織田作之助・一枝との出会い
昭和の文豪、織田作之助は二十歳を過ぎた頃、運命の人に出会う。
織田が通っていた旧制高校近くのカフェ「ハイデルベルヒ」で
働いていた同い年の女性、宮田一枝だ。
すらりと背が高く、美貌の持ち主である一枝は近所で評判だった。
カフェに住み込みで働いていた一枝と同棲するために、
二階の部屋に梯子をかけて連れ出したというドラマチックな逸話も残っている。
織田の代表作『夫婦善哉』には、大阪から東京行きの汽車に乗って
駆け落ちするシーンが描かれている。もしかしたら、一枝を二階から
連れ出した時のことを思い起こしながら、書かれたのかもしれない。
柳吉が梅田の駅で待っていると、
蝶子はカンカン日の当っている駅前の広場を大股で横切って来た
女の決意を感じる名シーンである。
2014 年 11 月 22 日 のアーカイブ
村山覚 14年11月22日放送
村山覚 14年11月22日放送
織田作之助・新婚生活
昭和の文豪、織田作之助。無名時代の彼の支えは同い年の妻、一枝であった。
学生時代から劇作家や小説家を志していた織田は、一枝との生活のために
新聞記者として働いていた時期があった。昼は記事を書き、夜は小説を書く生活。
一枝は甲斐甲斐しく珈琲を淹れ、夫の創作活動を支えたという。
結婚の翌年には芥川賞候補となり、代表作『夫婦善哉』が世に出たのも
新婚時代であった。三十三年の短い生涯で最も寛いでいた日々だったかもしれない。
『夫婦善哉』には家計簿を細かくつけて
こつこつと貯金するシーンがあるが、
織田一枝もまったく同じような家計簿をつけていたそうだ。
村山覚 14年11月22日放送
charamelody
織田作之助・いい女とは?
昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三歳で亡くなる直前、
東京で太宰治と坂口安吾と座談会をした記録が残っている。
小股のきれあがった女とは何者であるか?いなせな男とは?口説き文句は?
といった四方山話がざっくばらんかつ軽妙に語られた。
いい女とは?という話題になり、太宰が「乞食女と恋愛したい」
坂口が「ぼくは近ごろ八つくらいの女の児がいい」などと
無頼派らしいめちゃくちゃな発言をする中、織田はこのように語った。
「やはり飽くまで背が高くて、痩せてロマンチックだとか…」
これはまさに二年前に亡くなった妻・一枝のことではないか。
織田作之助にとって、妻はかけがえのない存在であった。
村山覚 14年11月22日放送
織田作之助・肌身離さず
昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三で死ぬまで肌身離さず持ち歩いていた
桐箱の中に白い封筒があった。そこには先に亡くなった妻・一枝の写真と
彼女のものと思われる遺髪が収められていた。織田作之助の代表作
『夫婦善哉』にはこんな台詞がある。
“私は何も前の奥さんの後釜に坐るつもりやあらへん、
維康を一人前の男に出世させたら本望や”
日々の暮らしにも困窮していた織田が、
一人前の男に出世していく十年間を支えたのは、他ならぬ妻の一枝であった。
小説『夫婦善哉』で一番有名なシーンは、
二杯のぜんざいを啜りながらの男女の会話であろう。男は言う。
「一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)
はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」
対して、女は言う。
「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」