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中村直史

中村直史 12年5月13日放送


カクテル・ストーリーズ/開高健のブラッディマリー

氷を入れたタンブラーにウォッカを注ぎ、トマトジュースを入れる。
お好みで、コショウ、タバスコを少々。
それが「ブラッディ・マリー」の一般的なレシピ。

「血まみれのマリー」という恐ろしげな名前がついたこのカクテル。
あの開高健先生によれば、ひとりの恐妻家の男が発明したのだ、という。

夫は家で酒を飲みたいが
妻が怖いのでおおっぴらには飲めない。
そこで台所で隠れて飲むのだが
琥珀色の液体を飲んでいては
「何ウイスキー飲んでるの!」と怒鳴られる。
あぶくのたつ液体をのんでいると、
「ビールね!」とこれまた怒られる。

そこで、透明なウォッカにトマトジュースをほうりこんで
コショーだなんだと、ありあわせのものをほうりこむことで、
厳しい妻の目をごまかしたのだ、と。

カクテルは、クリエイティブなお酒。
作り手と飲む人の発想力を鍛えてくれる。

カクテル・ストーリーズ#5
「開高健のブラッディマリー」

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中村直史 12年5月13日放送


カクテル・ストーリーズ/サマセット・モーム

シンガポール、ラッフルズホテル。
このホテルを定宿にしたのが
イギリス人作家サマセット・モーム。

とある日のこと。
ラッフルズのバーで飲んでいたモームにバーテンダーが尋ねる。

「次は何をお飲みになられますか?」
「では、この美しい景色を」

モームは窓の外に沈みゆく太陽を眺めながら答えた。
そして生まれたカクテルが、シンガポールスリング。
・・・話の真偽は定かではないけれど、
数々の逸話が生まれるのもまた、愛されるカクテルの特徴。

カクテル・ストーリーズ#7
「シンガポールスリング」

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五島のはなし(176)



春の海は一気に潮が引くから、うかうかしてられない!
ぼーっとしてるとほら・・・



海に帰れなくなってしまったり。

そして、そのすきに人間たちは掘る!掘る!掘る!休んでは、また掘る!
一度掘りだすと掘るという行為の魔力にとりつかれてしまう、
潮干狩りシンドロームにあなたはかかったことがありませんか?



食べる分だけ、行けばとれる。
ずーっとそんな海だったらいいんだけどなあ。

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五島のはなし(175)




ピィピィピィとさえずるひばり
さえずりながらどこまであがる
高い高い 雲の上か
声は聞こえて見えないひばり
(文部省唱歌)

ゴールデンウィーク、五島の鬼岳は、ひばりの声がすごかったです。
超サラウンド効果。
東京に戻ってきてからも、耳から離れません。

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五島のはなし(174)



フェリーのつく大波止ターミナルから北西へ20分くらい歩くと
こんもりした山があります。通称「こんぴらさん」。

山道を歩くと、岩肌に彫りこまれた仏像を見ることができます。
磨崖仏(まがいぶつ)というらしいですね。



だれが彫ったんでしょう。
彫るという行為は、気持ちを込めることと直結してる感じがします。



五島の人が日ごろ祈りをささげる場所なんですかね。
子どもの頃は遊びまわってるだけで、あんまりそんなこと考えたことなかった。



やっぱ腹八分が大事らしいっすよ。



山頂近くには祠があって、その前に何体かの狛犬(こまいぬ)がいたのだけど、
月日がたち過ぎたんでしょう、狛犬がにらんでいるのか、笑っているのか、はたまた嘆いているのか、
よくわからない顔になってた。人間も歳とるとそうなるのかな。
なんか、いろいろ許してくれそうな顔です。
そもそもこれ・・・狛犬?

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五島のはなし(173)



五島では5月5日こどもの日に、おふろに「菖蒲(しょうぶ)」の葉をいれて、
それを頭に巻く(頭が良くなるように)、
おなかに巻く(おなかがいたくならないように)、
そのほか、健康が気になる部位に巻く、という慣例がある。
これ、全国的なこと?
五島だけ?・・・ってことはないですよね。

こどものためにやるものなんですが、
切なる願いをこめて、ぼくは、自分の頭に何度も巻きつけてきました。

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五島のはなし(172)

くちびるに歌を

Vision執筆者のひとりでもある先輩コピーライター
蛭田さんとお昼ご飯食べていたら、
「五島っていえばさあ・・・」
と、最近蛭田さんが耳した情報を教えてくれた。

なんでも五島の中学校を舞台にした物語がヒットしているとのこと。
調べてみたら小説だった。

「くちびるに歌を」 中田永一

舞台となっている中学校は、城跡に建てられている、という設定だと聞いて、
それはぼくの母校五島高校をモチーフにしてるのかな?と想像した。
にしても、なんで五島が舞台なのだろうか。
作者がゆかりがあるのか、たんに訪れてみて、舞台設定にぴんとくるものがあったのか。

すばらしい小説らしいので、
すこしでも五島が役にたったのなら、うれしい。

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中村直史 12年4月15日放送

Berliner Büchertisch
いつまでも素敵な女性/ハイデマリー・シュベルマー

そして、その女性は、一文無しになってしまった。
理由は、借金をつづけたからでも、事業に失敗したからでもない。
ただ、お金を持っていたくなかったから。

ドイツに住むハイデマリー・シュベルマー。
お金にふりまわされるこの世界はどうもおかしい、と、
ある日、持っているお金をすべて手放した。
家も手放し、年金も放棄。
市場で捨てられた野菜をわけてもらい、
スーパーの掃除をした見返りに果物をもらい、
友人宅を泊まり歩く。

 すべてがなくなったら、一気に開放された気持ちで、
飛びあがりたいほどうれしかった!

