坂本和加 10年02月21日放送

当麻庄司

蕎麦と当麻庄司①


重ねたセイロを「手持ち・肩持ち」で
自転車にまたがり、蕎麦を運ぶ。
昔ながらのスタイルで出前中の蕎麦屋を、
つい最近、青山で見かけたのだから、驚く。

カブの後ろに装着する
あの「出前機」が普及してからは、
こういった光景も、事故も、ずいぶん減った。
発明者は、当麻庄司。
目黒にあった蕎麦屋の主人だ。

この発明で、当麻は紫綬褒章を受章した。






ライ・クーダー

蕎麦とライ・クーダー②


江戸蕎麦の老舗といえば、のれん御三家。
更科なら白、砂場なら黄色、
藪なら緑がかった蕎麦を出す。
もちろん、汁の濃さや味も変わる。

中でも藪は、出前に適さない蕎麦だから
忙しい職人や通行人が相手だった。
もし東京で、その味や風情を楽しむなら、
「神田 やぶそば」がいい。

むかしライ・クーダーがここへきて、
「シンギング・ソバ!」と感激した蕎麦。
なぜ、シンギングなのか。
野暮は言わずに。どうぞ、お店へ。


林家彦六

蕎麦と落語家、林家彦六③


お蕎麦の「にっぱち」は、
つなぎの割合のことだと思われているが、
じつは「かけそば一杯」が、16文だったことから
「ニハチ、ジュウロク」で
「にっぱち」になったという説が、
どうやら近ごろでは有力らしい。

落語に「時そば」という
有名な演目があるが、
どうせお金を払うなら、
やっぱり、うまい蕎麦だろう。

「蕎麦は、
当たりはずれが多いから気をつけろ」と
言ったのは、今は亡き林家彦六師匠。
たしかに、扇子で蕎麦をたぐるのも芸のうちなら、
うまい蕎麦を知っていなければ。

さすがは彦六師匠…と思いきや、
本人はコーヒーやカレーなどの洋食を
好んでよく食べていたそうだ。

もとより、有名な落語家になるほど、
蕎麦を人前で食べるのを嫌がるのだそうだ。
それはじろじろ見られることよりも、
まずい蕎麦でも、うまそうに食べなきゃならないことのほうが、
ほんとうは、つらいからかもしれない。


松平治郷

蕎麦と松平治郷④


東京から遠くはなれた島根県もまた、
うまい蕎麦のみつかる土地だ。
出雲蕎麦の文化を運んできたのは、
松江7代目藩主、松平治郷。
江戸で覚えた蕎麦が、忘れられなかったのだ。
茶の世界では不昧公の名で知られるこの殿様は、
とっても風流で、オシャレに生きた。


 茶を立て、道具求めて、蕎麦を食い、
 庭を作りて、月花見ん、このほか大望なし、大笑、大笑。



夏目漱石

蕎麦と夏目漱石⑤


東京で生まれ育った文豪、
夏目漱石も、蕎麦はよく食べていたようで
多くの作品に蕎麦の描写を書き残している。

熊本から上京してきた『三四郎』は、
蕎麦屋で日本酒を飲むことを覚えたし、
かの『坊っちゃん』も、
道すがら見かけた蕎麦屋が
どうしても素通りできなくて
つい暖簾をくぐってしまうほどの蕎麦好き。

けれど、『我が輩は猫である』の登場人物、
迷亭先生はちょっと違う。
通人ぶった蕎麦講釈をのたまう、鼻つまみ役だ。
あげくに、つけすぎたワサビにむせてしまい、
迷亭先生は、作者・漱石にやり込められてしまう。

それは、蕎麦をたぐることに粋を見いだし、
知識をひけらかすスノッブたちに閉口する、
漱石なりのアンチテーゼのようにも思える。

甘党で知られる漱石にとっては、
されど蕎麦より、たかが蕎麦。
うまければそれで結構、と思っていただろうから。


宮沢賢治

蕎麦と宮沢賢治⑥


宮沢賢治もまた、蕎麦好きの文人。
「原稿料が入ったら、BUSHへいきましょう」と
うれしそうに、友人を誘った。

賢治が蕎麦屋をBUSHと呼ぶのは、
店名が「やぶ屋」だから。
そこの天ぷら蕎麦が、
賢治の大のお気に入りだったようで、
サイドメニューは酒でなく、サイダーを頼んだ。
天ぷら蕎麦、15銭。サイダー、23銭の時代に。

「やぶ屋」は、現在も
賢治の故郷、花巻市にある。
名物は、わんこそば。
天ぷら蕎麦はサイダーより、今は高い。


片倉康雄

蕎麦と片倉康雄⑦


蕎麦職人の世界で、
きっと片倉康雄を知らないひとはいない。
片倉は、蕎麦職人も通う
手打ちの名店、一茶庵の創業者。
師を持たず、まったくの
独学で蕎麦料理を完成させた。

片倉が目指したのは、
毛のように細い、蕎麦の味。
それは、片倉の幼い頃、
大好きだった母の打ってくれた、蕎麦だった。

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