Vision

石橋涼子 10年03月06日放送

04-fuji

藤山寛美の岡持ち


アホを演じることにかけては天才と言われた
役者、藤山寛美。

彼が舞台裏で片時も手放さなかった道具は
岡持ちだった。
化粧道具からタバコやのど飴まで、
舞台に立つための必需品がすべて詰まっていた。

役者と名乗ることにこだわった彼の言葉がある。

 わしは、俳優やあらへん、役者や。
 俳優の俳の字は、人に非ずと書くやろ。
 芝居には役者の人間性が出るもんや。
 そやから、わしは、人間を演じる、役者や。


彼の中には、人のおかしさや愛しさや、悲しさまでも。
人間を演じるための必需品が
ぜんぶ詰まっていたに違いない。



05-mikimoto

道具のはなし 御木本幸吉の矢立


道具の使い道は、ひとつではない。

うどん屋から始まり、青物、米、海産物を経て
真珠の養殖で財をなした商人、御木本幸吉。
彼は常に「矢立」を腰にさしていた。
ボールペンが普及し始めた時代に、
墨つぼと筆を携帯するための矢立は、
もはや消えゆく道具だ。
彼は、そんな矢立を愛用する理由をこう語った。

 「武士の刀」のように、矢立は「商人の魂」だ。

と。
実際は、新聞社などマスコミが
矢立の物珍しさを面白がって紹介することが多く、
御木本の良い宣伝道具になっていたという。

商人は、道具の使い方も、さすがです。



06-carlyle

道具のはなし カーライルとフランクリン

イギリスの評論家、
トーマス・カーライルは
 人間は、道具を使う動物である
と言った。

ベンジャミン・フランクリンは
 人間は、道具をつくる動物である
と言った。

私はどうだろう?
近ごろ、道具を愛でる動物、
になってはいないだろうか。

ケースに入れたままのとっておきのグラスを出して
今夜は一杯、やってみようと思う。

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名雪祐平 10年02月28日放送

ショパン1

ショパン『帰る心臓』


ショパンは、パリで、死んだ。

彼の希望にそって、
心臓だけは
祖国ポーランドに戻った。

帰ることが
かなわなかった故郷へ。

せめてハートだけ、心臓だけは
帰りたかったのか。

Bon anniversaire!
あす3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。


ショパン2

ショパン『祖国の音楽』


ポロネーズ ト短調。

この曲をショパンが作曲したのは、
なんと7歳の時だった。

ポロネーズとは、
祖国ポーランドに伝わる
民族舞曲。

ハタチで祖国を離れた後も
生涯にわたって
ポロネーズを作曲したショパン。

神経質といわれた男が
無条件に愛したポーランド。

祖国とは、親なのかもしれない。


ショパン3

ショパン『天才の初恋』


ワルシャワ音楽院で
10代のショパンは、
音楽の天才と絶賛された。

けれど、
どんな天才にも初恋はせつない。


僕は不幸なことに、
僕の理想を発見したようだ。


発見されたのは、
同じ音楽院で声楽を学ぶ
コンスタンチア・グワトコフスカ。

彼女がショパンに
振り向くことはなかった。

なぜなら、ショパンは
想いを告白するどころか、話しかけることさえ
できなかったのだ。

強烈なナイーヴさが生んだ曲。

♪ピアノ協奏曲 へ短調 第2楽章

片想いは、傑作の素。


ショパン4

ショパン『不幸な幸福』


25歳のショパンは、
16歳の貴族の娘マリアに
心を奪われた。

彼はプロポーズし、
彼女は受け入れたが。

この婚約を、
両親、胸の病、身分の差が
じゃまをした。

不幸が名作を生むのなら。

芸術家にとって、
不幸は不幸なのだろうか。
幸福は幸福なのだろうか。


ショパン5

ショパン『奔放と純情と』


なんて
感じの悪い女なんだろう。


そう思ったら、もう恋の兆候。

奔放な、小説家ジョルジュ・サンド。
純情な、作曲家ショパン。

正反対のN極とS極が
強烈な磁力で引かれ合うように。

二人は強く結びついた。

関係が破局するまで
8年間も続くなど、だれが予想しただろう。

その8年間に、
音楽史に残る傑作が次々と生まれた。

ピアノ音楽史上の傑作とされる、
ピアノソナタ第3番もそう。

