小林慎一

新井奈生 15年6月13日放送

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「マイケルの衝撃」

スモーキー・ロビンソンの代表作に、
Who’s loving youという曲がある。
失恋した男が苦しみ、
彼女に戻ってきてくれと嘆くブルースだ。

“お前が俺のものだったときは
酷く扱ったよな 間違っていたよ
俺は頭を抱えてへたり込んでいるんだ
誰かがお前を愛してるかもしれないってね”

後にこの曲は、ジャクソン5時代の
マイケル・ジャクソンが歌い喝采を浴びる。

スモーキーはこう語っている。

「マイケルのテイクを耳にしたとき、
 すぐに彼の出生証明書を確認したよ。
 あんな小さな男の子が僕の人生を完璧に歌えるなんて、
とても信じられなかったんだ。」

このとき、マイケル・ジャクソンは10歳だった。

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新井奈生 15年6月13日放送

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「本当の気持ち」

オリヴァー・ストーン監督の映画、「プラトーン」の中に、
ベトナム戦争に送り込まれた兵士が、
束の間のオフタイムを楽しむシーンがある。

そこでかかるBGMは、
スモーキー・ロビンソンの
“track of my tears”という曲だ。

リラックスした
心の内を表すような、優しい曲調。
しかし、歌詞ではこう歌っている。

“みんな僕のこと
いつもパーティーしてるみたいと言う
冗談ばかり言ってるから
大声で笑ったりはしゃいだりするけれど
心の中は落ち込んでいるんだ”

歌詞がわかると、
オフタイムのシーンの解釈は一転する。
この兵士の笑いながら、
泣いていたのだ。

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新井奈生 15年6月13日放送

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「破壊できない愛」

スモーキー・ロビンソンの妻、
クローディアは、彼のコーラスメンバーだった。

連日の過酷なスケジュールの中で、
彼女は妊娠していた。
ステージを中止にしたくない。
その一心で、彼女は出血をひと月以上も隠し続けた。
結果は流産。
しかも、6度目だった。

もう、子どもは産めないかもしれない。
うちひしがれる妻のために、スモーキーは歌を書いた。

“年齢や時間が破壊できないほど、君に愛と喜びを注ぐ”

たとえこの先、子どもができなくても、愛する気持ちはゆるがない。
ラブソングにはふさわしくない、“破壊”という歌詞に、
スモーキーは必死の想いを込めた。

曲名は、“More Love”。
後に、彼を代表するラブソングになる。

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東美歩 15年5月30日放送

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下澤理如(まさゆき)① 最初のエピソード

「僕といっしょにギリシャに来てくれませんか」
2004年アテネオリンピック。
野球日本代表監督だった長嶋茂雄が、
口説き落とした男がいる。
日本料理「分とく山」の総料理長・野崎洋光(ひろみつ)。
長嶋茂雄が何度も店へ足を運び、
チームの料理長にと直訴するほど惚れ込んだ男だ。

彼が最も得意とする料理が、
土鍋で炊き上げる、白いご飯。
大の男がひと口で胃袋を掴まれるおいしさだという。

そんな野崎が、
「私の炊き方に似ている」と褒めた、
ただひとつの電気炊飯器がある。
開発したのは、下澤理如(まさゆき)。
「ごはんの神様」と呼ばれた
技術者である。

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東美歩 15年5月30日放送

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Creativity103
下澤理如② 神様と呼ばれる所以

1990年代後半、
下澤理如の炊飯器開発は、大きく遅れをとっていた。
チームの焦りが募るある日、
リーダーの下澤が突然、
カナヅチを手に工場を飛び出した。
彼は工場の脇に小屋をたてると、何日も出てこなかった。

「何をやっているのだ」と同僚がのぞきにいくと、
小屋の中では、大きな釜が火をふいていた。
「釜で炊いたご飯が一番うまい」
下澤はそう言って、炊きたての白米をほおばった。

そう。
彼のライバルは、他社の炊飯器ではなく、
あくまでも釜で炊いたご飯だったのだ。

その後下澤が生み出した電気炊飯器は、
爆発的なヒットを記録する。
「ごはんの神様」
彼のニックネームも、その時、誕生した。

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東美歩 15年5月30日放送

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yuichi.sakuraba
下澤理如③ 研究への熱意

