2018 年 9 月 15 日 のアーカイブ

渋谷三紀 18年9月15日放送

180915-01 L’Ubuesque Boîte àSavon
日本美人史(奈良時代)

正史に美しいと称えられた、奈良時代の元正天皇。
35歳の時、未婚のまま母の元明天皇から譲位された。
当時の感覚では初老に近い年齢だが、
譲位の際の詔には、「艶やかで美しい」外見と、
「慈悲深く落ち着いた」内面の美しさが記されている。
9年で律令制を強化し日本書紀を完成させた。
聖武天皇に譲位した後も、
病気がちな皇子にかわり政を務めた。
天平美人は、美しさに逞しさを兼ね備えた
優秀なリーダーだった。


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渋谷三紀 18年9月15日放送

180915-02
日本美人史(平安時代)

平安時代、美人の条件は
切れ長の目、ひょうたん型の顔、長い髪・・・
中でも重要だったのが「知性」だ。
「和歌が詠めること」が美人の絶対条件で、
そうでなければ出会いもなかった。
ちなみに、美人と名高い小野小町の絵や彫像は現存せず、
後世に描かれた絵も後姿がほとんど。
素顔は謎に包まれている。
絶世の美女は妄想から生まれたのかもしれない。


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渋谷三紀 18年9月15日放送

180915-03
日本美人史(平安末期)

武家の時代が訪れ、
雅な平安女性とは一線を画す女性たちが登場した。
中でも女武者の巴御前は
「色白く髪長く容顔まことに優れた」美人でありながら、
敵の首を素手で引き千切った、
なんてエピソードが残されている。
これは極端な例だけれど、
女性らしさなんて、時代と共に変わるものだ。


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渋谷三紀 18年9月15日放送

180915-04
日本美人史(江戸時代)

江戸の街でモテるには、
流行に敏感でなければならなかった。
当時のファッションリーダーは「遊女」。
吉原などで名を馳せた美女「高尾太夫」の
浮世絵は大人気となった。
高尾太夫は11代まで続いたといい、
史実、創作ふくめさまざまな逸話が残っている。
乳母を従え、花魁道中を子連れでこなした「子持ち高尾」は、
ワーキングマザーのはしりといえそうだ。


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渋谷三紀 18年9月15日放送

180915-05
日本美人史(明治時代)

日本でミスコンが始まったのは明治時代のこと。
一般人が参加した初のミスコンは、
明治41年の「令嬢美人写真募集」だ。
1等になった16歳の末弘ヒロ子さんは
退学処分を受けたが、学長の計らいで結婚した。
2等の金田ケン子さんは200通の結婚申し込みを受け取り、
3等の土屋ノブ子さんは化粧品会社の広告モデルとして活躍した。
選ばれるだけではで終わらない。
明治美人は未来を選び取る強さを持っていた。


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