とはまったく関係がない。

ちなみに1954年は
シリーズ一作目の映画「ゴジラ」が公開された年でもある。
62年後、最新作の「シン・ゴジラ」と「君の名は。」が
並んでヒットするなんて、
偶然にしては、よくできている。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-01

天才絵師 河鍋暁斎「画鬼」

幕末・明治の人気絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)。

暁斎の最大の魅力は、縦横無尽で多彩な作風。
注文を受ければ来るものは拒まず、
仏画・浮世絵・春画・風刺画と、
あらゆるジャンルを書き尽くした。

そんな自分を暁斎は、画の鬼、「画鬼(がき)」と称した。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-02

天才絵師 河鍋暁斎「熱量」

幕末・明治の絵師、河鍋暁斎。

初めて彼の作品を見るものは、
その熱量と膨大さに圧倒される。
とにかく多作。
1日に200枚の画を描いたこともあったという。

一方で、この多作が仇となり、
美術史の中でもなかなか評価が定まらなかった。

ただ、専門家の評価はともかく、
その驚くべき存在感は誰にも否定できない。
熱狂的なファンも多く、実はタトゥーにもしばしば使われるそうだ。

暁斎の残した熱は、いまも日本人の身体に刻まれている。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-03

天才絵師 河鍋暁斎「早熟の鬼才」

絵師・河鍋暁斎は、圧倒的に早熟だった。
わずか3歳で蛙を写生したという。
その後7歳で浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)に入門し、
9歳になると狩野派(かのうは)に転じて、
19歳という若さで修行を終えた。

幼い頃から、絵に対する貪欲さは強烈だった。
川から流れてきた人の生首を拾って模写し、
周囲をひどく驚かせたという。

また、川遊びで鯉を生け捕りにしたときにも、
暁斎はすぐに写生をはじめ、鱗の数まで正確に描き上げた。
早く殺して食べてしまおうという周囲に対して、

 この鯉はあらゆる部分を写生させてもらった以上我が師だ。
 礼を尽くして天寿を全うさせてやらねばならない。

と強く反対し、逃してやった。

突拍子のない行動は、芸術への探究心の表れであった。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-04

天才絵師 河鍋暁斎「絵日記」

幕末・明治の絵師、河鍋暁斎は
毎日絵日記をつけていた。
そこには人気絵師の賑やかな日々が、
ユーモラスに、生き生きと描かれている。

晩年まで描き続けたはずの絵日記だが、
実は4年分しか残っていない。
見た人がすぐに欲しがるので、
ほとんど人の手に渡してしまったそうだ。

絵日記は2010年に出版され、手にとることができる。
それは、今流行のコミックエッセイの走りのようだ。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-05

天才絵師 河鍋暁斎「コンドルとの交流」

天才絵師・河鍋暁斎は、多くの外国人と親しく交わった。
なかでも、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルとの交流は有名だ。

暁斎の才能に惚れ込んだコンドルは弟子入りを志願し、
暁斎もそれを受け入れた。
明治14年、暁斎50歳、コンドル28歳のときだった。
その2年後には、イギリスの英の字をとって、
コンドルに「暁英(きょうえい)」という名が授けられた。

要職にあったコンドルは最も忙しい時期だったが、
その合間を縫って、暁斎との交わりを心から楽しんだ。
暁斎の絵日記にはたびたび「コンデル君」が登場する。

ふたりは、国籍の違いや師弟の関係を超えて、
親友だったのかもしれない。
明治22年、暁斎が胃ガンでこの世を去ったときも、
コンドルはしっかりと彼の手を握っていた。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-06

天才絵師 河鍋暁斎「動物画」

絵師・河鍋暁斎は、動物画をよく描いた。
猫・犬・猿・虎・・・
優れた伝統技法を用いて、
非常に美しく描かれている。
しかし、暁斎の動物画は、
ただ美しいだけではなかった。

猫の集団がまるまる太ったナマズを狙う
「群猫釣鯰図(ぐんみょうちょうねんず)」。
猫たちは花街の芸者を表し、
長いヒゲを生やしたナマズは官僚を表すといわれる。

暁斎は
かわいらしい動物の姿を通して、
社会に鋭い視線を向けていたのだ。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-07

天才絵師 河鍋暁斎「絵日記」

酒好きで知られた絵師・河鍋暁斎。
明治3年、暁斎は酒に酔って政府を批判する画を書き、
投獄されてしまった。

翌年釈放された暁斎は、
まるで世間に反省を示すように雅号(がごう)を改めて
創作を再開したが、
酒をやめることは、もちろんなかった。

そんな暁斎を、
弟子のコンドルはユーモアあふれる表現で
こう擁護している。

 彼は、その極めて奔放な空想、最も新鮮なる構図、
 および大胆不敵な筆致が、
 酒神(しゅしん)バッカスの力によって生み出されたものであることを
 「わきまえて」いたのだ。

と。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-08

天才絵師 河鍋暁斎「河鍋暁斎記念美術館」

天才絵師・河鍋暁斎の作品は、
埼玉県蕨市にある、
河鍋暁斎記念美術館で見ることできる。

静かな住宅街の中の小さな美術館は、
あの濃密な作風と比べると、
ややアンバランスな印象さえ受ける。

暁斎は、過激で豪快な人柄というイメージがあるが、
実のところ、真面目で気の小さい男だったと言われる。
晩年には狩野派(かのうは)に再入門し、
伝統技法の遵守・継承にも力を注いだ。

喧騒を離れたところに、本質がある。
暁斎は、いまも静かな場所であなたを待っている。

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永久眞規 16年12月10日放送

161210-01

1702年12月14日の雪

 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
 浮き世の月に かかる雲なし

忠臣蔵で有名な大石内蔵助の辞世の句である。

ドラマや映画では雪の降る日に描かれる
吉良邸への討ち入りだが、
実際は前日までに雪は止み、
夜明けの空に月が輝いていたそうだ。

 「浮き世の月に かかる雲なし」

まさに内蔵助の晴れ晴れとした気持ちのような
空だったのだろう。

だが忠臣蔵のイメージといえば、やはり雪なのだ。
復讐の炎が似合うのは、
凍てつくような雪の降る日なのである。

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