叫び 絶叫マシンと老紳士 「そのはじまり」
アメリカのジェットコースターは、
日本のそれとは比べものにならない。
そんな話を聞いたことがある人もいるだろう。
アメリカに、
絶叫マシン設計会社U.S. Thrill Ridesを創業し、
現役設計士として活躍する男がいる。
彼の名前は、ビル・キッチン。
やんちゃな若者かと思いきや、60歳を超える老紳士だ。
40歳の時に、人生を変えるような体験をしようと考え
スカイダイビングに挑戦したのが創業のきっかけだという。
とんでもないスリルの虜になったビルは、以来、
絶叫アトラクションに乗るたびに、
それをいかに面白くするかで頭がいっぱいになり、
ついには会社まで作ってしまった。
初老となったビルの人生は、まだまだ加速中のようだ。
2017 年 7 月 9 日 のアーカイブ
森由里佳 17年7月9日放送
森由里佳 17年7月9日放送
叫び 絶叫マシンと老紳士 「その人生」
絶叫マシン設計会社U.S. Thrill Ridesを創業し、
現役設計士として活躍する男、ビル・キッチン。
これまで数々の新しいジェットコースターを開発してきた。
彼の地元、フロリダの新聞は、
ビルを“inventioneer”として紹介する。
『発明家』のInventorと『エンジニアengineer』を
組み合わせた造語だ。
この表現は的確だと思います。
みんなが楽しめて、いつまでも記憶に残るような体験を思い描き、
それを現実のものにしていくのが私の仕事ですから。
40歳までは、放送業界でサラリーマンとして働いていたビル。
それが一転、発明家・エンジニアとして世界中に作品を送り出している。
その様はまさに、
「人生はジェットコースターのようだ」という言葉がぴったりだ。
森由里佳 17年7月9日放送
Das Bobby 2000
叫び 絶叫マシンと老紳士 「その目指す先」
以前提供したものと全く異なる新しい体験をつくり出したい。
そう語るのは、
120を超える世界のテーマパークに絶叫マシンを送り出す
U.S. Thrill Ridesの創業者、ビル・キッチンだ。
絶叫マシンは広大な面積を必要とするため、
ラスベガスなどの混み合う市街地では、土地の確保は難しい。
そこで、ビルは考えた。
ならば、その分高さで勝負すれば良い。
そして、173メートルもの柱を駆け登るジェットコースター
「The Skyscraper」を構想した。
お客さまの絶叫は、私の笑顔の源です。
そう笑うビル・キッチンの創作意欲は、
60歳を超える今なお、上昇し続けている。
佐藤日登美 17年7月9日放送
叫び 花の叫び1
「廃棄花」。
パーティーやテレビ番組、イベントなどで
一日、ときには数時間だけ飾られ、捨てられる花のことをこう呼ぶ。
この花を助けたい、と立ち上がった女性がいた。
コピーライター・古橋あや香。
古橋は「廃棄花」に「SHY FLOWER」という可愛らしい名前をつけ、
「SHY FLOWER PROJECT」を立ち上げた。
捨てられる運命だった花を回収し、クリエーティブに再生することで
価値を変えるアートプロジェクト。
コンセプトは、
「助けてと叫ぶ事のできないすべての花のために」。
佐藤日登美 17年7月9日放送
叫び 花の叫び2
きれいなまま捨てられる運命にある装飾花をクリエーティブに再生させる、
「SHY FLOWER PROJECT」。
その活動は、花の「救出」からスタートする。
結婚式場や会社の受付などへ赴き、廃棄花を回収。
ドライフラワーや押し花に加工し、新たなアート作品として生まれ変わらせる。
発起人である古橋あや香は当初160軒の花屋に電話したが、
棄てる花を譲ってくれたのはたった1軒だった。
でも、そこからがはじまり。
今ではワークショップやコラボレーションの依頼があとを絶たない。
古橋は言う。
「わたし、執着心が強いんです」
声なき花の叫びが聞けるのは、勢いと情熱があるからこそ。
佐藤日登美 17年7月9日放送
叫び 花の叫び3
「助けてと叫ぶ事のできないすべての花のために」をコンセプトに据える、
「SHY FLOWER PROJECT」。
廃棄される花を回収し、アート作品として再生させる活動だ。
代表の古橋あや香は言う。
私たちの活動を通じて、すべてのお花を救えるとも、
このプロジェクトが世界を変えるとも思っていません。
ただ、大量の生花が捨てられている事実を知り、
いままで当たり前に捨てていたもの、
当たり前に無駄にしていたものを、
ちょっと見つめ直していただけるとうれしい。
古橋が聞いたのは、花の叫び。
耳をすませば、自分の周りにも
声なき叫びを発しているものがいるかもしれない。
それに気付くことも、また才能。
蛭田瑞穂 17年7月9日放送
叫び リンゴ・スターの叫び
1968年にリリースされたビートルズのアルバム、
『The Beatles』に収録された「Helter Skelter」。
今までのビートルズにはない激しい曲をつくりたい。
ポール・マッカートニーはそう考え、
「Helter Skelter」を作曲した。
この曲は最後、リンゴ・スターの絶叫で終わる。
I’ve got blisters on my fingers!
指にマメができちまった!
それはドラムを激しく叩きすぎたためにできたマメ。
ビートルズの4人がどれほど激しい曲をつくろうとしたか、
その叫び声が物語る。
蛭田瑞穂 17年7月9日放送
叫び ジョン・レノンの叫び
ビートルズのデビューアルバム『Please Please Me』は
メンバーがスタジオに10時間こもり、たった1日で完成させた。
当日ジョン・レノンは風邪をひいていた。
アルバムの最後の曲「Twist and Shout」を収録する頃には
声がつぶれる寸前だった。
その時のことをジョンはこう振り返る。
最後の曲で死にそうになった。
何か飲み込むたびにヤスリをかけられているみたいでさ。
しかし、それが功を奏する。
声を振り絞り、激しくシャウトするジョンの歌声によって
「Twist and Shout」はカバー曲にもかかわらず、
ビートルズ初期の代表作となった。