derfian
A lover of dogs – 畑正憲
畑正憲。通称ムツゴロウさん。
動物にまつわるエッセーや番組で知られる彼は
犬がキライ、コワイという人に対して
こんな意見を述べている。
犬と付き合えない?
人間が持っていない能力や賢さを持っている犬と、
一生付き合えないなんて、
あなたはずいぶん損をしていますよ
犬の能力、犬の賢さ、
あなたも知ってみたくないですか?
derfian
A lover of dogs – 畑正憲
畑正憲。通称ムツゴロウさん。
動物にまつわるエッセーや番組で知られる彼は
犬がキライ、コワイという人に対して
こんな意見を述べている。
犬と付き合えない?
人間が持っていない能力や賢さを持っている犬と、
一生付き合えないなんて、
あなたはずいぶん損をしていますよ
犬の能力、犬の賢さ、
あなたも知ってみたくないですか?
A lover of dogs – 菊池寛
菊池寛。
大正から昭和初期に活躍した小説家であり、実業家。
そんな彼が小学生向けの文学全集で『フランダースの犬』の
日本語訳をしていたのをご存知だろうか?
その一部分を紹介しよう。
おじいさんと子供の親切な心が分ると共に、
パトラッシュの心の内には、生れてはじめて
愛というものが、非常な力で湧き上ったのでした。
そしてその愛は、その後一生、パトラッシュが
死ぬまで、一度も鈍ったことはありませんでした。
この和訳の7年後には『私の犬達』というエッセーも
書いている。書き出しはこうだ。
僕は、愛犬家と云うほどではないが、
犬は好きな方である
「犬は好きな方」と自称する菊池寛はブルテリア、
ポインター、柴犬、マルチーズ、グレイハウンド、
シェパードと様々な犬と共に暮らした。
特に気に入っていたのはグレイハウンドだった。
川端君は「この犬は鼻の黒くないのが欠点だ」
と言うがそんなことは気にならない。
どこか人間に似ていて、とても人懐っこい犬である。
雨が降ったら家に上げる。
万年筆を何本も噛み砕かれてしまった。
競馬・麻雀・お金などに関する破天荒なエピソードが多い
菊池だが、こんなに犬好きだったとは。『私の犬達』には
こんな一文もある。
妻は「家を建てるか、犬を飼うのをよすか」と
二つに一つを選べと、自分に迫るのである
家と犬を天秤にかけるなんて…
立派な愛犬家だと思いますよ、菊池先生。
stridzio
A lover of dogs – チャールズ・M・シュルツ
13才の時に飼った一匹の雑種犬が、
ひとりの少年の人生を大きく変えた。
あの有名なスヌーピーの生みの親、
チャールズ・M・シュルツ。
人間の言葉を理解しているとしか思えない。
愛犬との友情が創作意欲をかきたて、
後に50年も連載がつづく、
チャーリー・ブラウンと
スヌーピーの物語が生まれた。
チャールズ・シュルツはこんな言葉を残している。
幸せというのは、あたたかい子犬のことである
少年が抱いた子犬が、世界中を笑顔にしている。
A lover of dogs – 西郷隆盛
江戸時代、京都祇園の料亭。
朝まで芸者と大騒ぎとなる所が、
西郷隆盛は違かったそうだ。
お昼に愛犬「寅」とやってきて、
鰻を食べてすぐに帰ったという。
どこへ行くのも愛犬と一緒だった西郷。
今は、上野からどこを旅してるのだろう。
A lover of dogs – ジークムント・フロイト
犬は、
純粋に愛することが出来ず常に愛と憎しみを
対象関係に抱いてしまう人間とは全く違い、
友達を愛し敵に噛み付く。
愛犬ジョフィに対する思いをこう語ったのは、
オーストリアの精神科医であるフロイト。
実はジョフィと出会ったのは70才近くになってから。
それも妹が犬を飼い始めたのに惹かれて、という理由で。
毎回の診察に同席したジョフィ。
患者の心を感じ取るかのように近づき離れ、
リラックスさせていることに気づく。
ドッグセラピーを初めて導入したのはフロイトである。
フロイトといえば厳しい顔つきの写真のイメージが強いが、
ジョフィといる時はよく微笑み、暖かい眼をしていたという。
誰よりも癒されていたのはフロイトにちがいない。
貝原益軒の儒教的健康法
江戸時代の学者・貝原益軒が書いた
「養生訓」には自身の経験と中国の古典に
基づいた健康法が数多く載っている。
眠り過ぎるな
少量の酒は有益
薬や鍼灸に頼るな
当時としては珍しく
85歳まで生きた益軒先生の言葉には
説得力がある。
そうそう、「養生訓」にはこんな教訓も。
口数を少なくせよ
はい先生。分かりました。
Wil C. Fry
野村克也の亀的健康法
元プロ野球選手、野村克也 78歳。
ぼやく名監督ノムさんとしての印象が強いかもしれないが
選手として、監督として、出場した試合数もすごい。
現役27年間で3,017試合。
監督としては3,204試合。
半世紀以上に渡って球場に通い続けた男の大記録だ。
そんなノムさん、健康法を尋ねられたときに
こんな風に答えたそうだ。
亀やワニは百年生きるというけど、
見ていると川岸でじっとしているでしょう?