♪ピアノソナタ第3番

こんな曲を男に書かせるなんて、
なんて
いい女なんだろう。







ショパン6



ショパン『最期の美女』


ショパンの最期を
看取った
絶世の美女がいる。

ポーランド貴族出身の
ポトツカ夫人。

ショパンとは、
古くから交友があり、
小犬のワルツを贈られてもいた。

しかし、客観的事実が
ほとんどわかっていないため、
二人が恋人だったかも、謎。

永遠の、二人だけの秘めた恋、
なのかもしれない。


ショパン7

ショパン『登竜門』


5年に1度の
ショパン国際ピアノコンクールが
今年開催される。

どんな天才が世界中から
あつまるだろうか。
日本人初の優勝者は出るだろうか。

Bon anniversaire!
今年3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。

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保持壮太郎 10年02月27日放送

01-miyamoto

宮本武蔵


天下無双の剣豪、
宮本武蔵。

勝利を追求しつづけた人生が
そこにはあった。

そんな彼によれば
恋愛にも
必勝法があるという。

師曰く、

恋をせば 文ばしやるな 歌よむな。
一文なりと銭をたしなめ。

恋をしたならば、
ラブレターなんて書くな。
歌なんぞ詠むな。
とにかく一円でも多く
お金をためなさい。

どうやら恋愛も、
勝利のためには、
手段を選んではいられないらしい。






02-mandera

ネルソン・マンデラ


期待をしない。
希望をもたない。
そんな人生も悪くない。

けれども
ネルソン・マンデラの人生は違った。
牢獄の中で27年間。
彼は自らの希望のために闘いつづけた。
そして国を動かした。

のちに彼は、
南アフリカ大統領の就任スピーチでこう語った。

 わたしたちが怖れているもの。
 それは自分が無力だということではない。
 わたしたちが最も怖れているもの。
 それは自分には計り知れない力があるということだ。


そこには不安がある。
失望への恐怖がある。
そんな人生のなんと素晴らしいことよ。



03-lee

リー・ストラスバーグ

リー・ストラスバーグの
名前は知らなくとも
彼の教え子の名前なら
あなたも知っているはずだ。

アル・パチーノ
ロバート・デニーロ
ジェームス・ディーン
ダスティン・ホフマン
ジャック・ニコルソン

数々の名優たちが
ストラスバーグの主催する
アクターズ・スタジオで
その演技を磨いた。

 主役なんてものは存在しない。
 人生には主役なんてない。
 誰もが登場人物にすぎないんだ。


そんな彼の教えは、
幾人もの魅力的な主役を
スクリーンへと送り出していった



04-halle

ハル・ベリー


女優、ハル・ベリー。

2001年、
アフリカ系アメリカ人女性として
初めてアカデミー主演女優賞を受賞。

けれども僕たちが
彼女の本当の偉大さを知ったのは
それから2年後のことだ。

その年、
不幸なことに
彼女の主演作が
最低な作品に贈られる映画賞
ゴールデンラズベリーアワードを
受賞することになった。

なかば冗談として行われたラズベリー賞の授賞式。

なんとそこには、
ハル・ベリー本人の姿があった。

そればかりか彼女は、
左手にオスカー像、
右手にラズベリー像を握りしめて
スピーチをし、
あげく涙まで流してみせた。

偉大なる女優の
すばらしい演技に
観客たちは万雷の拍手でこたえた。



05-itami

伊丹十三


男は、
51歳にして
映画監督になった。

彼は映画監督である前に、
俳優だった。
エッセイストだった。
雑誌編集者だった。
デザイナーであり
イラストレーターであり
CMプランナーでもあった。
ドキュメンタリー作家と
呼ばれたりもしていた。

だからだろうか。
伊丹十三が撮る映画は、
いつも
あちこち
普通じゃなくて
なんだかとても
おもしろかった。



06-yanagi

柳宗理

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
けれどもそれはとても美しい。
やかんが美しいなんて
思ったこともなかった。
そんなことに気づかされるくらいに。

