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2009 年 11 月 のアーカイブ

名雪祐平 09年11月14日放送

1114

リチャード・カールソン


テレビはしゃべる。
大変だ、大変だ、大変だ。

新聞は書く。
考えろ、考えろ、考えろ。

友だちは打ち明ける。
困った、困った、困った。

アメリカの心理学者、
リチャード・カールトンのアドバイスは、こうだ。

1.小さいことにくよくよするな。
2.全ては小さいことだ。

こんな、
かんたんな法則があるなんて。






2.

徳川光圀


水戸黄門こと徳川光圀は、
グルメな殿様だった。

生類憐みの令を馬鹿にしながら、
牛や豚、羊の肉を好んで食べた。
ラーメン、チーズ、餃子を
日本で最初に食べたともいわれる。

ただ、自分の誕生日には、
白粥と梅干しですませた。

その日は、お産で
母親に最も苦労させた日だから。
母親の恩を忘れないように、という
粗末な食事。

それも、きっと、深い味。


3.

高橋慶一郎


21世紀に、
どんどん信者を増やした宗教。

その名は「スピード」

もっと早く。
ビジネスは、スピードいのち。
遅ければ負ける、つぶれる。
そんな、呪文たち。

ユニチャームの創業者、
高橋慶一郎は違った。

人が1時間ですませるものを、
考えに考えて2時間かけてみよう。

そうやって、オムツは
やさしく出来あがるのかもしれない。


4.

オグ・マンディーノ


生命保険を売る男が、
自殺を決意した。

質屋のウィンドウに29ドルのピストル。
しかし、思いとどまり、
気がつくと図書館の前にいた。

図書館で、自己啓発本を手にしたことで、
男は甦った。

生命保険で見事な営業成績をおさめ、
やがて自らも自己啓発本を書いた。

作家、オグ・マンディーノはこうしてデビューし、
これまでに作品は3500万部を売り上げた。

こんどはその本が、世界のたくさんの命を
救っているのかもしれない。


1114

ジョーン・ロビンソン


経済学者は、
リーマン・ショックを防げなかった。

イギリスの経済学者、ジョーン・ロビンソンは、
かつてこんな皮肉を言った。

経済学を学ぶ目的は、
経済学者にだまされないためである。

経済学者が、
小さい政府とか、大きい政府とか、
論じることがもう
政府中心の考え方かもしれない。

人間中心の経済学者、求ム。


6.

ジャンヌ・エビュテルヌ


18歳の春、運命の出会い。
パリで絵を学ぶジャンヌ・エビュテルヌは、
画家モディリアーニと恋におち、同棲する。

20歳の秋、長女を産む。
21歳の冬、最愛のモディリアーニが死ぬ。
肺結核と、大量の酒と、薬物依存による病死。

2日あと、ジャンヌ自殺。
自宅の窓から身を投げる。
1歳の長女を残して。
妊娠中の二人目の子と一緒に。

絶望には、色があるのだろうか。
それとも、闇か。

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Vision収録見学記 Part3-(3) 

PICT0059
熊埜御堂由香-ネタ探しは、好き探し

そんなわけで、原稿でとりあげる題材をVieVieさんも
ディレクターのCさんも、
事前にいろいろリサーチしています。

今回、くまのみどうが、取り上げた、
フェリックス・ゴンザレス=トレス。
すこしマイナー人ですが、
VieVieさんも前から好きなアーティストだったとのこと!
ディレクターのCさんも、この原稿がきっかけで、
いろいろと資料に目を通してくださったようで
「面白いひとだねー」とトレス話に花が咲きました。

先ほど紹介した、
収録版の彼に付け加えられた形容詞、
「コンセプチュアル・アートの鬼才」

コンセプチュアル・アートってなんだったっけ?
と思い調べてみると、
アイデアまたはコンセプトが重要視される、芸術行動。
文書による指示のみで作品とするのが定番とのこと。

