マリー・アントワネットが好きだったクグロフの材料。
強力粉 塩 砂糖 ドライイースト
卵 牛乳 バター レーズンまたはナッツ
写真で見る通り、お菓子というよりパンです。
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」
というアントワネットの発言は
研究によると、実はアントワネットではなく
某大公夫人、またはルイ16世の叔母だったそうですが
いずれにしろ「お菓子」と訳されている原文は
「brioche」であり、
通常のパンよりもバターを多めに使った
やはりパンの一種なのでした。
2009 年 5 月 のアーカイブ
クグロフのレシピ
江口順也 09年5月3日放送
村上春樹
メロスは、
友の信頼に応えるために
走り続けた。
村上春樹氏は、
なんのために
走り続けるのだろう。
彼は、小説家になって以来、
フルマラソンに挑み続けている。
12時間をかけて、
100キロを走破したこともある。
なぜ、そこまで自分を追い込むのか。
彼はこう答えた。
小説には毒が必要だ。
自分の中にある毒なるものを抽出するためには、
肉体は健全でなければならない
春樹氏が走り続ける限り、
ファンたちが裏切られることはないだろう。
飯島 愛
おなじ町内に住んでいて。
時おり姿を見かけると
とびきりセクシーで。
ほんとにこの辺の住人かな、
と思うような年上のお姉さんが
どんな街にもいる。
そんな子が、
突然ある日、遠くへお嫁に行ってしまった。
去年のクリスマス。
飯島愛さんが
もういないと聞いたとき、
そんな感じがしませんでしたか。
トーマス・エジソン
亡くなる2年前。
エジソンは、こんな問題を出した。
一、 1億円の遺産があったら、何に使うか。
二、 幸福 快楽 人気 名誉 財産 愛情の中で、
いちばん欲しいものは何か。
三、 死ぬ前に人生を振り返るとき。
何をもって、成功だったか失敗だったか、判定するか。
四、 どういう場合に、うそをついてもよいと思うか。
不況にあえぐ世界の行く末を心配した彼は、
みずから資産を投じた奨学金制度を設け、
そのテスト問題も、みずから考案したのだ。
技術や知識より、人間性を問うたこの4問。
エジソンが最後に発明したかったもの、
それはきっと、
希望だった。
香山リカ
ふと声が聴きたくなる。
そんな、古い友だちはいますか。
むかしよく遊んだその女の子は、
愛くるしい顔立ちだった。
デザイナーの母と、
フランス人音楽家を父に持つ、
裕福な家柄。
いつもキレイに着飾った彼女といると、
まるで自分まで、
セレブの仲間入りをしたような気になれた。
落ち込むことがあった日は、
その子によく電話したものだ。
ケータイなんて、なかった時代。
黒電話の受話器から聞こえてくるその声は、
いつだって、やさしかった。
もしもし、わたし、リカちゃん…
今もきっと、
どこかの少女の悩みを聞いてあげている。
今日は、リカちゃん人形の誕生日。
エリオット・スミス
多くの天才たちがそうあるように
彼もまた、短命だった。
享年34才。
多くの天才たちがそうあるように
彼もまた、苦悩していた。
うつ病、薬物、アルコール依存症。
多くの天才たちに続くことなく
彼だけは、スターになることを拒絶した。
アカデミー賞 授賞式での演奏後。
僕はこんな世界に住みたいとは思わない。
でも1日だけなら月の上を歩いてみるのも悪くなかったよ。
ローリング・ストーン誌による
史上最も過小評価されているギタリスト25人に選ばれた男、
エリオット・スミス。
エイブラハム・リンカーン
世界は一つしかない。
それを、
上から見下ろす人と、
下から見上げる人が、
いるだけだ。
22歳で破産し、
無一文になったリンカーンは、
8度の落選を経て
大統領になった。
あるとき、
廊下の片隅でしきりに靴を磨いていると、
そんな真似はおやめくださいと
秘書にたしなめられる。
リンカーンは笑った。
靴磨きは、恥ずかしいことかね。