彼は言う。

 本当の美は、生まれるもので、つくり出すものではない。

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
だからこそそれは
とてもとても美しい。

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坂本和加 10年02月21日放送

当麻庄司

蕎麦と当麻庄司①


重ねたセイロを「手持ち・肩持ち」で
自転車にまたがり、蕎麦を運ぶ。
昔ながらのスタイルで出前中の蕎麦屋を、
つい最近、青山で見かけたのだから、驚く。

カブの後ろに装着する
あの「出前機」が普及してからは、
こういった光景も、事故も、ずいぶん減った。
発明者は、当麻庄司。
目黒にあった蕎麦屋の主人だ。

この発明で、当麻は紫綬褒章を受章した。






ライ・クーダー

蕎麦とライ・クーダー②


江戸蕎麦の老舗といえば、のれん御三家。
更科なら白、砂場なら黄色、
藪なら緑がかった蕎麦を出す。
もちろん、汁の濃さや味も変わる。

中でも藪は、出前に適さない蕎麦だから
忙しい職人や通行人が相手だった。
もし東京で、その味や風情を楽しむなら、
「神田 やぶそば」がいい。

むかしライ・クーダーがここへきて、
「シンギング・ソバ!」と感激した蕎麦。
なぜ、シンギングなのか。
野暮は言わずに。どうぞ、お店へ。


林家彦六

蕎麦と落語家、林家彦六③


お蕎麦の「にっぱち」は、
つなぎの割合のことだと思われているが、
じつは「かけそば一杯」が、16文だったことから
「ニハチ、ジュウロク」で
「にっぱち」になったという説が、
どうやら近ごろでは有力らしい。

落語に「時そば」という
有名な演目があるが、
どうせお金を払うなら、
やっぱり、うまい蕎麦だろう。

「蕎麦は、
当たりはずれが多いから気をつけろ」と
言ったのは、今は亡き林家彦六師匠。
たしかに、扇子で蕎麦をたぐるのも芸のうちなら、
うまい蕎麦を知っていなければ。

さすがは彦六師匠…と思いきや、
本人はコーヒーやカレーなどの洋食を
好んでよく食べていたそうだ。

もとより、有名な落語家になるほど、
蕎麦を人前で食べるのを嫌がるのだそうだ。
それはじろじろ見られることよりも、
まずい蕎麦でも、うまそうに食べなきゃならないことのほうが、
ほんとうは、つらいからかもしれない。


松平治郷

蕎麦と松平治郷④


東京から遠くはなれた島根県もまた、
うまい蕎麦のみつかる土地だ。
出雲蕎麦の文化を運んできたのは、
松江7代目藩主、松平治郷。
江戸で覚えた蕎麦が、忘れられなかったのだ。
茶の世界では不昧公の名で知られるこの殿様は、
とっても風流で、オシャレに生きた。


 茶を立て、道具求めて、蕎麦を食い、
 庭を作りて、月花見ん、このほか大望なし、大笑、大笑。



夏目漱石

蕎麦と夏目漱石⑤


東京で生まれ育った文豪、
夏目漱石も、蕎麦はよく食べていたようで
多くの作品に蕎麦の描写を書き残している。

熊本から上京してきた『三四郎』は、
蕎麦屋で日本酒を飲むことを覚えたし、
かの『坊っちゃん』も、
道すがら見かけた蕎麦屋が
どうしても素通りできなくて
つい暖簾をくぐってしまうほどの蕎麦好き。

けれど、『我が輩は猫である』の登場人物、
迷亭先生はちょっと違う。
通人ぶった蕎麦講釈をのたまう、鼻つまみ役だ。
あげくに、つけすぎたワサビにむせてしまい、
迷亭先生は、作者・漱石にやり込められてしまう。

それは、蕎麦をたぐることに粋を見いだし、
知識をひけらかすスノッブたちに閉口する、
漱石なりのアンチテーゼのようにも思える。

甘党で知られる漱石にとっては、
されど蕎麦より、たかが蕎麦。
うまければそれで結構、と思っていただろうから。


宮沢賢治

蕎麦と宮沢賢治⑥


宮沢賢治もまた、蕎麦好きの文人。
「原稿料が入ったら、BUSHへいきましょう」と
うれしそうに、友人を誘った。

賢治が蕎麦屋をBUSHと呼ぶのは、
店名が「やぶ屋」だから。
そこの天ぷら蕎麦が、
賢治の大のお気に入りだったようで、
サイドメニューは酒でなく、サイダーを頼んだ。
天ぷら蕎麦、15銭。サイダー、23銭の時代に。

「やぶ屋」は、現在も
賢治の故郷、花巻市にある。
名物は、わんこそば。
天ぷら蕎麦はサイダーより、今は高い。


片倉康雄

蕎麦と片倉康雄⑦


蕎麦職人の世界で、
きっと片倉康雄を知らないひとはいない。
片倉は、蕎麦職人も通う
手打ちの名店、一茶庵の創業者。
師を持たず、まったくの
独学で蕎麦料理を完成させた。

