2014 年 6 月 22 日 のアーカイブ

三島邦彦 14年6月22日放送

140622-01

雨の季節に マンダン族の雨乞い師

19世紀のアメリカ。
画家のジョージ・キャリントンは
先住民に伝わる雨乞いの風習を見ようと
ミズーリ川の上流に住むマンダン族を訪ねた。

村の青年から選ばれる雨乞い師は、
一日祈りを捧げて雨が降らないとその職を解かれる。
初日、2日目、3日目の青年は失敗に終わった。
そして4日目の朝、稲妻が描かれた盾と弓矢を持った青年が現れた。

朝から呪文を唱え続けた夕方、にわかに黒い雲が湧きあがる。
その雲を見るや、青年は、
「マンダン族の頭上とトウモロコシ畑に雲の中身をぶちまけるのだ!」
と言って矢を放った。

やがて、静かに雨が降りだした。
雨は深夜まで続き、村のトウモロコシ畑は乾きから救われた。
青年は雨乞い師としての能力を認められ、村を救った名誉を手にした。

これは、この体験からキャリントンが得た雨乞いに関する教訓。

 マンダン族が雨を降らせようとする時、失敗することは決してない。 
 なぜなら、雨が降り出すまで絶対に儀式をやめないからだ。

なお、マンダン族では一度雨乞いに成功した者は、二度と雨乞いをすることはないという。

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三島邦彦 14年6月22日放送

140622-02
Janne Moren
雨の季節に 藤原咲平(ふじわらさくへい)

明日の天気予報はいかがでしょう。

お天気博士の愛称で国民に親しまれた
戦前の中央気象台長、藤原咲平。

1933年に藤原が
気象台で働く人々に向けて記した
天気予報の心得が残っている。
その中にある一節。

 必ず空模様を見ること。朝夕、日中、夜中も常に見ること。
 窓からでは不十分で必ず全天が見える場所で行うこと。

虚心坦懐に空と向き合う。
そうすれば、
わたしたちにも見えて来るものがあるかもしれません。

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三島邦彦 14年6月22日放送

140622-03

雨の季節に 黒澤明

雨が印象的な映画は多いけれど、
黒澤明監督の映画には、
ひときわ印象的な雨が降る。

『羅生門』での黒澤は、
どしゃぶりの雨の勢いを表現するため、
水に墨汁をまぜた。

羅生門の雨

この言葉はすぐに、
世界の映画人の
共通言語になった。

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中村直史 14年6月22日放送

140622-04
BlueRidgeKitties
雨の季節に モーリス・ラヴェル

古来より、
音楽家は自然現象を音で表現してきた。

しかし彼ほど
自然現象をまるで絵画のような
イメージでとらえた人はいなかった。

フランスの作曲家モーリス・ラヴェル。

彼が作曲した「水の戯れ」を聞いていると、
水はただ流れているのでも、
落下しているのでもなく、
はしゃいだり、たのしんでいるように聞こえる。
いや、そんな映像が目に浮かんでくる。

ラヴェルの音楽を知っている人は、
雨の季節を楽しめる人かもしれない。

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中村直史 14年6月22日放送

140622-05

雨の季節に 光源氏

雨がしとしとと降る夜。
あなたは、どんなことを思うだろう。

その夜も雨が降っていた。
大きな屋敷のとある部屋。

男四人が集まって話し始めたのは、
これまで出会った中で、
どんな女性がすばらしかったか。

源氏物語「雨夜の品定め」のくだり。

上流階級の女性しか知らなかった
若き光源氏は、
先輩たちが熱弁する
「中流階級にこそ、すばらしい女性がいる」
という説に感化される。

彼の幅広い女性遍歴は、
雨の降りしきるこの夜を境に、広がっていった。

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三國菜恵 14年6月22日放送

140622-06
allthecolor
雨の季節に グレッグ・アーウィン

アメリカのソングライター、グレッグ・アーウィン。
これまでに100曲以上の日本の童謡を、独自の視点で英訳してきた。

北原白秋の「あめふり」の一節
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
彼はこんなふうに訳した。

Splishy, splishy, splashy, splashy, Happy am I!

英語になっても、雨の日のオノマトペはかわいい。

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三國菜恵 14年6月22日放送

140622-07

雨の季節に 大正時代の中央気象台

マイクテスト。マイクテスト。本日は晴天なり。

テスト放送のことばとして
「本日は晴天なり」というフレーズが
大正十四年、中央気象台で採用された。

当時英語圏でテスト放送に使われていた
「It’s fine today.」を直訳して
日本の放送に採用しようという流れからだった。

しかし本来英語圏では、
母音、子音、破裂音
放送テストに必要な発音のすべてが
「It’s fine today.」に含まれていたことから採用されたのだが、
「本日は晴天なり」というフレーズは
その条件をクリアできていない。

それでも、このフレーズは多くの人に愛された。
雨が降ろうが降るまいが、
「本日は晴天なり」。

外来語が急激に入ってきた大正時代。
きちんと役に立ったかはわからないけれど、
カラッと明るいマイクテストのことばがうまれた。

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三國菜恵 14年6月22日放送

140622-08

雨の季節に どこかのだれか

6月。雨の季節。

雨にもいろいろな言い表し方がある。
たとえば、こんな表現。

肘かさ雨(ひじかさあめ)
急に降り出した雨のこと。
肘を傘の代わりにして軒先まで走る様子からこう呼ばれる。

天泣(てんきゅう)
「天」が「泣く」と書いて、天泣。
空に雲が無いのにぱらぱらと細かい雨が降ってくることをさす。
狐の嫁入りとも呼ばれる。

ただそこに降る雨を、
何か美しく言いかえようとしたり、あえて擬人化してみたり。
雨は人をちょっとだけ、文学者にしてしまう。

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