2015 年 8 月 1 日 のアーカイブ

佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 鍵屋

その昔、大和の国は篠原村に、弥兵衛という男がいた。
子どものころから火薬についての素養があったそうだ。
志を立て、故郷に別れを告げるときも
携えていたのは花火の筒。
江戸に向かう道すがら、花火を披露しては旅費を稼いでいたという。
やがて日本橋横山町に小さな店を構えると、
弥兵衛の確かな細工の花火は飛ぶように売れた。
弥兵衛の名前は、鍵屋として代々受け継がれていくことになる。

花火は夏の風物詩。
今年も日本中の夜空に、
大輪の花が咲くことでしょう。


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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 玉屋

江戸の花火屋の代表格、鍵屋の七代目には
腕のいい番頭、清吉がいた。
暖簾分けとなり玉屋を名乗ると、
鍵屋をしのぐほど人々の支持を集める。
両国の川開き花火では、鍵屋よりも上流を受け持った。
その技術の高さと人気を表す歌が残っている。

  橋の上 玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ情けなし

しかし人気絶頂の玉屋は火事が原因で、
一代限りで江戸おかまいとなる。
初代玉屋は、花火のように燃え尽きてしまった。


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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 鍵屋のその後

江戸時代はオレンジ色しか出なかったという花火も、
明治以降になると材料、技術ともに目覚しい進歩を遂げる。
鍵屋の十代目弥兵衛は、
現在のように、まん丸く開く花火を開発した。
十一代目弥兵衛は塩素酸カリウムなどの新しい薬剤を用いて、
赤、青、緑の発色に成功したそうだ。
江戸時代から血縁を連綿と守り続けた鍵屋だが、
昭和40年、同業者に伝統と暖簾を託し
現在は十五代目に引き継がれている。

一瞬で消える花火にも、花火師たちの血の歴史が宿っている。


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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 嘉瀬誠次

大正11年生まれの嘉瀬誠次さんは、
祖父の代から3代続く、新潟・長岡の花火師だ。
戦後初の三尺玉の打ち上げに成功し、
ナイアガラ、ミラクルスターマインなど
数々の花火を生み出した。
長岡の名物は、正三尺玉。
直径90センチ、重さ300キロの大玉で、
花火の直径は650メートルにもなる。
天才画家、山下清が描いた花火も、
嘉瀬さんの打ち上げたものだという。

今年もたくさんの花火が夜空を彩る、
長岡まつり大花火大会は、明日と明後日の2日間。

嘉瀬さんは、第一線を退いたあとも
花火に、平和な世の中への祈りを捧げている。


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