まさに、トレスの作品、
「自分の体重とぴったり同じだけ、床にキャンディを敷き詰め
来場者がひとりひとつだけ、それを持ち帰っていい、
ということにする」という
「気休めの薬」のようなものですね。

わたしは、はじめてこの作品を見たときは、
飴もらえるのラッキー!
くらいにしか思わなかったのですが、

一緒にその作品を見ていたひとが美術通で、
その行為にこめられた、コンセプトを教えてくれたんです。

飴とか時計とか既製品に
そんな個人的な思いを注入できるのかとたまげました。
しかもそうすることで、安定して永久に
その思いを再現できることに感動しました。
(ちなみに、その作品を一緒に見たひとのことが、
ちょっと好きだったんですが、
もじもじしているうちに彼女ができてしまって、
悲しかったなぁ。)

そんな思い出があったので、
トレスのネタで原稿が書けてうれしかったです。

薄組はイレギュラーな参加で、
まだ回を重ねてないこともあって、
自分たちがもともと好きだったひとから
ネタをセレクトすることが多いです。

たとえば、石橋涼子ちゃんは、
建築学科出身で建築ネタにとっても強いです。
薄さんは、09年8月にとりあげた、
書道家、金澤翔子さん好きが高じて、
会社の書道部に入部しました。

きっと、薄組も好きリストが底をついてきます。
12月は執筆がお休みなので、
またいろいろ注入しようと思っています。

レギュラー執筆者の佐藤さんは
お休みの日に図書館に通っているそうですよ。
受験生の隣でせっせとネタを探す佐藤さん、
こうしてVision執筆者は、
世界にちらばるすてきな言葉を集めていきます。

Part3 おわり

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五島のはなし(62)

今日会社を出て駅へと歩いている時、
後ろを歩いてたサラリーマンたちの話し声に
つい聞き耳を立ててしまった。
会話の中のある一文だけが耳に飛び込んできたのだ。

「いやいや、そうは言っても五島列島とかは別ですけど!」

東京で五島列島の名を聞くことはあまりない。
すごく気になる。
ちょうど会社の先輩と歩いていて
話しかけられていたので
その前の話も、後ろの話もちゃんと聞き取れなかった。

何?何に対して「そうは言っても五島列島は別」なの?
その前にあった言葉を妄想してみると。

「私、世界中の島をめぐりましたけど、いいとこはひとつもなかったです」
「九州男児とかよく言いますけど、九州にほんとの九州男児なんていませんよ」
「日本にテポドンが届く場所なんてほんとはあるわけないじゃないですか」

・・・うーむ。どれも違う自信がある。

これを読んだ方の中に、
今日午後10時ごろ東京の汐留の地下通路で
「五島列島」という言葉を発した方はいらっしゃいませんか?

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細田高広  09年11月8日放送

01-rolli

The Rolling Stones 1

だれもが「まさか」と思った。

2004年、ザ・ローリング・ストーンズの
ミック・ジャガーがナイトの称号を与えられたのだ。
使い切れない大金と最高の名誉を手に入れて、
これ以上何を望めるだろう。

しかし、盟友キース・リチャーズは言う。

 幸せな人生とは言えないな。
 99パーセントの人間は憧れるだろうけど、
 あいつはミック・ジャガーであることに、
 満足していないんだ。


勲章で満たせる程度の渇きなら、
46年もストーンズを続けちゃいない。






02-rollin

The Rolling Stones 2

バンドなんて、気晴らしさ。

イギリスの名門大学で
経済学を学ぶ息子がロックバンドを始めたとき、
両親はその言葉を信じた。
いずれは一流のビジネスマンになる。そう疑わなかった。

しかし彼は、気晴らしのはずだったバンドを
46年経った今も続けている。

ミック・ジャガー。

彼は経済学の知識を活かして
誰よりも早く印税を計算したし、
マネジャーが不穏な動きを見せようものなら、
帳簿を自ら調べ、横領らしきものは徹底的に洗い出した。

彼は、超一流のビジネスマンとなったのだ。
ロックスター、という名の。



03-rollin

The Rolling Stones3


ローリングストーンズは、
人気よりも悪名が先行していた。
何よりも世間から反発があったのは、その長い髪。
当時、ストーンズを真似たヘアスタイルを理由に、
少年たちが相次いで停学処分になったほどだ。