そうにこやかに語るハイデマリー。
世の中の人は言う。あなたのようには生きられない、と。
・・・でもぜひ話を聞かせてほしい!いつでも泊まりにきて!
そうやって、つぎからつぎへと、彼女の生活を支える人はふえていく。

一文無しになって14年。
お金にしばられた世界のおかしさを訴えつづけるハイデマリーの生き方は、
実は、世界がやさしい気持ちに満ちていることも、示している。

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中村直史 12年4月15日放送

よしぼー
いつまでも素敵な女性/村山キヨ

沖縄のおばあちゃんたちは、
愛情と敬意をこめて「おばあ」と呼ばれる。

宮古島・西原地区の村山キヨさんは、そんなおばあのひとり。
そして、その地方に古くから伝わる歌、
「古謡」の伝承者として知られている。

前の世代から受け継いだ数々の歌を、残らずぜんぶ記憶している。
そのヒケツを聞かれたキヨおばあはこう答えています。

 今の若者は紙に書くから、紙が覚える。
 自分たちは紙に書かないから、頭が覚える。

おばあちゃんの言うことって、深みがあります。

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中村直史 12年3月11日放送

カマスキー
言葉・2011/立川志の輔

立川志の輔は重い気持ちだった。
毎年恒例のタイ・バンコクでの落語会。
が2011年の春は、日本を離れて落語をやることに
ぬぐいきれない罪悪感があった。
そんな気持ちをひきずったまま、タイにたどりついた。
そして、苦手な入国審査。
人の心や情を語り続ける落語家にとって、
人格を無視したような審査は大の苦手だった。
おそるおそるパスポートを手渡す。じろりと荒探しするような眼。
コンピュータを見て、スタンプを押し、パスポートを返す。ここまではいつもと同じ。
ただ次の瞬間、タイの入国審査官は、にっこりと笑みを浮かべると、
片言の日本語で「お気をつけて」と言った。

オキヲツケテ!

日本が大変な状況になっているいま、
自分たちにできることは何だろうとタイの空港職員たちは話し合い、
そして実行したのは「笑顔で一声かけること」だったという。

ちょっとしたこと。自分にできること。
何かを変えられるかもしれない、第一歩のこと。



cyber
言葉・2011/嶋基宏

東北楽天ゴールデンイーグルス選手会長、嶋基宏。
彼が行った2011年オールスターゲームでの
スピーチにはこんな一文が含まれていた。

僕たち野球選手の使命は、野球の魅力や、
そこから生まれるドラマを通じて、
「ヒトの生きる力」に貢献する事だと思います。

嶋選手の言葉を聞いて考えさせられた人は少なくないと思う。
「ヒトの生きる力」に貢献すること。
どんな職種の人だって、それが使命なのかもしれない、と。

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中村直史 12年2月5日放送


野球をおもしろくした男たち/福本豊

現役時代、名捕手として知られた野村克也は、
キャッチャーの技術を鍛えてくれた人、として
福本豊の名前を挙げる。

福本豊
通算盗塁数1065
最高シーズン盗塁数106
日本が世界に誇る盗塁王。

「福本は・・・」と野村は困ったように言う。
「走ると思えば走らないし、走らないと思えば走る」

福本豊の長所はまさにそこにあった。
つまり、次にどうくるか、「読めない」。

そして解説者になった今も、福本豊は、
持ち前の「読めなさ」で、プロ野球中継を盛り上げている。

盗塁のコツを聞かれて、
「まず塁に出なあかんなぁ」

さらには試合の解説中、アナウンサーにいまのピッチャーの心理は?と聞かれ、
「わからん」

キャッチャー泣かせだった男は、
いま、実況アナウンサーを泣かせている。




k_haruna
野球をおもしろくした男たち/赤星憲広

赤星憲広(あかほし のりひろ)
「赤い彗星」のニックネームで愛された
元・阪神タイガースのスピードスター。

得意としたのは盗塁。
あるとき「盗塁の秘訣」について質問された。

インタビュアーは赤星らしい独特の理論を期待したが、
意外な答えが返ってきた。
盗塁のコツは「勇気」。赤星は言った。

僕にとって盗塁の数は勇気の証です。

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中村直史 12年1月22日放送


立川談志という男

2007年1月。渋谷パルコ劇場。
落語をやり終えた立川志の輔は、
割れんばかりの拍手を受けながらも、いまだ緊張しているように見えた。

客席に師匠、立川談志が来ていた。
談志が弟子の落語を客席から見るのは極めてまれ。
しかも芸に厳しい談志。
客の前であろうと、何を言い出すかわからない。

「本日は客席に私の師匠、立川談志が来ております」
志の輔が紹介をした。

談志はすっと立ち上がると
ステージの志の輔に向かって、無言で親指を立てグーサインを出した。
深々とおじぎをする志の輔。
どれほどの賛辞か、本人が痛いほどわかっただろう。