片倉が目指したのは、
毛のように細い、蕎麦の味。
それは、片倉の幼い頃、
大好きだった母の打ってくれた、蕎麦だった。

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江口順也 10年02月20日放送

01-konpo

クリスト


ときに人間は、
情けないほど鈍感で。
なにかを失って初めて、
その尊さや意味に気づく。

そんな性を、逆手に取った芸術家がいる。
包むアーティスト、クリスト。
その作風は、ひとことで言うと「梱包」。

パリのポン・ヌフ橋、
ドイツの旧国会議事堂、
マイアミの島々、
オーストラリアの海岸。

彼は、美しい大自然や巨大な建築物を
布ですっぽり覆い隠して、
ものの本質を私たちに突きつけてきた。

そんなクリストが、
いま、いちばん梱包したいもの。

きっとそれは、地球に違いない。





02-ekuni

江國香織


むかし、炊飯器の広告で、
「お米が立っている」
というコピーがあったけど。
この本の言葉たちは、
まさにジャーの中のごはんそっくりに
ぎっしり立っている。

作家の江國香織さんは、
ある新聞の書評欄に、そう書いた。

ことばは、おこめ。

ひと文字、ひと文字、
よく噛み締めて、味わえば、
新しい私が作られる。
それがきっと読書の醍醐味。

醍醐味の味(み)は、
味(あじ)という字だ。



03-nakamura

中村俊輔

芸術的なフリーキックや、
精密機械のようなパスとは別に。
中村俊輔にはもう一つ、
だれも持っていない武器がある。

15年間書き続けた、
サッカーノートだ。

自分の弱点を毎日丹念に書き付けた12冊のノートは、
戦友であり、辛口の専属コーチ。

苦しい時ほどページをめくり返し、
危機を乗り越えてきた中村は、
現在、スペインのリーグでプレイをしている。

その舞台は、今から5年も前に、
未来の目標として、
ノートに書き込まれた場所だった。



04-katsu

勝 海舟


勝海舟は、交渉の達人だった。

大奥の最大権力者である
天璋院篤姫が、プライドを傷つけられて
カンカンに怒ったある日のこと。

勝にとって彼女は、
今で言えば、社長の奥様。

その篤姫が、
怒りのあまり自害するといってきかないときに、
勝はスキを見て、こう申し出た。

あなたが亡くなれば、
私だって、ただじゃ済みませんので、
すぐさま、お隣りで切腹します。
すると大変お気の毒ですが、
私とあなたは心中とか何とか言われますよ。

篤姫は、さっきまでとは違う意味で、
顔を真っ赤にして、ふりあげた刀を下ろしたそうだ。

この勝負、勝の勝ち。



05-lee

ブルース・リー


TVのインタビューで、
達人は、こうみんなに語りかけた。

 こころを空っぽにして
 形をすてろ 水のように
 水は流れることも
 水は砕くこともできる
 友よ、水になれ


ブルース・リー。

型を繰り返し、型を重んじることで
カンフーの道を極めた男は、
型から自分を解き放つことの
たいせつさも知っていた。

それは、どんな道にも通ずる哲学。



06-matis

アンリ・マティス

むずかしい解説や論評を前に
アートにひるんでしまったことがある人には。
マティスの絵をおすすめしたい。

彼は、こんなことを言っている。

  私は人々の疲れをいやす、
  よい「肘掛けイス」のような芸術を
  目指したい。


肩の力を、ゆっくり抜いて。
ただ感じるままに眺めればいいのだ。

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中村直史 10年02月14日放送

ロマン・ロラン

恋について/ロマン・ロラン


好きな人に
好きということを、
ためらっている人へ。

ノーベル文学賞作家
ロマン・ロランから、
激励のメッセージが届いています。


 恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。


右も左も見ないとなると、
真正面から
ぶつかるしかない。

勝利を祈ります。






白洲正子

恋について/白洲正子


いい男にめぐりあえない、
と言う人がいた。

それは残念。

でももし、
いい男がいるのに
気づいていないのだとしたら、
もっと残念。

では、いい男の見極め方とは?

骨董の目利きとしても一流だった
随筆家、白洲正子はこう言っています。


 モノも、人も、「本物」は物欲しそうな顔をしていない。


どうです?
あなたの知っている
だれかの顔、
思い浮かびましたか?



