2018 年 9 月 9 日 のアーカイブ

河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜婚約指輪〜

婚約指輪は婚約の証として男性から女性へと贈るもの。

この風習は、古代ローマではすでに行われていたといわれている。
当時は婚約の契約の印として、鉄製の指輪が贈られていた。

15世紀、
ハプスブルク家のマキシミリアン大帝と
ブルゴーニュ公国シャルルの娘であるマリアが婚約する際に、
ダイヤモンドの婚約指輪が贈られた。
これが歴史に残る最初のダイヤモンドが飾られた婚約指輪。

ダイヤモンドは美しい輝きだけではなく、
天然の鉱物の中で最も硬い物質で
「不屈の精神、永遠の絆、約束」を示すといわれ、
「永遠につづく愛のシンボル」として
婚約指輪にふさわしい宝石とされた。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜婚約指輪〜

ダイヤモンドを飾った婚約指輪は長い間、
貴族など裕福な人々のものだったが、
19世紀のおわりになると一般の人々にも広まっていった。

広まった理由の一つに、
1866年に南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見され、
ダイヤモンドを安定的に供給できるようになったことがあげられる。

日本に広まったのは、戦後になってから。
1970年代頃にダイヤモンドジュエリー社デ・ビアス社が
キャンペーンで流したCMがきっかけとされている。

「お給料の3カ月分」というキャッチフレーズとともに、
時代にあわせた様々なカップルのドラマが映し出されたCMは、
当時の日本人にとって印象に残ったことはもちろん、
婚約指輪にはいくらかければいいのだろうという疑問に
「お給料の3カ月分」という答えを提示したのだ。

その結果、多くの日本人が
「給料の3カ月分」のダイヤモンドが輝く婚約指輪を贈るようになった。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜結婚指輪〜

婚約指輪を贈る慣習が古代ローマ時代にはあったのに対し、
結婚の際に、指輪を交換するという慣習ができたのは
9世紀ごろの話。

ローマ教皇ニコラウス一世が
指輪が結婚の証拠になると認めたとされ、
1027年には「花婿は花嫁に金の指輪を、
花嫁は花婿に銀の指輪を交換している」という記録も残されている。

その後、結婚指輪の交換が普及し、
13世紀のヨーロッパでは一般化していったといわれている。

そんなヨーロッパには、
結婚指輪に関する言い伝えもたくさんある。

結婚指輪を交換する際に、新郎が新婦の第2関節まで
指輪を一気に通すことができれば
結婚生活において、新郎が主導権を握れるとか。
結婚指輪が壊れると、
相手が不貞を働いた印であるとか。

そして、この言い伝えもその一つ。
結婚指輪は、左手にはめるべし。
左手の薬指には、心臓につながる太い血管がある。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜ウェディングブーケ〜

結婚式の象徴ともいわれるウェディングブーケ。

古くから、
ヨーロッパでは、男性が女性にプロポーズをするときに
野の花を摘み、花束にして女性に贈り、結婚を申し込んでいた。

プロポーズの返事がYesなら、花束の中から一輪抜き取り、
男性の胸ポケットに差し込む。

この慣習が、現在のブーケとブートニアの元になったと言われている。

18世紀になると、
花言葉に関する書籍が多く出版されるようになり、
恋人たちは自分の想いにあった花を選び、
気持ちを花言葉に重ねて贈りあったんだとか。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜ブーケトス〜

教会から出てきた花嫁が
後ろ向きで投げた花束をつかみ取ることができたら、
次の花嫁になることができるとされる結婚式でのブーケトス。

このブーケトスは、
14世紀ごろのイギリスでの風習からはじまったとされている。

当時の結婚式では、
花嫁の幸せにあやかろうと参列者たちが
花嫁のブーケや小物を取ったり、ドレスを引っ張ったり。

こういった行為が頻繁に行われるようになり、
花嫁にとっても、参列者にとっても、危険だと考えられ、
それなら、あらかじめ「次の幸せ」を分け与えるという意味で
持っていた花束を投げてしまおうということではじまったのだ。

多くの女性が目を輝かせ、
「絶対に、わたしが…!」と、
ブーケが投げられる瞬間に胸を高まらせている女性の姿は
14世紀も、今も、変わらないのかもしれない。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

ウェディングケーキの歴史は、
古代ギリシャまでさかのぼると言われている。

古代ギリシャのケーキは、
生きていくのに欠かせなかった主食の小麦でつくられた
小さく堅いビスケットであった。

ひとかけらのビスケットを粉々に砕き、
良き収穫と子宝に恵まれるようにと願いを込め、
花嫁の頭上に撒いていたんだとか。

そして、花嫁の頭上で砕かれたビスケットのかけらには、
幸運が宿るとされ、
招待客は、その砕けたビスケットを競うようにして
拾い集めていた。

当時のウェディングケーキには、豊かで幸福な人生への願いと
それをみなで分かち合おうという想いが込められていたのだ。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

私たちがウェディングケーキと聞いて
真っ先にイメージするのは、
「花嫁と花婿が入刀する白い3段重ねのケーキ」ではないだろうか。

18世紀のウェディングケーキは、
砂糖漬けのフルーツやナッツをパウンド生地に入れて焼いた
いわゆるフルーツケーキ。
19世紀半ばの1840年、
イギリスのヴィクトリア女王の結婚式でも
直径90cm、重さは136kgもある巨大なフルーツケーキが用いられた。

ケーキ表面は、
砂糖と卵白を練り合わせたアイシングで華麗な装飾がされていた。

この結婚式以降、
ケーキもドレスと同じように華やかで白いものという文化がうまれ
時を同じくして砂糖の値段も下がったため、
白いケーキが愛されるようなっていった。

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河田紗弥 18年9月9日放送

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Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

1858年、ヴィクトリア女王の長女であるビクトリア王女が
プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム王子との結婚の際に、
「ロンドンのセント・ブライド教会にそびえる鐘楼をモデルにした
円柱型のウェディングケーキ」を委託した。

高さ約2.1mにもなる巨大でエレガントなケーキは
一流の菓子職人が4人がかりで7日間の日数をかけて制作されたと言われている。

3段構造になっていて、
上の2段はすべて砂糖細工によってつくられ、
食べられるのは一番下の段だけであった。

この大きくて、華麗なウェディングケーキに憧れ、
一般市民もこぞってこのタワー構造のケーキを真似したため、
瞬く間に広まっていった。

こうして、現在「伝統的なウェディングケーキ」といわれる
白い3段重ねのケーキはうまれたのであった。

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