立川談志は死んだ。
けれど、談志は生きている。
たとえば、志の輔の落語の中にも。






立川談志という男

精神に肉体が追いつかない。
病と老いに、談志はとまどった。
いらだち、眠れない日々がつづいた。

ヒツジを数えて寝ようとすると、無限に数えてしまう。
だから、キリのあるものにしようと思って
鈴木と名のつく人を挙げてみる。
すると記憶のひだの中から
有名人、無名人、過去の人、いまの人、いくらでも名前が浮かび上がる。
そしてまた眠れない。

ずば抜けた記憶力が
天才、立川談志の芸を支え、
同じくらい苦しめていたかもしれない。





Jaidn
立川談志という男

立川談志が落語に追い求めた「イリュージョン」を受け継いでいる。
そう評されたのが、弟子、立川志らく。

志らくは最後に談志を見舞った日、
心の中でお別れの言葉を言ったという。

 師匠、私がいるから、落語は大丈夫です。

立川流を名乗る者として、
それ以上の別れの言葉はなかった。


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中村直史 11年12月04日放送


男たちは旅をする/咸臨丸の水夫たち

咸臨丸と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
咸臨丸。江戸幕府の威信をかけて、太平洋を横断した船。

真っ先に浮かぶ名前は、艦長勝海舟。
同乗者に福沢諭吉、ジョン万次郎。
いずれも、帰国後日本の礎を築いた人々だ。

けれど、日本に帰れなかった者たちもいた。

苗字も持たぬ咸臨丸の水夫たち。
長崎出身の峯吉(みねきち)、香川出身の富蔵(とみぞう)、
そして源之助(げんのすけ)。

夜明け前の日本の夢を乗せて運び、
旅先で静かに息を引き取った3人の水夫。
歴史の試験に出てくることはないけれど、
文明開化の立役者である。




男たちは旅をする/司馬遼太郎

「アメリカに行きませんか」
新聞社の企画として、アメリカの紀行文の依頼を受けたとき、
司馬遼太郎は「とんでもない」と思った。
自分にとってのアメリカは映画や小説の中で十分。
安易に知らない国に出かけるのはどうも気が進まない。
けれど、友人のつぎの一言で、なぜか気持ちが変わる。

 アメリカという国がなければ、この世界はひどく窮屈なんでしょうね。

司馬遼太郎は思った。
日本をふくめ、世界の人々はその国独自の「文化」に
いつの間にか、がんじがらめになっている。

そんな「文化」の対極にあるのが、アメリカが生み出している「文明」なのではないか。
ジーンズしかり、ハンバーガーしかり、ポップミュージックしかり、
どんな文化にも受け入れられるフォーマットが「文明」。
アメリカは歴史上久々に現れた巨大な文明発生装置だ。

興味がわいた。
少しだけ安易な気持ちになれた。
行ってみるか。

その心変わりがあったおかげで、私たちは、
名著「アメリカ素描」を読むことができる。

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中村直史 11年11月20日放送


言葉のはじまり/池田菊苗

「うま味」という言葉を英語で言うと・・・?
答えは、UMAMI。
世界には、UMAMIに相当する言葉がない。
そもそも旨味という概念がなかった。
帝国大学理学部教授 池田菊苗(いけだきくなえ)が、世紀の大発見をするまでは。

いまから100年以上も前、
甘味、酸味、塩味、苦味以外に、
味覚の基本となる物質があると信じ、探し求めた池田。

日本で長らく「ダシ」として使われてきた昆布に着目し、
ある物質を分離することに成功した。
物質の名は、グルタミン酸ナトリウム。

この発見に日本中が驚いた。
けれど、池田のすばらしい仕事は、成分の発見にとどまらなかった。
それは「うま味」というネーミング。
たった3文字のこのすばらしい名前が生み出されたために
この発見は、科学界だけでなく、みんなのものとなったのだ。

わたしたちがおいしい料理に舌鼓をうつとき、
何気なく使ってる「うま味」という言葉。
そこには、味わい深いストーリーがかくされていた。

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中村直史 11年11月20日放送


言葉のはじまり/鈴木昭

「激辛」という言葉はあるお店から生まれた。
そう聞くと、カレー屋かラーメン屋を想像する。
けれど激辛の発祥はせんべい屋だった。

東京の老舗、神田淡平(かんだあわへい)。
店主、鈴木昭(すずき あきら)がつくりだした新しいせんべいは
まるで唐辛子の塊のようだった。その名も「激辛」。

ネーミングのインパクトもあり、いつしか激辛せんべいは大ヒット。
その後の激辛カレーや激辛ラーメンへとつながり、
1986年には流行語大賞銀賞にも選ばれた。

激辛せんべいの燃えるような味とネーミングが、
まさに、ブームに火をつけたのである。

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