森由里佳 18年7月8日放送

180708-06
MILD
平成の夏 夏のひばり

春を告げる鳥として親しまれる、ひばり。
空高くまで舞いあがり、美しくさえずるその鳥は、
歌手としての人生を全うしたある女性の名前の由来となった。

美空ひばり。

日本中から愛された歌姫が亡くなったのは、1989年のこと。
平成最初の夏だった。

あれからもう、30年。

いつのまにか、平成最後の夏が来た。
春を告げ終えたひばりは今もきっと、
どこか遠い空のむこうでさえずっているに違いない。

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森由里佳 18年7月8日放送

180708-07

平成の夏 乾杯!

その工場で造られるビールはたいへん愛され、
のちに、ビールの名前が工場のある町の名前に
さらに山手線の駅の名前にまでなってしまった。

1988年。昭和最後の夏に工場は閉鎖されたが
その跡地は多くの人が集まる複合施設になった。

東京・恵比寿。
今も多くの人がのどを鳴らして夏を楽しむ賑やかな街。
昭和が終わっても、平成がはじまっても、
高らかな乾杯の音はこの街に響き続けた。

さあ、キンキンに冷やしたビールで乾杯しようじゃないか。
平成最後のこの夏に。そして、その先にやってくる新しい時代に!

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森由里佳 18年7月8日放送

180708-08
Wild Child
平成の夏 青い夏

熱気に包まれた夏のロシアからの中継が、
日本中をゆさぶった。

コロンビア、セネガル、ポーランド。
そしてベルギー。
並み居るライバルを前に、
日本中が日本代表と一緒になって、
夢中でピッチを駆けた夏。

ベルギー戦の中継の最後、
実況が残したことばは、
このワールドカップの全てを物語っている。

“なんと幸せな時間だったことでしょう”
 
平成最後の夏のはじまりを、
すがすがしいサムライブル―に染めてくれた選手の姿を
私たちはきっと忘れない。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-01

「七夕の夜に」七夕の行事

今日は七夕。
旧暦で、七夕はお盆の7日目にあたる。
東北地方には、七草がゆならぬ、
「七たび飯を食べて七たび水につかる」行事があったという。
水を浴びるのは、体を清めるため。

この日に「井戸がえ」をする家もあった。
井戸の水をぜんぶさらって、お神酒を添えて、
いい水がわくように願った。

この日を「ネムリナガシ」と呼んでいる地方も多かった。
笹の葉に人の「眠り」をのせて、川へ流す。
青森の「ネブタ」も、「眠たさ」を流すことから
きたのかもしれない。

かつて、夏は眠くなる季節と考えられていたようだ。
七夕に水を使う行事は、涼しい夜を過ごすための
知恵だったのだろう。
今の熱帯夜にも使えそうだ。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-02
abdul / yunir
「七夕の夜に」ロシアの天の川

今日は七夕。
織り姫と彦星が年にいちど渡る川、天の川。
英語ではミルキーウェイ、乳の川だけれど、
ロシアのバシキール族に伝わる話は、少し違う。

ウラル山脈の南の谷には、毎年、鶴が渡ってきた。
ある秋、鶴が暖かい地方へ戻ろうとした時、
激しい風が吹いた。
こどもの鶴たちは、風に飛ばされ、群れから放れ、
くるくると回り、目指す方向がわからなくなった。
大人の鶴たちは、あわてて、こどもたちに道を示そうと
自分の羽を天にまき散らす。羽は、たちまち星になった。
こどもたちは、この星の道にそって飛んでいくことができた。

乳、ではないけれど、大人たちの愛情が星の道になったのだ。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-03

「七夕の夜に」アネサマ人形流し

今日は七夕。
かつて女の子たちは、裁縫が上手になるようにと
軒に人形をつり下げる風習があった。
富山県の黒部市には「尾山の人形流し」という行事がある。

その人形はアネサマと呼ばれ、女の子のいる家で作られる。
高さ40センチほどの人形で、家の一番目立つところで作られ、
華やかな飾り付けがなされ、出来上がると家族全員で
出来具合をほめる。
男の子の家では木製の船が作られ、やはり華やかに飾り立てられる。

七夕の夜に子どもたちが川に入り、アネサマや船を押し流す。
それは、穢れや厄災を祓うため。

ここにも、子を思う愛情がある。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-04

七夕の夜に」牽牛とこども

今日は七夕。
中国から伝わったとされる織り姫と彦星の物語。
その中国の七夕物語にもいろいろなバリエーションがある。
河南省に伝わる民話では、
主人公は継母にいじめられていた牛飼いの少年。
世話をしている牛のアドバイスで、
父母の元を離れ、家を手に入れる。そしてさらに、牛は、
水浴びをしている娘の服をとってこいと言う。
その服は西王母(せいおうぼ)のおつきの織女(しょくじょ)のもの。
服がないと天に帰ることはできない。
服をとられた織女は、牛飼いと結婚し二人のこどもを授かる。
そんなある日、西王母が織女を連れ戻しにくる。
牛飼いは、空を駆けることのできる靴をはき、
こども二人を連れ、織女を追った。が、届かず。
織女は「毎月7日に会いにいく」と言ったけれど、
牛飼いは「7月7日」と聞き違えてしまう。

そして今、天の川を挟んで、織女の星と牽牛の橋が輝いています。
牽牛の星の横には小さな星が二つある。それは子どもたちの星なのです。
聞き違えさえしなければ、家族揃って毎月会うことができたのに。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-05
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「七夕の夜に」短冊飾り

七夕の短冊飾りは、
中国の「乞巧奠(きこうでん)」が元と言われている。
機織りや裁縫が上手になるようにとお祈りする行事。
それがやがて、習いごと全般の上達を願うようになり、
そして願い事をする行事になった。

神奈川・大磯には、この短冊と竹飾りの行事がある。
七夕の前日、短冊に願いごとを書いて笹竹に飾り付ける。
その竹飾りを持って集まり、神社や井戸、
辻などを、唱えごとをしながらまわる。
そのとき、竹飾りを地面にたたきつけてお祓いをする。
その次に、竹飾りを束ね竹神輿をつくり、
再び祓いながら村中を練り歩く。

疫病を祓い、祖先の霊を迎えるために
村を浄める行事だと伝えられている。
それだけ願いが強い、とうことなのだろう。

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佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-01
rinia
童謡 故郷

 兎追いし 彼の山 小鮒釣りし 彼の川

日本を代表する歌、故郷を作詞したのは、高野辰之。
しかし、この曲が発表された大正時代、
文部省唱歌に作者の名前は記載されない。

彼が、北信濃に暮らす父や母を懐しみ、
ふるさとの野山に思いを馳せた歌。
契約により、この曲の作者が誰であるか、
高野は、家族にも打ち明けることはできなかったという。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

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佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-02

童謡 たなばたさま

 ささの葉 さらさら のきばにゆれる

童謡、たなばたさま。
作詞の権藤はなよは、
野口雨情に師事し、童謡や童話づくりに励んだ。
たなばたさまは、国定教科書に載せる歌として、
文部省から作詞を依頼された作品だという。

 お星さま きらきら きんぎん すなご

「金銀」というのは、夜空に広がるお星様を。
「砂子」は、金箔などを粉状にしたもので、
伝統的な装飾方法として蒔絵などに用いられている。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

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