エカテリーナ2世

恋について/エカテリーナ2世


気に入った異性は
いくらでも
手に入れることができる。

もしそんな立場にいたとしたら、幸せだろうか。

ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝
エカテリーナ2世。

生涯に数百人の愛人を持った、
と言われている。

ただ、その中で本当に愛した男はただひとり。
映画のタイトルにもなった、陸軍主席大将ポチョムキンである。

生涯で1000通を超える
ラブレターを交換しながら、
ポチョムキンは、
いつしかエカテリーナ2世に対し
彼女好みの若い男を見つくろう役となる。

愛する男を愛するだけでは
足りないなんて
ちょっと悲しい気もする。


若山喜志子

恋について/若山喜志子


若山牧水は
旅する歌人だった。

だから、
牧水の妻、若山喜志子は、
旅人を待つ歌人になった。

彼女がこの世でいちばん
好きだったのは夫の足の音(あのと)、
つまり足音。


 いそいそと大地踏みならし来る君の足の音(あのと)より世に恋しきものはなし


あなたのオフィスや
教室にもいませんか。
足音だけで気づいてしまう人。


元良親王

恋について/元良親王


いつの時代も面倒である。

好きになってはいけない人を
好きになってしまうのは。

その人は、こともあろうか
天皇が愛する女性に恋してしまった。

元良親王という悩める男の
究極の面倒な恋。

だが、そんな面倒な恋心が、
1000年以上も歌い継がれることになった。
百人一首に出てくるあの歌だ。


 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思ふ


逢ってしまえば、
罰を受け生きてはいけぬだろう。
しかし逢わなければ、
恋しさで生きていけぬだろう。
どうせ身を滅ぼすのなら、
あなたに逢おうと思う。

こんな話が、
子どもの遊びにも
使われているなんて、
ずいぶん粋な国だ。


フランソワーズ・ジロー

恋について/フランソワーズ・ジロー


ピカソが絵を描き続けた原動力は、
恋愛だった。

精力的に作品を送り出しつづけ、
精力的に女性を手に入れた。

そしてそのすべての女性が
ピカソから逃れられなくなった。

ただ一人を除いて。

フランソワーズ・ジロー。
ピカソを捨てた唯一の女性。


 私は愛の奴隷にはなっても、あなたの奴隷にはならない。


屈辱もまた
ピカソにとって
創作意欲となりえたのだろうか。


恋愛部長

恋について/恋愛部長


今日、意中のあの人に
思いを告げ、
そして叶わなかった
すべての女性へ。

多くの迷える女性を叱咤してきた
カリスマブロガー、
「恋愛部長」はこう言っています。


 一度脈なし、と思ってても、その後の出方次第では、逆転は可能。


なぜなら、
人の気持ちなんて5分で変わるから。

今日はまだスタートです。
信じてみませんか。

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小山佳奈 10年02月13日放送

01-kobayashi

小林秀雄


この世でいちばん難しいのは
人を励ます、ということだ。

入院中の坂口安吾を
見舞った小林秀雄。

ヒロポンの過剰摂取で
病院にかつぎこまれた安吾に向かって
「大馬鹿野郎、大馬鹿野郎」と
何十回も浴びせかけた。

そのとき安吾は
見たこともないほど
ニコニコと笑っていたという。

人を励ますということは
本当に難しい。



02-mo

アインシュタイン


「死とは、
 モーツァルトを
 聴けなくなることだ。」
 
かのアインシュタインが
のこした有名な言葉。

しかしこれ、
実は従兄弟の音楽家、
アルフレート・アインシュタインが
言ったという説もある。

相対性理論とモーツァルト。

この組み合わせの方が
たしかに神秘的でかっこいい。

名言とは
残された者たちの
感傷がつくりだす
のかもしれない。



03-nero

ネロ

希代の暴君、
ローマ皇帝ネロ。

彼はわざわざ
アルプスから万年雪を
奴隷に運ばせて
はちみつを混ぜて
デザートをつくらせた。

「ドルチェ・ビータ」

それが、
アイスクリームの起源。

苦い歴史でできあがった
甘い禁断。

いまの季節、
こたつに入って食べると
特にいけない味がする。



04-bonheur

アラン


フランスの偉大な哲学者、
アラン。

「幸福論」で有名な彼が
