2019 年 4 月 6 日 のアーカイブ

佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 プトレマイオス

太古の昔から、人は空を眺め、
頭上に広がる宇宙を地図にしようと試みた。

天文学者プトレマイオスの提唱する天動説が主流だった時代。
その地図も、地球を中心に据えたものがほとんどだった。
一枚の絵の中に、月食の様子や、
月の満ち欠けが説明されており、
地球の周りを、太陽や惑星の入った透明な球がまわっている。

月より遠くにあるものは、全てエーテルでできている、と考えられていた。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 ニコラウス・コペルニクス

1543年、
宇宙に対する考え方は、大きな転換期を迎える。
太陽系の存在を唱えたのは、
ニコラウス・コペルニクス。
しかし、教会が容認しない状況が続き、
100年以上、地動説が日の目を見ることはなかった。
コペルニクスの地図には、
中心に太陽があり、
そのまわりをいくつもの惑星がまわっている。

いたってシンプルな絵が、宇宙の真実を示していた。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 ティコ・ブラーエ

16世紀に活躍したデンマークの天文学者、ティコ・ブラーエ。
王の支援を受け、コペンハーゲンの島に天文台を建てると、
肉眼で数多くの精密な観測を行なった。

彼は、コペルニクスの地動説を否定はしないものの、
その前に主流とされたプトレマイオスの天動説との折衷案を提唱した。
これを修正天動説と呼ぶ。
太陽と月、12星座は地球のまわりを回る。
ほかの惑星は、太陽のまわりを回っている、というものだ。

地球はあまりに巨大で、公転できない。
その理由で、再び宇宙の中心は地球に戻された。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 アンドレアス・セラリウス

1660年。
地図製作者のアンドレアス・セラリウスは、
コペルニクスの説をもとに宇宙の地図を描いた。
それより50年前、望遠鏡が発明され、
月の表面がでこぼこしていることや
惑星がちゃんと丸いこと、
なによりも、宇宙には無数の星が存在することがわかった。
セラリウスの地図は、
擬人化された太陽が
中央から放射線状に光を放ち、
オーブをまとった星たちは、
そのまわりをぐるぐると回っている。

なお、宇宙を取り囲むように
12星座が描かれている。

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佐藤延夫 19年4月6日放送


Evgeni Zotov
宇宙の地図 敦煌

星の場所を表す星図で最も古いものは、
中国北西部、敦煌の代表的な石窟(せっくつ)、莫高窟(ばっこうくつ)で発見された。
唐の時代の巻物で、
7世紀から10世紀あたりまで遡る。
この天文図では、
1339個の星が名前付きで記されている。
それは、中国から見える北半球の星のすべてだった。

宇宙を示すこの地図は、
シルクロードを渡ったのだろうか。

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