Lynda Giddens
アーサー・アッシュ
2014年、全米オープンテニス
男子シングルス決勝。
アジア人として初めて錦織圭が立った
決勝の地には、偉大な黒人プレイヤーの名が
刻まれている。
「アーサー・アッシュ・スタジアム」
アッシュは幼い頃から人種差別を受け、
ジュニアのトーナメントへの出場さえ
かなわなかった。
しかしテニスと学業に真摯な態度で取り組み、
やがて正確なテクニックと冷静なゲームメイクの実力を
身につけていった。
時代と共に試合出場の機会も増えていく。
1968年、全米オープンテニス
男子シングルス決勝。
優勝、アーサー・アッシュ。
黒人プレイヤー初の快挙だった。
2014 年 11 月 29 日 のアーカイブ
名雪祐平 14年11月29日放送
名雪祐平 14年11月29日放送
ジョン・マッケンロー
1981年、ウインブルドンテニス
男子シングルス1回戦。
紳士の国の、紳士のスポーツのコートに
ちっとも紳士らしくない若者が立った。
ジョン・マッケンロー、22歳。
マッケンローの鋭いショットがライン際で弾んだ。
アウト!
そうジャッジした審判に怒り狂うマッケンロー。
会場中に響き渡る大声で罵った。
You cannot be serious!!
ふざけるな!
観客の拍手とブーイングの中、猛抗議はつづく。
おまえは世界の悪だ!
「悪童」とアダ名されたマッケンローから
悪呼ばわりされるとは審判も思いもしなかっただろう。
一球への、ものすごい執念。
この大会で、
マッケンローはウインブルドン初優勝を遂げた。
名雪祐平 14年11月29日放送
Guillaume P. Boppe
アッシュとマッケンロー
1981年、デビス・カップ
男子テニス決勝。
アメリカチームの監督はアーサー・アッシュ。
勤勉な態度で尊敬される紳士。
チームのエースは悪童ジョン・マッケンロー。
わがまま放題の天才プレイヤー。
予想通り、二人は激しく対立した。
決勝戦で、審判や相手プレイヤーを侮辱し
国の代表としての誇りを汚すマッケンローに
アッシュは厳しく告げた。
つぎも同じことをやったら
わがアメリカチームは棄権する、と。
マッケンローは冷静になりゲームに勝ち、
アメリカを優勝に導いた。
アッシュは感じたことがあった。
自分のなかにもマッケンローと
同じような性格がある。
私には抑えることしかできない感情を
彼が形に表してくれている。
そう気づいたとき、マッケンローへの怒りは消え、
あたたかい敬愛に変わっていた。
名雪祐平 14年11月29日放送
チャンと錦織
1989年、全仏オープンテニス
男子シングルス4回戦。
まだ17歳のマイケル・チャンが
当時の世界No.1、イワン・レンドルと
死闘を繰り広げていた。
チャンの足には痙攣が走り、
体力は限界。
そのとき、チャンは相手を馬鹿にするような、
アンダーサーブを打つ。
まさか。
意表を突かれたレンドルはペースを乱され、
この試合を敗退。
チャンは決勝まで進み、
史上最年少の四大大会チャンピオンになった。
2014年から、チャンは錦織圭のコーチに就任。
男子テニスのスーパースター、フェデラーの
ポスターを部屋に飾っていると話した錦織に
チャンは告げた。
コートに入る時は
相手に対するリスペクトは捨てろ。
2014年、錦織は
世界ランキング17位から5位に躍進した。