大統領も靴磨きも、どちらも人のために働く仕事だ。
下から見た景色を胸に焼き付けて、彼は、一番上に立った。
そして、全米の奴隷が解放された。
エルネスト・ゲバラ
革命への情熱ひとつで
キューバにやって来たエルネストは、
だれにでもよく声をかけた。
ねぇ、体の調子は大丈夫かい。
ねぇ、俺たちで世界を変えよう。
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
子どもに、農民に兵士に、
人懐っこく呼びかけるこの口癖は、
いつしか彼のアダ名となっていく。
母国、アルゼンチンの言葉で、
「チェ」
エルネスト・ゲバラを、
民たちの愛が、
チェ・ゲバラに変えた。
泉 重千代
ユーモアとは、
心の健康をあらわす言葉では
ないだろうか。
120歳で世界最長寿の
記録者となった泉重千代さんは、
取材陣に、
好きなタイプの女性を聞かれ、
こう答えている。
やっぱり、年上の女かのぅ。

宴のメニュー
マリー・アントワネットがフランスに出発するにあたって
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿で催された祝宴のメニューを
お知らせします。
招待客4000人に出されたこのメニューは
当時のフランクフルトの新聞に掲載されました。
◉ボイルドハム100本、塩漬けハム100本、雉の肉入りパイ40枚、
しゃこの肉入りパイ40枚、山鳥の肉入りパイ40枚、
やましぎの肉入りパイ40枚、七面鳥の肉入りパイ40枚、
去勢雄鶏の肉入りパイ50枚、ひき肉入りパイ50枚、
仔牛のもも肉入りパイ50枚、燻製のタン100本、
塩漬け肩先肉400ポンド、
ボローニア風ソーセージ100本。
◉肉類:七面鳥100羽、去勢雄鶏250羽、仔牛のひき肉80ポンド、
肥育鳥400羽、雌仔豚80頭、兎の肉入りゼリー50本、
ソーセージ風雌仔豚の香味漬け詰め物の煮物100個、
豚肉入りゼリー100本。
雉250羽、えぞ山鳥200羽、しゃこ250羽、やましぎ200羽、
のろ鹿の背肉ともも肉120頭分、七面鳥120羽、去勢雄鶏400羽、
肥育鶏と鶏の秋雛200羽、仔羊100頭、仔牛の丸100頭。
◉ケーキ:チーズケーキ50ダース、マドレーヌ風焼き菓子50ダース、
オリオール風焼き菓子50ダース、ショートケーキ50ダース、
愛の泉ケーキ50ダース、
ファルノーヌ50ダース、ショード60ダース、シュークリーム類60ダース、
ブリオッシュ50ダース、アーモンド入りショートケーキ50ダース、
ビスケット50ダース、ピスタチオの実入りショートケーキ50ダース、
平鉢100皿、計9,480個。
◉スペイン風雑炊とスープ20,660杯分
◉喫茶:コーヒー16,360杯分、チョコレート・ドリン14,592杯分、
紅茶3,840杯分、レモネード2000マース、ポメランツァーデ1200マース、
アーモンド・ジュース入りミルクセーキ1,160マース。
◉冷たい飲食類…レモン皮砂糖漬け1,600マース、だいだいの砂糖漬け220マース、
メラーローゼ80マース、ベルガモットオレンジの砂糖漬け80マース、
バニラ入りミルク80マース、肉桂入りパピーナ60マース、
あぶり砂糖60マース、イチゴジュース50マース、
チョコレート40マース、ミルクコーヒー50マース、
ドランジェー類750ポンド、だいだい8,000個、ベルガモット3,000個、
マシャンツカーりんご6,000個、タンタセルル1,600個、
はこね草の葉のシロップ180本、
◉パン他:クロワッサン8,000個、パンケーキ類2,440ポンド、
チョコレートとオリオ用ゼンメルパン6,000個、
パンケーキ類2,440ポンド。
◉ワイン類…トカイ産1,990本、マスカット301本、スペイン産452本、
シャンペン1,462本、ブルゴーニュ産赤ワイン1,080本、
ライン産白1,068本、モーゼル産白940本、
