2012 年 12 月 16 日 のアーカイブ

古居利康 12年12月16日放送


尾崎行雄の95年 ①

1890年、明治23年、7月1日。
第一回衆議院選挙がおこなわれた。
投票できるのは、25歳以上の男子だけ。
それも15円以上の納税者に限られた。
有権者数約45万人。当時の日本の人口の
わずか1.1%にすぎなかった。

それがわが国初の選挙だった。

このとき当選した300人の議員の中に、
32歳の尾崎行雄がいた。
三重県第5区から立候補。
有効投票数1,919票のうち1,772票を
得てトップ当選を果たした。

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古居利康 12年12月16日放送


尾崎行雄の95年 ②

明治維新の10年前、
相模国津久井郡で生まれた尾崎行雄は、
討幕運動に奔走した父の薫陶を受け、
福沢諭吉の慶応義塾に学んだのち、
新聞記者を経て、明治政府の官僚となる。

早くから政治への志を抱いた尾崎は、
やがて自由民権運動に身を投じ、
大隈重信と共に立憲改進党をつくる。

薩摩と長州。
明治維新の原動力になった2つの藩出身の
人間だけが優遇される政府のあり方に
疑問をもった尾崎行雄は、
欧米をお手本とする国会の設立、
選挙制度の確立を実現し、
理想の政策を共にする者があつまってつくった
政党が政治を動かす議会政治をめざした。

1889年にようやく国会が開設され、
1890年におこなわれた第一回衆議院総選挙で
当選。尾崎行雄のほんとうの戦いは
ここから始まる。


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古居利康 12年12月16日放送


尾崎行雄の95年 ③

咢堂・尾崎行雄。別名、憲政の神様。
1890年、32歳で第一回衆議院総選挙で当選して以来、
1953年、95歳で落選するまで、25回連続当選。
63年の長きにわたって国会議員の職にあった。

尾崎行雄の生涯をたどることは、
議会政治の歴史を知ること。

1891年の第二回総選挙で、
政府の露骨な選挙干渉がおこなわれ、
票の売買がはびこったときも。

高額納税者だけに与えられていた選挙権の
制限を撤廃する普通選挙の運動が
燃えさかったときも。

日清・日露の両戦争で発言権を増した
陸海軍が国会に軍備増強を突きつけたときも。

国会にはいつも尾崎行雄がいて、
つねに正論を唱え、政府の方針を糾していた。

やがて泥沼の戦争に向かう1940年代、
自らの基盤としていた政党が、こぞって
大政翼賛会に合流し戦争遂行に走った時代にあっても、
尾崎行雄だけは政府非推薦をつらぬいて当選し、
国会議員でありつづけた。

太平洋戦争が終わった翌年、
女性が初めて選挙権を手に入れた。
1890年の第一回総選挙から数えて22回目。
この国が初めて経験する完全普通選挙だった。
この年。尾崎行雄、88歳。政界引退を決めていたが、
支持者が許さず、またもや当選。
連合国による占領下の日本は、まだ尾崎を必要とした。

そして、今日、2012年12月16日。
第46回衆議院総選挙。地下に眠る憲政の神様は、
いまの政治家に何を思うだろう。

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