お風呂① 杉滝
吉田松陰の母、杉滝。
嫁いだ先は、極貧の武家だったが、
そんな中でも、彼女は「毎日お風呂に入る」と宣言した。
義理の父から猛反対を受けながらも、
「貧しさのあまり心まで貧しくなってしまっては
どうしようもない。
温かい湯につかることで、心まで温もり、
翌日も頑張る意欲が生まれるはずだ」
と言いはり、お風呂に入り続けた。
滝は、子供たちを風呂に入れるのも大好きで、
吉田松陰が安政の大獄で処刑される前、
一日だけ帰宅を許された際にも、
松陰を風呂に入れ、無事の帰りを祈ったという。
風呂から伝わる母の愛は、
松陰の最後の一日を、きっと惜しみなく温めていた。
2014 年 11 月 9 日 のアーカイブ
飯國なつき 14年11月9日放送
飯國なつき 14年11月9日放送
derekbruff
お風呂② 壇ふみ
女優の壇ふみは、
「風呂がないと、心が荒廃する」という。
彼女がオーストラリアに行った、ある夜のこと。
芯まで冷え切り、お湯につかりたいのに、
高さ二十センチのシャワータブしかない。
そこで彼女は、その二十センチにお湯をためて、浸かった。
刺身に醤油をつけるようにして、全身にお湯をなすりつけた。
湯に浸かる喜びを知らなければ、
そんな苦労も知らずに済んだろうに。
それでも壇ふみは、風呂の幸せについて、こう語る。
背をそらす。腕を伸ばす。
「ああ、いい気持ち」と、お腹の底から言ってみる。
今日の凝りが疲れが、ゆるゆるとお湯の中にとけてゆく。
飯國なつき 14年11月9日放送
bluespuit
お風呂③ 絵本「おふろだいすき」
お風呂嫌いの小さな我が子に、毎晩、ひと苦労。
そんなお父さんお母さんへ、おすすめしたいのが、
絵本「おふろだいすき」だ。
おふろが大好きな主人公の男の子、まこちゃんがおふろに入っていると、
突然、巨大なカメ、双子のペンギン、オットセイ…
いろんな動物がお風呂の中から登場する。
絵本から湯気が立ちのぼるような、
林明子さんのやわらかいイラストとともに、描きだされる空想の世界。
摩訶不思議な物語はどんどん広がっていくが、
最後は、あたたかいお母さんのタオルの中へ到着する。
子供はもちろん、大人だって、
お風呂に入りたくなる一冊だ。
森由里佳 14年11月9日放送
風呂④ 日本初の女性銭湯絵師
日本に3人しかいない銭湯絵師の中で、
唯一の女性、田中みずき。
ある銭湯で富士山の絵を描き終わった彼女は、
オーナーから絵にサインするよう促される。
しかし、彼女は躊躇した。
「描きたいから描くのではなく、
銭湯の個性につながる空間を作るお手伝いとして描いています。
最終的には見ている人の絵になってほしいので、
自分の絵だとは思っていません。」
個性を出すのではなく、
求められるものに応えたいという職人魂。
日本人のこころを癒しているのは、
熱い湯けむりだけではないようだ。
森由里佳 14年11月9日放送
Top Tripster
風呂⑤ 女将のご褒美
新潟の温泉旅館で育ち、
異国の島で温泉宿を経営する女将、荻野多賀子。
ニュージーランドのマルイアスプリングスという温泉で、
24年間もの間、客人をもてなしている。
日本とは環境も道具も異なるため、
ちょっとした作業も戦いだ。
しかし、荻野さんに言わせれば、それが
「生きている!って感じ」なのだという。
そんな彼女の楽しみの一つが、
露天風呂の掃除の後、お湯の確認のために入浴すること。
お客様がいないときだけ楽しめる、贅沢なご褒美だ。
異国の地であっても、戦う日本人を癒すのは、
やっぱり、いい湯なのだ。
森由里佳 14年11月9日放送
風呂⑥ 自由と平等と銭湯と
慶應義塾の創設者である福沢諭吉。
「学問ノススメ」で、自由と平等を説いたことは有名だ。
しかし、
慶應義塾の向かい、芝の三田通りで、
銭湯を経営していたことはあまり知られていない。
福澤は、著書「私権論」でこんなことを書いている。
銭湯に入る者は、氏族であろうが、平民であろうが、
みんな等しく湯銭を払い、身辺に一物なく丸裸である。
銭湯の入浴には、なんら上下の区別なく平等であり、
かってにはいっても、出ても自由である。
総理大臣も赤ん坊も、
風呂に入ってしまえばみな同じ人間。
当時の日本に必要だったのは、
政治でも外交でもなく、
裸の付き合いだったのかもしれない。
蛭田瑞穂 14年11月9日放送
お風呂⑦ 太宰治
昭和十四年、結婚したばかりの太宰治は
甲府の郊外に新居を借りた。
午後三時まで自宅で仕事をした後、
ほぼ毎日のように近所の共同浴場に通った。
風呂の後には湯豆腐を肴に地酒を飲むのが、
何よりも楽しみだったという。
これまでの生涯を追想して、
幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期。
甲府での日々を太宰は後にそう回顧している。
蛭田瑞穂 14年11月9日放送
お風呂⑧ 川端康成
私は高等学校の寮生活が、
一、二年の間はひどく嫌だつた。(中略)
私の幼年時代が残した精神の疾患ばかりが気になつて、
自分を憐れむ念と自分を厭ふ念とに堪へられなかつた。
それで伊豆へ行つた。
旧制一高の学生だった川端康成は精神の静養のため伊豆へ旅に出る。
旅の途中、湯ヶ島温泉での旅の踊子との出会いが、
後に小説『伊豆の踊子』誕生のきっかけとなるのは有名な話だ。
心が晴れない時は、温泉に行ってみよう。
日常とはちがう世界がそこにはある。