実際に数多くのトラブルを起こしたストーンズ。
弁護士も、相当、手をやいたのであろう。
法廷で苦し紛れにこんな弁護をした。

 皇帝シーザーは、
 長髪であるにも関わらず、
 数々の功績をあげました。


そんなエピソードひとつひとつも、
さらなるバンドの向かい風になる。

 有名になるのはちっとも構わないんだ。
 でも、法廷ではそれが裏目にでる。

キースリチャーズは、実に悔しそうに言った。



04-rollin

The Rolling Stones 4


囚人番号7855。

麻薬所持で服役中のキース・リチャーズは
さすがに落ち込んでいた。

ある日、
刑務所内の作業場へと向かう途中で、キースは
ラジオからストーンズの曲が流れてくるのを耳にする。

その瞬間、刑務所中の囚人の口から
建物を揺るがすような歓声が上がった。

絶望は、勇気に変わった。



05-rollin

The Rolling Stones5


どこで間違って、
あんな薄汚れた奴らが
若者たちのヒーローになったのか。

イギリスを飛び出し、アメリカでも
人気に火のついたローリング・ストーンズを、
良く思わないメディアは多かった。

だいたい、肝心な演奏だって上手いとは
言えたものじゃない。

そんな批判に対して、ミック・ジャガーは言うのだ。

 俺たちは、ノイズを出してるだけだ。
 それを音楽と呼んでくれたら有り難いね。


内面を表現するためなら、楽譜なんて関係ない。
それが、ストーンズの信条。

実際、彼らが汗を流し音を出しさえすれば、
それが上手いか下手かを気にするものなんて、
一人もいなかった。



06-rollin

The Rolling Stones6


就業時間が待ち遠しい。
ロックンローラーだって、
そう思うときはあるらしい。

 ロックンロールが全てなんて馬鹿げてるよ。
 誰だって仕事が全てだなんて思ってないだろう?


大金とセレブリティの称号を
手に入れたミックジャガーにとって、
音楽はあまりに商売になり過ぎた。

やっつけでこなしたライブやレコードは、
徐々に評価を失っていく。

 ロックンロールに未来はない。

そう語るとき、
ロックンロールとは、
自分のことを意味してた。



07-rollin

The Rolling Stones 7


1989年、事実上の活動休止期間を終え、
ザ・ローリング・ストーンズが
再び始動し始めたとき、
メンバーは40代の半ばを迎えていた。

ミックはしわだらけになり、
キースは広がった額をバンダナで隠した。
それでも威勢だけは、20代のころのままだった。

ローリングストーンズは
長い長い全盛期を、今も確かに続けている。



08-rollin

The Rolling Stones 8


「もう若くないから」という言葉を
口にしかけたとき、思い出す顔がある。

ザ・ローリング・ストーンズだ。

 俺たちは、間違った考えと闘ってるんだ。
 ロックンロールは、若造のやるものだと
 みんな思ってやがる。


彼にとって歳を重ねることは、失うことではない。
むしろ、全てを手にすることのよう。

長生きの秘訣は何ですか?
という記者の質問には、

 ストーンズのメンバーになることさ。

と答えて笑うキース・リチャーズ。

なるほど。
ヤンチャな顔は20代の頃と全く変わらない。

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中村直史 09年11月7日放送



「草花になった人/藤原定家」


死ぬほど好きだ。
という言葉はよく耳にするが
死んでも好きだ。
という人はあまりいない。

歌人、藤原定家(ふじわらのていか)。
長く仕えた式子内親王(のりこないしんのう)への恋心は
死してなお収まることなく
式子の墓に「かずら」となって巻きついた…
こんな物語が元になって
木や岩にしがみつき這い登る植物に
「定家葛(ていかかずら)」という名前がついた。

