oschene
一枚の、楽譜
ヨハン・セバスチャン・バッハ晩年の楽曲集「音楽の捧げもの」に
「蟹のカノン」と呼ばれる作品がある。
正式な曲名は「2声の逆行カノン」だが、
その独特なコード進行が横歩きの蟹を思わせるため、
「蟹のカノン」と呼ばれるようになった。
「蟹のカノン」の楽譜は音符が回文のように並んでいる。
そのため、前後どちらから演奏しても楽曲が成り立ち、
ふたりの奏者が同時に前後から演奏すると素晴らしいハーモニーが生まれる。
さらに、最初と最後の音がつながるため、曲は無限にループする。
一枚の楽譜の中にバッハは無限の創造性を生み出す。
2018 年 12 月 16 日 のアーカイブ
蛭田瑞穂 18年12月16日放送
蛭田瑞穂 18年12月16日放送
一枚の、暗号文
1822年、ヴァージニア州リンチバーグのホテルのオーナー、
ロバート・モリスはトーマス・ジェファーソン・ビールという人物から
3枚の暗号文を託された。
モリスは解読を試みたが叶わず、亡くなる直前に友人に託すと、
友人は2枚目の暗号文の解読に成功した。
そこには約73億円に相当する財宝を
ヴァージニア州ベッドフォードのとある場所に埋めた、とだけ記されていた。
残りの暗号を解読できなかった彼は
全文を世間に公表したが、今に至るまで解読できた者はいない。
この暗号は「ビール暗号」と呼ばれ、
史上最大級の暗号ミステリーと言われている。
佐藤日登美 18年12月16日放送
dullhunk
一枚の、絵画
覆面芸術家、バンクシー。
社会風刺的なアートを繰り広げる彼の作品が、
サザビーズのオークションに出品された。
風に飛ばされる赤い風船に手を伸ばす少女が描かれた、「Girl with Balloon」。
注目を集めたその作品は100万ポンドで落札された。
しかし、その直後。
落札を知らせる木づちが響き渡った瞬間、
「Girl with Balloon」は額縁から滑り出るようにして切り刻まれた。
突然の出来事に会場は凍りつく。
実はこの仕掛け、何年も前からバンクシー本人が絵画に仕込んでいたという。
落札が決まった瞬間、遠隔操作でシュレッダーを作動させたのだ。
「芸術なんて所詮、一枚の紙だろう?」
とバンクシーは言っているのかもしれない。
佐藤日登美 18年12月16日放送
一枚の、包装紙
一枚の包装紙にも、物語がある。
老舗百貨店、三越のオリジナル包装紙「華ひらく」もそのひとつ。
画家・猪熊弦一郎が千葉の犬吠埼海岸を散策しているとき、
波に打たれて角がとれた丸い石を見て
「波にも負けず頑固で強く」をテーマにデザインしようと思いつき描かれた。
その作品を受け取りに行ったのが、
当時三越に勤めていた漫画家・やなせたかし。
やなせがローマ字で「mitsukoshi」のロゴを書き添え、包装紙は完成された。
日本の百貨店では初めての、オリジナルのラッピングペーパー。
今日も、誰かへの贈り物が包まれている。
森由里佳 18年12月16日放送
一枚の、広告
三年間留学して語学を身につけたのち外交官に採用される、
という外務省による留学生の募集広告。
それが一人の青年の目に留まったのは、
早稲田大学の図書館でのことだった。
学費を自ら稼いでいた彼は、
これなら思い切り英語の勉強ができる!と喜び、猛勉強。
一か月後に迫っていた試験を見事に合格してのけた。
青年の名は、杉原千畝。
この一枚の広告との出逢いが、
約20年後、
ナチスの迫害から逃れた多くの避難民を救うことになった。
森由里佳 18年12月16日放送
一枚の、ビザ
その一枚の紙さえあれば、国を出られる。
ナチスの手が刻々と迫るリトアニアでは、
ユダヤの人びとがビザを求めて各国の領事館に押しかけた。
戦争が激化する1940年当時、
リトアニア・カウナスの日本領事館に赴任していた
外交官・杉原千畝は頭を抱えていた。
彼らの願いに応えることは、
国命に背く行為だった。
だが、杉原は知っていた。
たった一枚のその紙で、人の命を救えるということも、
その権限が、自分の手の中にあるということも。
悩んだ挙句、杉原は、帰国する日まで
およそ2139通のビザを発行し、6000人の命を救った。
星合摩美 18年12月16日放送
一枚の、白紙
日本には手紙を一枚で書き終えた場合、
もう一枚白紙を添えるという習慣がある。
由来は諸説ある。
昔は紙が貴重品であったため、返信用に添えたという説。
文面は短くなってしまったが、
本当はもっと書きたいという気持ちを表したという説。
裏側から透けて、他人に読まれるのを防ぐためという説もある。
いずれにせよ、一枚の白紙には相手への敬意と気遣いが込められている。
今日は紙の記念日。
メールやSNSも便利だけれど、
たまには大切なひとに、一筆いかがですか。
星合摩美 18年12月16日放送
一枚の、折り紙
一枚の紙から鶴が生まれ、朝顔が咲く。
日本のおりがみの歴史は古い。
平安時代にはすでにカエルの折り方があったという。
おなじみの鶴ややっこさんが登場したのは、室町時代と言われている。
とはいえ当時、紙は高級品。
庶民が遊ぶようになるのは、
和紙の生産量が増えた江戸時代に入ってからのこと。
現代ではおりがみは遊びの枠を越え、
リハビリや、人工衛星の太陽電池パネルの設計にも応用されている。
話題の山手線新駅「高輪ゲートウェイ」の屋根のデザインも、
おりがみをモチーフにしたという。
おりがみの歴史は未来へと続く。