初めて結婚したのは77歳の時。

思いをよせつづけた女性と
運命の再会を果たしプロポーズ。
人生の終わりに訪れた
最高の最大の幸福であったはず。

しかし、
あらゆる幸福についての記述がある「幸福論」には
彼自身の幸福については一切書かれていない。

どんな哲学者だって
ほんとうの幸福は
胸にしまっておきたいもの。



05-rest

エスコフィエ


フランス料理の神様、
オーギュスト・エスコフィエ。

彼がいまだに神様と
いわれる理由は
いくつもある。

多くの文化人をうならせ
時には皇帝さえもひざまづかせる腕。
つくったレシピは5000以上。
貧しい人には無償で料理をふるまった。

でも何より賞賛されるべきは
コース料理という概念を
つくりだしたこと。

おかげで一流レストランでも
限られた予算で
食事ができるようになった。

お会計にびくびくしたくないのは
今も昔も同じ。





06-yunta

宮良長包

「沖縄よいとこ 一度はおいで
 さぁユイユイ」

二月の憂鬱に負けそうになったら
沖縄民謡「安里屋ユンタ」を聴こう。

作者の宮良長包は言う。

「音楽は栄養です。」

三線の音はたしかに体にしみこんで
心に春を呼んでくれる。

そういえば沖縄では
すでに桜は満開。

「春夏秋冬 花見て暮らす
 さぁユイユイ」

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八木田杏子 10年02月07日放送

梨木香歩

梨木香歩


怒りにまかせて言葉をぶつけると、
言ってはいけない真実をついてしまう。

それで、すっきりする人がいる。
そこで、後悔する人もいる。

梨木香歩が書く主人公は、
傷つけてしまった人に、こんな風に謝る。


 さっきは少し、自分に酔い、
 勢いをつけなければ誘惑に負けそうだった。


心の揺れをすなおに言葉にできる人は、
傷つけてしまっても、もっと深くつながれる。







2 夏目漱石

夏目漱石


感性のきめが細かい人ほど、
生きることに足がすくむ。

社会の矛盾、人間の本性
気づかなくてもいいことに
気づいてしまうからだ。

そんな人のために、芸術があると、
夏目漱石は考えていた。


 住みにくき世から、
 住みにくき煩いを引き抜いて、
 有難い世界をまのあたりに映すのが詩である、画である。
 あるいは音楽と彫刻である。


簡単に言うとこういうことだ。
芸術は人を幸せにするために存在する。


3 まど・みちお

まど・みちお


不幸をひっくり返して、
幸福にできる人がいる。

詩人まど・みちおは、
苦しみをじっと見つめてから、
それを喜びに変えるための、きっかけを見つける。

妻のアルツハイマーが、重くなっていったとき、
まど・みちおは苦悩する。
毎日欠かさない日記には、
暗い想いが否定的な言葉になって、綴られていく。

それがある日、一変する。
アルツハイマーが、「アルツのハイマくん」に変わるのだ。

そのときから、妻の粗相も自分の失敗も、
すべて笑いのタネになった。
そうして生まれた詩が「トンチンカン夫婦」。


 明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
 お恵みいただけるかと
胸ふくらませている


まど・みちおは、
世界をひっくり返すために、言葉を探す。


4 外山滋比古

外山滋比古


記憶力が悪いのはいいことだ。

ベストセラーの「思考の整理学」を書いた
外山滋比古は、忘れるチカラを見直している。

忘却をくぐらせて枯れた知識のみが
あたらしい知見を生み出す。

つまり、忘れることで、閃くらしい。

記憶力が悪くて受験で苦しむ人は、
アイデアが閃きやすい体質だ…と思うと
人生の帳尻が合うような気がする。


5 シューベルト

シューベルト


シューベルトは、
8歳で「野ばら」を書き、
19歳で「魔王」を書いていた。

それでもまだ、
音楽家として認められない彼は、
音楽家として生きる覚悟が揺れていた。

だからといって父親に言われるままに
教員を目指してみても、上手くはいかない。

見かねた親友のシュパウンが、
シューベルトが書いたゲーテ歌曲を、
ゲーテ本人に送ることを思いたつ。
しかし、ゲーテからの返事もない。

それでも、シューベルトは友情に恵まれていた。
部屋も食事も楽譜にかかるお金も
すべて彼の才能を信じた友人たちが援助した。
ゲーテに無視された「魔王」も、
友人たちの頑張りで自費出版できたのだった。