冬になっても葉は緑のままで
からみつく相手がいないと
地面さえ覆いつくす定家葛。

面倒なのに逃れられない。
そんな恋心を見るようで、
少し、恐い。








「草花になった人/武蔵坊弁慶」


何十本もの矢を体に受けても
決して倒れなかった男。
死ぬときも仁王立ちのままだったという武蔵坊弁慶。

その弁慶が、
じつはいまも生きつづけているという。
野山やご近所の庭で。

不死身の弁慶にあやかった「弁慶草(べんけいそう)」
分厚い葉を持ち、
切られてもなかなか枯れず
土にさせばぐんぐん新しい根を生やす。

勇ましく。たくましく。
弁慶は、野原のかたすみや、鉢植えの中から、
「負けるなよ、日本人」
と語りかけているのかもしれない。




「草花になった人/平敦盛」


北国の、夏でも涼しい高原に
赤い頬をした
美しい少年がうつむきぎみに立っていた。

薄紅色の袋のような花を背負ったその花の名前は
「アツモリソウ」という。

16歳の初陣で、
潔く敵方の武士に
首を差し出した笛の名手、平敦盛(たいらのあつもり)。

何百年もの時をへた今も、
毅然とした姿で
逃げも隠れもせず
高原の風に吹かれている。




「草花になった人/熊谷直実」


城を捨て、船で逃げようとする平家の軍勢を追う
ひとりの武将がいた。

「敵に背を向けるつもりか、我の名は熊谷直実(くまがいなおざね)」

その声を聞いて引き返したのはまだ16歳の少年、
名だたる平家の武将のなかでも
とりわけ血筋正しい貴公子で笛の名手、平敦盛。
まだあどけなさの残るその顔を見て
熊谷直実は同じ年の息子を思い出す。

助けたいと申し出る熊谷に、
少年はただ「切れ」と言った。

何百年もの間、
人々の涙を誘った平家物語の一場面。
熊谷直実と平敦盛は、
「クマガイソウ」と「アツモリソウ」という野草の名前になった。

茶会ではこの2つの花が
一緒に活けられるという。
戦のない世界で、
ふたり静かに語り合っているのだろうか。




「草花になった人/静御前」


静御前(しずかごぜん)が囚われの身となり、
義経の兄、
頼朝の前で舞を舞わねばならなくなったとき。
彼女は、義経への一途な想いを歌った。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

早春に咲く
「一人静(ひとりしずか)」という植物は
静御前がそのときかぶっていた烏帽子(えぼし)に似ている。

実は生きながらえたという
伝説の多い義経。
どこか隠れた里山で、
彼のために舞う
この花を見ただろうか。




「草花になった人/紫式部」


花は白みを帯びているのだけれど
実を結ぶとなんとも艶っぽい紫色になる。
そんなわけでつけられた名前が「紫式部」。

秋を代表する植物のように思われているのも
きっとその名前のおかげだ。

ところで、紫式部を小さくしたような植物に
小式部(こしきぶ)がある。
誰が名付けたのだろう。
小式部は紫式部ではなく和泉式部の娘なのに。




「草花になった人/千利休」


「利休草(りきゅうそう)」という植物がある。

なにげない草だけれど、
茶室に活けたとたん、
すっと存在感を出す。

利休が見出したわけでも、
利休が名づけたわけでもない。
なにしろ利休草が中国から渡来したのは江戸時代。
利休はその存在も知らずに亡くなっている。

でも、その繊細な姿が気に入られ
どうしても茶室に活けたいと思う人があらわれて
茶花にふさわしい名前をつけてもらった。

利休草。
茶道の世界でこれ以上いい名前はない。
遅れてスタートしたくせに
トップを走っているランナーのようだ。

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五島のはなし(61)

五島の愛すべき魚たち(その4)

・・・突然「その4」ですけど。
一応、「あらかぶ」「はこふぐ」「くろ」につづくその4ってことで、「ミズイカ」です。
関東では「アオリイカ」と言います。

あ、そもそもイカって魚なのか?