一台の炊飯器を作るために、
下澤理如が炊く米は、
開発の常識を大きく上回る。
その量、3トン。
一家族が、20年以上かけて食べる米を
開発のたびに費やした。

ホームベーカリー開発においても
その姿勢は変わらなかった。

一般には手に入りづらい米粉ではなく、
家庭にある米をそのまま使ってパンをつくる。
自腹で8台のホームベーカリーを購入し、
毎日3度、パンを焼き続けた。
しかも、下澤は、
直接の開発担当ではなかったのだ。

定年を迎えた後は、
食のコンサルタント企業を設立した。
職場は改装した自宅のキッチン。
下澤の経験と知恵は、
小さな台所で、
今なお膨らみつづけている。

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東美歩 15年5月30日放送

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t-miki
下澤理如④ 開発エピソード

炊飯器や、ホームベーカリーなど、
数々のヒット家電を開発してきた下澤理如。
家電の街、秋葉原に出向くことは
ほとんどなかったという。

かわりに彼が足を向けたのは、銀座だった。
高級ブランドショップやアート作品を眺め、
流行のレストランを食べ歩いた。

ある日の、ショットバーでのこと。
下澤の前に、黒ビールが運ばれてきた。
粒がそろった、きめ細かくクリーミーな泡が印象的だった。
その秘密は、缶に仕掛けられていた小さな玉。
プルトップを空けると、ビールの中を飛び回り、
泡を発生させていたのだ。

工場に帰るやいなや、
下澤は、炊飯器のふたに、玉を仕掛けてみた。
炊飯器の中で、米がおどりだした。
できあがったご飯は、今までとは比べ物にならないくらい、
ふっくらと炊きあがった。

「だから、僕は銀座に通うんだ」
そして、下澤は、こう付け加えた。
「電気屋を眺めていたって、新しいアイデアは生まれない。
 だって、そこに並んでいる家電は、すでに過去のものじゃないか」

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坂本弥光 15年5月23日放送

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Exceed Worldwide
「足をつくる人」臼井二美男① 臼井二美男

「足」を蘇らせる職人
臼井二美男 (うすいふみお)。

義足は、
フルオーダーメイドではない。
複数の既存パーツを組み合わせて、
関節や骨など、曲線的な人体をつくっていく。
そこに、義足づくりのむずかしさがある。

設計は完璧でも、痛くて歩けない。
膝が曲がってくれず、転んでしまう。
そんなことがよく起きるのだ。

しかし、臼井の手にかかれば、
まさに自分の「足」ができあがる。

その秘密は、想像力にある。
身体の癖。職業。
短気なのか、おとなしいのか。
会話をしながら、その人のすべてを想像しつくっていくのだ。

臼井の理想とする義足。

 それは、血の通うような義足だ。

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坂本弥光 15年5月23日放送

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Heinrich Klaffs
「足をつくる人」臼井二美男② 臼井二美男

義肢装具士、臼井二美男。
彼は切断障害者スポーツクラブ「ヘルス・エンジェルス」の
主宰者でもある。

アメリカの伝説的な暴走族が名前の由来だ。

 足を切断して、何年も走っていない人たちの挑戦。
 ちょっとワルな心意気が必要でしょ。

臼井はそう言って、笑う。

普通、義足を履いて走ろうと思う人はいない。
高価で、替えがなく、壊れてしまったら、
学校や会社に行くこともできないからだ。

だから、臼井は、
ワルさをするくらいの勇気が必要だ、と訴えるのだ。
斜めに構えたっていい。
とにかく、走ってみる。のだ。

その結果が、グラウンドにある。
もう一度走るよろこびを手にしたランナーたちが、
今日もトラックを駆け抜けている。

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坂本弥光 15年5月23日放送

150523-03
ruurmo
「足をつくる人」臼井二美男③ 佐藤真海

彼女は、19歳のとき、右膝から下を切断した。
足を失った絶望。慣れない義足。

彼女を救ったのは、インターネットで見た、
障害者たちが気持ちよさそうにプールで泳ぐ姿だった。
義足を外した姿を晒すのには抵抗があったが、
「私も泳ぎたい」という気持ちの方が強かった。

再び体を動かす喜びを実感した彼女は、
練習に励み、大会に出場するようになる。
そして、日本のスポーツ用義足の第一人者である、臼井と出会い、
陸上競技に転向する。

彼女は、陸上にのめり込んでいった。
3つのパラリンピックに出場し、
走り幅跳びでは日本新記録をたたき出した。

そして2014年、東京五輪招致でスポーツの力を訴えた。

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年に東京大会が世界に広めようと決意している価値です。

彼女の名は、佐藤真海。
次の目標は、2020年の、金メダルだ。

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