[puamelia]
上を向いて歩けば
1963年6月15 日。今日は坂本九の『上を向いて歩こう』が
アメリカのビルボートチャートで1位を獲得した日。
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
「上を向いて歩く」
実はこの行為、ストレス耐性を鍛える効果があるという。
上を向くと、青い空が見える。
色彩心理学によれば青い色には「沈静」「クール」の意味があり、
心を冷静にしてくれるのだ。
また、明るい空の色は
副交感神経に作用して、脈拍や血圧を下げる。
体温も下がり、安らいだ状態に導いてくれる。
嫌なことがあったら、上を向いて歩いてみよう。
きっと、少しだけ心が強くなるはず。
2014 年 6 月 15 日 のアーカイブ
松岡康 14年6月15日放送
奥村広乃 14年6月15日放送
作詞家のとまどい
1963年6月15 日。今日は『上を向いて歩こう』が
アメリカのビルボートチャートで1位を獲得した日。
「上を向いて歩こう」は、励ましの歌ではない。
と、作詞を手がけた永六輔は、言う。
この歌の歌詞は、1960年に起きた安保闘争で
感じた大きな挫折感を、表現したものであった。
この泣き虫の気持ちを歌った曲が、
たくさんの人に愛され、歌われることに
永六輔は作詞者としてとまどいを感じることもあった。
なぜ、ヒットソングになったのだろうと考えたとき、
こんな仮定にたどり着いた。
日本人は泣くのが好きなんです。
「上を向いて歩こう」はもともとが泣き虫の歌ですから、
いちばん素直に泣ける歌なんじゃないかなと思います。
澁江俊一 14年6月15日放送
作曲家のメモ
1953年に結成した「ビッグ・フォー」で、
アイドルさながらの
人気ピアニストとして活躍していた中村八大には
誰よりも苦しい時期があった。
初リサイタルの失敗、莫大な借金、
極度のスランプ、そして薬物への依存。
それでも助けてくれる友人がいた。
音楽家としての原点に帰るため
八大はアメリカとヨーロッパに渡り
現地で生の音楽を浴びるように聴いた。
そして1961年。
生まれ変わった八大は、
新たな一歩となる「上を向いて歩こう」を
初めて人々の前で演奏する。
中村八大22才のメモにはこんな言葉がある。
「中村八大は誰よりも苦しく、
誰よりも幸せでなければならない。」
世界中で愛された「上を向いて歩こう」は
若くして苦しみと幸せのすべてを
誰よりも味わった作曲家だからこそ、
生み出すことのできた歌なのだ。
澁江俊一 14年6月15日放送
dreampower-jp
本当はロックンロール
日本の有名なロックンロール!
ライブ中によく、そう叫んでは
「上を向いて歩こう」を歌った忌野清志郎。
その時、会場には必ず、
この上ない一体感が生まれた。
アメリカ遠征中の若きジャイアント馬場や、
日本人初のメジャーリーガー、マッシー村上。
そして野茂英雄…アメリカに渡り、
夢を叶えようとした日本の孤独なヒーローたちを
励ましたこの曲は、清志郎にとって、
間違いなく最高のロックンロールだったのだ。
礒部建多 14年6月15日放送
Bill Herndon
小説家の提案
「牛河はずっと昔に流行った
坂本九の感傷的な歌を思い出した。
『見上げてごらん夜の星を、小さな星を』
というのが出だしの一節だ。
大ヒットした長編小説「1Q84」に
こんな文章を書いた村上春樹。
無類の音楽好きで知られる彼は、
ジャズを中心に、様々なジャンルの曲を聴くが、
特に坂本九の「上を向いて歩こう」は、大のお気に入りだ。
この曲と同じように、
世界中で愛されている小説を生み出す村上は、
アメリカでドライブ中に、ラジオで
「上を向いて歩こう」と、よく遭遇するらしい。
スキヤキなんて、ひどいタイトルだなあと思いながらも
ミネソタのだだっぴろい平原の真ん中で、
この曲が流れてきたときには、胸がじーんとしてしまったという。
村上は、後に、こんな言葉まで残している。
僕は「上を向いて歩こう」を、
日本の国歌とまではいわずとも、
準国家にすればいいのにと
長年にわたって主張しているんだけど、
いかがでしょうか?
礒部建多 14年6月15日放送
ekitop03
家族の願い
坂本九の遺作となった「心の瞳」。
初めて披露されたのは、自身の告別式。
娘、大島花子の演奏だった。
坂本家の長女として、花子は生まれ育った。
家庭内には、常に音楽が溢れていたし
誕生日になると父が、
娘のためだけに曲を贈ってくれた。
あまりにも突然過ぎた父の死。
やがてその悲しみを乗り越えるため
花子は、母と妹と家族ユニット「ママエセフィーユ」を組む。
今も、父が残した曲たちをステージで披露している。
父は、家族で合唱や合奏をとてもやりたがっていました。
だから私たち3人と父とで何かできないか、
そう思って始めたユニットです。
花子たちの歌を、
坂本九は、どんな想いで聴いているだろう。
松岡康 14年6月15日放送
keyaki
発車のベル
月曜日の朝。
京急川崎駅のホームには、
東京方面に出勤するサラリーマンたちで
ごった返している。
上りの電車が入ってくる。
そこに、電車接近を知らせるメロディが重なる。
「上を向いて歩こう」。
川崎生まれの坂本にちなんで、
2008年から電車接近メロディに採用されたという。
その優しいメロディは、
憂鬱そうなサラリーマンたちの背中を少しだけ押す。
さあ、明日は月曜日。
出勤の前にすこしだけ、
このメロディを思い出してみては
どうだろうか。
奥村広乃 14年6月15日放送
josemanuelerre
冒険のBGM
太平洋を単独横断。
大阪の青年、ヨットでシスコ湾着。
1962年8月12日、新聞にそんな記事が載った。
海洋冒険家、堀江謙一。
兵庫県西宮市を出港して94日目。
1万キロにおよぶ航海をへて、
彼の乗ったマーメイド号はサンフランシスコに着いた。
パスポートは持っていなかった。
密出国であり、密入国であった。
だが当時のサンフランシスコ市長は、
日本から来た青年を寛大な心で出迎え、
1か月の滞在を許可した。
日本人初の太平洋単独横断の様子は、
手記にまとめられ、
のちに映画化もされ大ヒットとなった。
そのタイトルは『太平洋ひとりぼっち』。
堀江氏は、海の上で心細かったとき
「上を向いて歩こう」をうたったという。
歌は人を勇気づける。
これからの冒険家は、
どんな歌を歌うのだろうか。