 

まあとにかく。このミズイカを釣るのがですね、おもしろいんです。
まず小さいアジを釣って、
それを泳がせてミズイカを食いつかせます。

最近は「エギング」と言って、餌木(エギ:魚の形をしたルアーです)を使った
釣りが流行ってますが、口は断然アジの泳がせ釣りです。
ミズイカは甘くって弾力があってうまいんですよー。
いきのいいアジ(やその他の小魚)を食料にしているわけだから
きっとそのせいでうまいのでしょう。

写真は兄が釣ったミズイカです。
これはまだお子様サイズですけど。
兄は(口と違って)思いやりがあり、人として大物ですが、
釣る魚はだいたい小物です。
兄は(口と違って)やさしくて、子どものころから人に好かれたけど、
魚たちはどうも寄ってきません。

・・・ごめん、兄。
対抗心でつい言いすぎた。

ミズイカ

ミズイカ

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バリ島見聞録(7)

「バリ島の結婚式」

滞在していたホテル(一泊1700円)の常にロックの黒Tを着ている20代のマネージャーが
お世話になった現地スタッフ(ヨガインストラクター・ベジタリアン&ナイスガイ)の友だちで、
その彼の兄貴が結婚するということで、遊びにこないかという提案をいただいた。

実はそのマネージャー、見かけによらず王族なのだとか。
王族の婚礼がみれるということで二つ返事し(二つ返事ってなんだ?)、
おずおずと写真とっていい? と聞いたところ、
写真撮らずにどうするの! としかられました。

さすが、1930年代から観光を売り物にしていたバリ島。
見られてなんぼらしいです。

正装して、伺ってきました。

bali-marriage
つづく



※「二つ返事」:「はい、はい」と重ねた返事。また、快く承知すること。(goo辞書)
間違った使い方しました。

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五島のはなし(60)

「こういう名前の外国人が五島に来たら、
さぞ盛り上がるだろう」シリーズ(その1)。

ヘッパバッカー・ユーケンさん(from オーストラリア)
→「うそばっかり言うから」さん。
 何を言っても島民から信じられない存在になるだろう。

テンゴバッカー・スンナーさん(from オーストラリア)
→「いたずらばかりするな」さん。
 島の子どもたちがついつい警戒してしまうだろう。

オージョコージョ・スンネさん(from ケニア)
→「えらく困ったね」さん。
 この人がいわゆる「困ったちゃん」な人だったら
 さぞかし素敵だろう。

アラヨ・ツンダヒゲナさん(from フィリピン)
→「まあかわいそうに」さん。
 島の人たちにすごくいたわってもらえると思う。

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Vision収録見学記録 part3-(2)

PICT0070

熊埜御堂由香-HP版と収録版


リスナーでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
このVision・HP版にのっている原稿と、
実際、放送されている原稿が
ちょっと違うことがあります。

書き上げた原稿を、収録現場で直すことが多々あるんです。
なので収録に立ち会うと、書いた人と、
演出する人が一緒に相談しながら原稿を直せるというメリットも。
今回はそのメリットをすっかり逃してしまいましたが・・・