シューベルトの才能を、
ひっぱりだしたのは、友人たちのチカラ。

天才だって、ひとりでは闘えない。


6 岡本太郎

岡本太郎


岡本太郎は、
だれでも岡本太郎になれると思っている。

いや、自分は才能もないし下手だからと言うと、
こんな言葉で返される。

才能なんて、ないほうがいい。
自由に明るく、
その人なりの下手さを押し出せば、逆に生きてくる。

でも、自分は強くは生きられないと答えると、
こう反論される。

弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。

できない言い訳を、ひとつひとつ潰していくと、
岡本太郎ができあがる。


7 寺田寅彦

寺田寅彦


エッセイを書いた最初の科学者
寺田寅彦は、どんなに締め切りが重なっても、
遅れることがない。

執筆の依頼がきて、書きたいと思ったら、
その日のうちに、書き上げてしまうから。

締め切り前に、胃がキリキリすることもない。

なかなか真似できないけれど、
真似してみたいやり方ではある。

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佐藤延夫 10年02月06日放送

01-yoshida

社長は語る/吉田拓郎(小6)


ヤエヤマアオキをご存知ですか。
ハワイの言葉で「ノニ」。
健康食品として注目されている植物です。

久米島に、ノニを原料にしたジュースや石鹸などを販売する会社があります。
社長は、吉田拓郎さん。
あの人と同姓同名の、小学6年生。
ちなみにお母さんが秘書で、
営業部長はお姉さんです。

そんな社長の夢。

   少し大きくて、日本で少し知られていて
   3回飯が食べられるぐらいの会社にすること。


この子ども社長は、大人が見失ったものを
ちゃんとわかっている。



02-matsushita

社長は語る/松下幸之助


寒いから、下を向く。
景気が悪いから、下を向く。
転んでしまわないように、下を向く。

石橋を叩いても渡らないようなこのご時世。
あまり慎重になりすぎると
目の前にチャンスが訪れても
気付かずに通りすぎてしまいそう。

こんなときこそ真正面を向いて
思い切り走ってみるのがいいのかも。
松下幸之助さんは、こう言っています。

 こけたら、立ちなはれ。

この気楽な言葉が、
今の時代を救うヒントのような気がしませんか。



03-kawabata

川端康成

仕事でもかまいません。
辛い恋でも、くだらない中傷でも結構です。
何かを忘れるために、雪を見に行きませんか。
きっと心が真っ白になるはず。

たとえば、川端康成の小説「雪国」の舞台となった新潟県湯沢町。
「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で有名なあの場所には、
一面の銀世界が広がっています。

そうそう、「雪国」には、もうひとつ有名なフレーズがありました。

  なんとなく好きで、
  その時は好きだとも言わなかった人のほうが、
  いつまでもなつかしいのね。
  忘れられないのね。
  別れたあとってそうらしいわ。


真っ白な雪を見ても、恋の残り香は消えないかもしれません。






04-yanase

やなせたかし


それは、間近に控えた受験だったり。
終わりの見えない仕事だったり。人生だったり。

毎日頑張ってはいるけれど、
得体のしれない不安に包まれる。
そんなときは、
心の中のモヤモヤが消える魔法の言葉を思い出しましょう。

  何のために生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ
  何が君の幸せ 何をして喜ぶ
  わからないまま終わる そんなのは嫌だ


若い人ならきっと、
アンパンマンのうたを歌ったことがあるはず。
くじけそうなときには、そっと口ずさんでみましょう。
勇気が湧いてきますから。

今日2月6日は、アンパンマンの生みの親、
やなせたかしさんが生まれた日。



05-bis

ビスマルク


最近の若い奴は・・・
なんてセリフは、いつの時代にもある愚痴ですが、
現在の若者事情はどうなんでしょう。

仕事をする意味が見いだせない
将来の夢がわからない
マニュアルがないと動けない

どうやら、こんな悩みを抱える若者が多いようで。

ドイツの政治家、ビスマルクの言葉です。

  青年に奨めたいことは、ただ3つの言葉に尽きる。
  すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。