だからワシも動かないことが健康法です。
体は動かさなくても、頭の中は野球のことでいっぱい。
夢中になれるものを見つけた人に、休んでいる暇はない。
カルマンのプロヴァンス的健康法
122歳まで生きたフランス人女性、ジャンヌ・カルマン。
「人類史上最も長生きした人物」として
ギネスブックに載っているだけではなく、
フィンセント・ファン・ゴッホと街の画材店で会ったことがある、
85歳からフェンシングを始めた、
100歳まで自転車に乗っていた、
114歳で映画に出演した、
など、話題に事欠かないアクティブな女性だった。
煙草も晩年まで吸っていたそうで、
禁煙をした理由は「介護してくれる人に
マッチを擦ってもらうのが申し訳ないから」。
なんともチャーミングな理由である。
長寿に憧れ、尊敬の念を抱く人々やマスコミは
彼女の食生活や習慣、つまりは“健康法”を真似しようとした。
ポートワインをよく飲んでいた
チョコレートが大好きだった
オリーブオイルを好み、肌にも塗っていた
毎日、日光浴をしていた
友達とよくおしゃべりをしていた
どれも真似できそうなことばかり。理にもかなっている。
でもカルマンさんは「ポリフェノール」や「骨粗鬆症」、
「アンチエイジング」なんて言葉は一切気にせずに、
毎日をただ陽気に暮らしていたのではないだろうか。
ある日、マスコミに「お肌がきれいですね」と言われた
カルマンさんはこう答えた。
これまでにできた皺はひとつだけ。
私は今でもその皺の上に座っているのよ
マダム、それって…おしりのことですか?
イマヌエル・カントの勤勉な健康法
ドイツの哲学者、イマヌエル・カント。
彼は自分にルールを課していた。
朝は必ず5時に起床。
同じ時間に同じ道を散歩。
その正確さは絶対。道行くカントを見て
人々は時計の針を合わせたという。
80歳まで生きたカント。
きつそうなこの生活を、
カントは楽しんでいたようだ。
疑う余地のない純粋の歓びの一つは、
勤勉の後の休息である。
Alan Vernon.
徳川光圀の食べる健康法
無病延命の術は、鳥獣に習うしかない。
鳥獣は腹が減ったら食い、空腹が収まったらもう食わない。
健康維持の秘訣をこう語ったのは、
水戸黄門として知られる徳川光圀。
ほどほどの食生活を心掛けながらも、
食に対しての好奇心は旺盛だった。
生類憐みの令が出ていても
お構いなしに牛肉や豚肉を食べたり。
また、無類の麺好きだったこともあり、
中国から亡命していた儒学者を呼び寄せ、
麺の作り方を調べ、ラーメンを食べたりも。
ちなみに、ラーメンも、餃子も、チーズも、牛乳も、
日本で最初に食べたのは光圀とされている。
光圀の食への探求は、ついに薬まで行きついてしまった。
中国、朝鮮、オランダから草木を取り寄せて漢方に。
大変貴重な薬だったとしても、
領内で薬を必要とする者がいたら惜しげなく与えたという。
庶民が住んでいる所には、医者もいないし、薬もない。
庶民は病気になったら自然に治るのを期待するしかない。
求めやすい漢方薬の処方を編纂し彼らに与え、彼らを救え。
光圀は水戸藩の医師に命じ、
いまで言う家庭の医学書「救民妙薬」を発行させる。
食べることが好きだった光圀だったからこそ、
誰よりも薬の大切さに気づいたのかもしれない。
73歳まで生きた光圀。
「この紋どころが目に入らぬか」
肌身離さず持っていた印籠は薬箱である。
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