たとえば、10月18日放送分の薄組の原稿だと、

(HP版)
琳派の創始者であり、
国宝「風塵雷神図」を描いた、俵屋宗達。

(収録版)
江戸時代の一大芸術、琳派の創始者であり、
国宝「風塵雷神図」を描いた、俵屋宗達。


(原稿版)
フェリックス・ゴンザレス=トレスの「気休めの薬」という作品だ。

(収録版)
13年前にエイズで他界した、コンセプチュアル・アートの鬼才、
フェリックス・ゴンザレス=トレスの「気休めの薬」という作品だ。

(原稿版)
スペインの建築家、アントニオ・ガウディ。
あのサグラダ・ファミリアの設計者。

(収録版)
スペインの天才建築家、アントニオ・ガウディ。
あの世界遺産として有名なサグラダ・ファミリアの設計者。

ずいぶん丁寧に、ネタを調べなおしていることがわかります。

VieVieさん曰く、Visionは言葉と言葉の間に、
ミックスした音楽も楽しんでほしいので、
意識的に間をとってミックスしているそう。
なので、主語を丁寧に繰り返してあげることと、
リスナーの知識はばらばらなので、
とりあげる人になるべく分かりやすい形容詞を補足することが
多いようです。

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五島のはなし(59)

口が五島を離れたのは18歳のとき、
大学に進学するためでした。
飛行機に乗って五島の空港を飛び立つと
飛行機はぐるっと島をめぐるように上昇し、
「なにこれパイロットが口を泣かせようとしてる?」と思うほど
島の姿をじっくり見せつける(そんな風に感じられた)ので
口は思わずぼろぼろと涙を流したのでした。

あ、ちなみに「口」が読みにくいでしょうが、
これ、今日から「私」の代わりに使うことになった一人称です。
「ハコ」という読み方をします。
以前、口のコピーライターの師匠であるKさんが
転勤の挨拶のときに

「自分というものはからっぽの箱みたいなもので、
 その箱に知り合った人たちや出来事が
 どんどん入って、それが自分をつくってるんだと思います」

ということを言っていて、
いいこと言うなあ、ほんとそうだよなあ、と思ったことを思い出し、
それで、「私」も「僕」も「俺」もしっくりこない口は、
口を口の一人称として使っていこうと(さっき)決めました。
(五島のはなし58参照)

口はいま36歳なので
口の半分のスペースが
島以外の年月と人と出来事で埋められたとも言えます。
この月日の境目って言うのはちょっと感傷的になるなあと
思って今日のはなしを書きだしてみましたが
実際はそんなに感傷的気分もわいてこず、
いまはただ、
この「口」という一人称がやっぱ使いにくいなあ、
という気持ちでいっぱいです。

これ五島の写真ですけど、五島のイメージとしてこの写真がふさわしいかは疑問。

これ五島の写真ですけど、五島のイメージとしてこの写真がふさわしいかは疑問。

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佐藤延夫  09年11月1日放送

01-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊1


「もしも、あの馬が無事に走っていたら」

今でも競馬ファンが、そう考えてしまうレースがある。

平成10年、11月1日。天皇賞。
一番人気で先頭を走っていたサイレンススズカは
レース中に左前脚を骨折、安楽死となった。
ジョッキーの武豊は語る。

「夢が一瞬にして消えてしまった。」

11年前の天皇賞の話になると
悲しそうな顔をする人は多い。





02-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊2


1997年、2月1日。
京都競馬場。
芝1600mの新馬戦。

サイレンススズカのデビューは、
強烈なものだった。

スタート良く飛び出したら、
そのままゴールまで影も踏ませない。
騎手は道中、慌てず騒がず、
手綱さえ動かさなかった。
まるで他の馬は歩いているようだ、と誰かが言った。
終わってみれば、7馬身差の圧勝。
競馬場は、溜息に包まれた。

「凄い馬が出た。」

別の馬に乗っていた武豊は、
初めて見るサイレンススズカのスピードに舌を巻いた。



03-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊3


スピードは速いけど、誰も制御できないクルマ。
4歳当時のサイレンススズカは、まさにそんな馬だった。

幼さと気性の激しさが悪い方向に傾くと、
ことごとくレースを台無しにした。
弥生賞では騎手を振り落とし、ゲートをくぐり抜けてしまう。
ダービーは、ちぐはぐな競馬で惨敗。
秋のマイル戦も、見せ場すら作れなかった。