なかなかスパルタですね。
変に悩まずに汗を流すことも、案外気持ち良かったりして。



06-black

ブラックジャック

寒くて、朝起きるのが辛い。
このまま眠っていたい。
休んじゃおうかな。

毎朝布団の中で、同じことを考えてしまう皆さんへ。
仮病で休んでしまおうかと、こっそりたくらむ皆さんへ。

かの有名な天才外科医、ブラックジャックは、こう言っています。

  仮病は、この世でいちばん重い病気だよ

でも一日くらいなら、許してもらいたいですね。

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蛭田瑞穂 10年01月31日放送



武田百合子 1


武田百合子を語る時、まずその職業から、と思うのだが、
困ったことに彼女は肩書を極端に嫌う人だった。

夫、武田泰淳の死後、富士山麓での生活を綴った
『富士日記』を発表し、鮮やかに文壇デビューした後も、
「文筆家」と名乗るのを拒んだ。

ある原稿の肩書が「故武田泰淳夫人」となっていた。
それでは困ると編集者が言うと、彼女は笑って答えた。


 じゃあ主婦にしてください


さて、武田百合子を何から語りはじめよう。









武田百合子 2


武田百合子夫妻が富士山麓に山荘を構えたとき、
夫泰淳は、百合子に日記を書くよう勧めた。

彼女は首を横に振って、それを渋った。
しかし泰淳はなおも説得を重ねた。


 どんな風につけてもいい。
 何も書くことがなかったら、
 その日に買ったものと天気だけでもいい。
 日記の中で反省はしなくてもいい。
 反省の似合わない女なんだから。


後年、武田百合子の名を世に知らしめた『富士日記』は
夫の説得の末に生まれた作品である。




武田百合子 3


戦後間もない東京、神田に
「ランボオ」という名の喫茶店があった。
作家武田泰淳はその店の常連客だった。

泰淳は店の女に恋をしていた。
しかし、その恋の進展ははかばかしくなかった。
女は美人で、まわりにはいつも彼女目当ての客がいた。

あるとき泰淳は、女にチョコレートパフェをおごった。
女はうれしそうにそれを食べた。
アメリカ製のチョコレートパフェは当時高級品だった。

それ以来、泰淳は店に来ると
女にチョコレートパフェをおごるようになった。

好きなものを食べさせて、
自分は黙って、はずかしそうに焼酎を飲んでいる。
そんな泰淳を女はいつしか好きになった。

女の名は、鈴木百合子。
のちに武田泰淳と結婚し、武田百合子となるその人である。

もし、チョコレートパフェがなかったら、
武田百合子という稀代の文章家は
生まれていなかったかもしれない。




武田百合子 4


「美しい」という言葉を簡単に使わない。
武田百合子はそう決めていた。

 景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
 心がどういう風かくわしく書く。
 「美しい」という言葉がキライなのではない。
 やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。



美しい文章を書こうと思ったら、
美しいものを美しいと書いてはいけない。


勉強になります。




武田百合子 5


戦後間もない頃、「ランボオ」という喫茶店で
武田百合子は働いていた。
作家たちの溜まり場として繁盛していた店の常連客に、
のちに百合子の夫となる武田泰淳がいた。

痩せて元気がなく、女に話しかけるのが下手な人、
というのが百合子の印象だった。

泰淳からの求婚を受けたときも、
それをありがたく思う気持ちはなかった。
戦争で焼け野原になって、
ずっと酒を飲んでいる百合子に、
先のことは何も考えられなかった。

しかし、ともかく、ふたりは結婚する。
以後泰淳の死まで結婚は25年間続くことになる。

結婚することを、俗にゴールインと呼ぶ。
だが百合子と泰淳、ふたりにとってそれは、
ゴールではなく、スタートだった。




武田百合子 6


武田百合子は戦争を経験している。
空襲で家が焼け、親類を渡り歩いた。
裕福だった少女時代から一転、生活は貧窮の底に落ちた。


 七月三十日(金) くもりのち晴れ、風涼し
 朝起きぬけに、花畑のまんなかで
 髪の毛をとかしているといい気持だ。
 朝 麦飯、じゃがいもベーコン炒め、さばみりん干し、のり
 夕食 麦飯豚ロース


『富士日記』に繰り返し綴られる、平凡な日々。
しかし、平凡な日々の中にこそ、幸せがある。




武田百合子 7


武田百合子の『富士日記』は、
富士山麓に山荘を建てた昭和39年に始まり、
夫武田泰淳が他界した昭和51年に終わる。

13年の間に、溜まった日記帳はじつに12冊。
「長い間よくあきずに書きましたね」
百合子はよくそう言われた。
その度に彼女は胸の内でつぶやくのだった。


 私だってキョトンとしているのだ。
 よくまあ、この私が書き続けたものだ。


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