大友美有紀 16年8月7日放送

160807-01

世界で愛された日本人 三浦環

かつて、世界に飛び出していった、多くの日本人がいた。
その一人、オペラ歌手・三浦環。
作曲家プッチーニから、世界最高のマダム・バタフライのプリマドンナと
称された。約40年のオペラ人生の半分を欧米で活躍し、
記録に残っているだけでも「マダム・バタフライ」の主役を2千回もつとめた。
三浦環は、明治17年、今の東京・虎ノ門に生まれる。
幼い頃から日本舞踊、長唄、琴に親しんできた。
女学校卒業後は声楽家を志す。
一人娘にその道を諦めさせたい父親は、
虎ノ門から東京音楽学校のある上野まで
自転車で通うなら、許すという条件を出した。
当時、若い娘が自転車に乗って走るなど、とてもみっともないことだった。
しかし環は諦めない。紫の大矢羽根の着物に緋の袴をつけ
髪に白いリボンを結んで、外国製の自転車に乗って颯爽と走った。
自転車美人と評判が立ち、通学路には野次馬が待ち受けるようになった。
環がモデルの新聞小説まで登場した。
 
 鈴の音高く、現れたのはすらりとした肩の滑り、
 デートン色の自転車に海老茶の袴、紙は結い流しにして、
 白リボン清く、着物は矢絣の風通、袖長ければ風になびいて、
 色美しく品高き十八九の令嬢である。

夢のためなら、どんな困難もいとわない。
世界で活躍する底力である。

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