その年の12月、
香港遠征で、初めて武豊に身を任せる。

5着に敗れはしたものの、
気持ち良さそうにターフを駆ける姿は、
関係者を唸らせた。
持ち前のスピード、ダイナミックな足の運び、後半の粘り。
並の馬ではない。
一流馬となる素質は、随所に感じられた。
レース後、武はぽつりと言った。

「恐ろしい馬になるかもしれない。」

その予言は、思うより早く現実のものとなる。



04-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊4


多くの競走馬は、自分のスタイルを持っている。
逃げ、先行、差し、追い込み。
宿命的に「一か八か」という言葉がつきまとうのは、逃げ馬だ。

たとえば2000mのレースで、
1000mを通過するタイムが
58秒というのは明らかにオーバーペースであり、
やがて後続の馬に一気に追い抜かれてしまう。

でもサイレンススズカに限っては、それがマイペースだった。

栗毛の逃亡者。
音速の貴公子。
異次元の快速馬。

のちに、さまざまな異名がつけられた。



05-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊5


1998年。
5歳になったサイレンススズカは、
圧倒的な強さを見せつける。

2月のバレンタインステークスを皮切りに、
中山記念、小倉大賞典でも勝ち星を重ねた。
圧巻だったレースは、5月の末、中京競馬場で行われた金鯱賞(きんこしょう)。
スタート直後に飛び出したら、最後まで一人旅。
どの馬も、彼のペースについて行けなかった。

去年負かされたライバルたちは、遠くに霞んで見えるだけ。
4コーナーを過ぎると、観客は拍手を送り、
ゴール前では、笑いがこぼれた。
誰もがその強さに呆れてしまうようなレースだった。

終わってみれば、2着に11馬身の差をつけて圧勝。
レコードタイムを軽々と塗り替えていた。
これで、年が明けて4連勝。
武豊は語る。

「今日のサイレンススズカなら、どんな馬が来ても負けない。」

慎重な彼がこんなに強気な発言をするのは、珍しい。



06-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊6


1998年、7月。
サイレンススズカは無傷の4連勝で、
春競馬最後のGI(ジーワン)レース、宝塚記念に挑む。

このときに限り、武豊には先約があり、
南井(みない)騎手に乗り替わった。

距離の延長が不安視されたが、
始まってしまえばいつも通り。
最後までどの馬も、並ぶことさえできなかった。

武は、エアグルーヴに跨がり3着。
サイレンススズカの後ろ姿を見つめるだけだった。
レースを終えて、南井騎手は言う。

「この馬の能力は、ナリタブライアンに匹敵する。」

それはかつて、怪物と言われた馬だった。



07-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊7


1998年、秋。
天皇賞の前哨戦、毎日王冠は
東京競馬場で行われた。

サイレンススズカは、
淡々と自分のペースを守り、レースを進めていく。
しかしリードはそれほど大きくない。
最後の直線、他の馬が近づいたところで、一気に引き離した。

「これが理想だと思いました。」

武豊は、誇らしげに言う。
サイレンススズカがスターホースになった瞬間だった。



08-silencesuzuka

サイレンススズカと武豊8


やけに数字の1が目につく日だった。
平成10年11月1日の第11レース、秋の天皇賞。
サイレンススズカは、1枠1番にゲートインした。

芝が西日を浴び、ターフは黄金色に輝く。
彼はいつものように、後続に大差をつけて逃げる。
府中名物、大欅(おおけやき)を越え
まもなく第4コーナー、というあたりで躓くように失速。
左前脚の粉砕骨折。
この日が、サイレンススズカの命日となった。

翌年の7月11日、宝塚記念。
実況アナウンサーは、レースが始まる前に言った。

「あなたの夢は、スペシャルウイークか、グラスワンダーか。
 私の夢は、サイレンススズカです。」

人々の記憶の中で、彼は走り続けている。

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