ラッツェンドルフ産820本、オーフェン産712本、エアウラ産570本、
ウィーン産602本、オーストリア産50アイマー。
佐藤延夫 09年5月2日放送
岡本一平 偶然
偶然。
その言葉は、どこか曖昧でありながらも、
不思議な説得力を持つ。
大正時代の漫画家、岡本一平は
偶然にも、ひとりの娘と出会う。
大貫かの子、のちの岡本かの子である。
肉感的な立ち居振る舞い。
その反面、
ときおり見せる、あどけなく可憐な仕草。
一平はやがて、かの子の虜になっていく。
かの子は、多くの男を虜にしていく。
偶然と運命は、いつも折り重なって存在するのか。
岡本一平 恋愛
恋愛。
その関係は、いつでも対等の立場であるはずがない。
手紙のやりとりから始まった
岡本一平とかの子の恋。
かの子の筆遣いは大胆にして
生きた感情を包み隠すことなく、ぶつけてくる。
あらためて一平は、かの子の魅力に引き込まれていった。
したためる言葉も、変わっていった。
“これは僕が落とした涙の跡です”
“かわいそうだと思って、会ってくれ”
一平はすでに、かの子の奴隷になっていた。
服従。それも恋愛の、ひとつの形。
岡本かの子 才能
才能。
ときにそれは、努力では覆いきれないほどの力を持つ。
画家の卵として、細々と仕事を続ける岡本一平。
妻のかの子は、すでにその限界を察知していた。
“一平は人間としては誠に面白いかはり、到底一生凡俗以上に
なり得ないと見極めが付いたやうに感ぜられます”
兄に宛てた手紙には、そう綴られていた。
一平が、洋画家ではなく、漫画家として脚光を浴びるのは、
ほんの少し、先の話になる。
“お父さんは、絵が下手だねえ”
のちにそう言ったのは、長男の太郎。
岡本太郎だった。
岡本一平 立場
“総理大臣の名前は知らなくとも
岡本一平の名を知らぬ者はいない”
洋画家から漫画家に転向した岡本一平は
世間にそう言わしめるほどの売れっ子になっていた。
そして1921年の今日、5月2日。
日本初の物語漫画「人の一生」の連載を始める。
“この仕事は、僕にとって、僕の生涯を掛けた芸術の一大投機です。”
その後、一平は「第二の夏目漱石」と評され、
絶対的な地位と名声を手に入れる。
しかし妻かの子との関係は
もはや修復できないほどになっていた。
新しい立場と、消えゆく立場が揺れていた。
岡本かの子 奇妙
奇妙。
それは一般的な常識や概念とズレが生じたものを指す。
たとえば岡本一平とかの子の夫婦関係は、
奇妙と言わざるを得ない。
一平のほかに、
かの子が愛した男たちは皆、岡本の家で暮らしていた。
早稲田大学の学生、堀切茂雄。
二十年にわたり
身の回りの世話を買って出た恒松安夫。
かの子の手術を執刀した医師、新田亀三。
三人とも、亭主である一平の許可のもと、
半生をかの子に捧げた。
いくつもの奇妙な愛が、岡本家を包んでいた。
岡本一平 変化
変化。
それはときに、思いもよらない結果をもたらす。
昭和13年の春、意識不明となった岡本かの子は、
翌年、帰らぬ人となった。
夫の一平は、こう語っている。
“ああ、何で人生にはこんな酷い出来事が構へられてあるんだ”
そんなとき、一平の体を気遣う娘がいた。
かの子の兄の忘れ形見、鈴子だった。
一平は、鈴子に心惹かれ、結婚を願い出たが
認められる筈もなかった。
かの子が亡くなった、その秋の出来事である。
岡本太郎 巴里
巴里。
岡本太郎は、18歳から29歳まで、
この地で暮らしている。
ある日、ラ・ボエッシー街の画商でピカソの絵を見たとき
太郎は、溢れ出る涙を、抑えることができなかった。
“これこそ、自分が突き詰める道だ”
私生活では、生涯独身を通している。
両親の影響を受けたのかと思えば、そうでもない。
“世界中にこんなに沢山すばらしい女性がいるのに、一人だけ指定席に。
あとはシャット・アウトなんて。そんなことできない。フェアーじゃない”
彼が生涯の伴侶にしたものは、
芸術だけ、だったのかもしれない。






















