2016 年 10 月 30 日 のアーカイブ

小野麻利江 16年10月30日放送

161030-01

お風呂のはなし ベルツ博士が愛した草津温泉

中世から湯治場として名を馳せる、
群馬県の草津温泉。
明治時代、この温泉に取りつかれた
ドイツ人がいた。

エルヴィン・フォン・ベルツ博士。
明治政府に招かれ、現在の東大医学部で医学を教えていたが、
草津を初めて訪れたわずか2年後、
現地に約6000坪の土地と温泉を購入。
温泉保養地づくりを目指すとともに、
伝統的な湯治療法「時間湯(じかんゆ)」を研究。
論文にまとめ、優れた効能を世界に紹介した。

ベルツ博士は草津温泉を、こう評している。

 草津には素晴らしい温泉以外に、
 日本で最上の山の空気と、
 理想的な飲料水がある。
 もしこんな土地がヨーロッパにあったら、
 カルロヴィ・ヴァリ温泉よりも
 にぎわうことだろう。

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小野麻利江 16年10月30日放送

161030-02

お風呂のはなし イザベラ・バードが視た湯元温泉

19世紀イギリスの冒険家、イザベラ・バード。
彼女の旅行記の中には、詳細な数値が数多く登場する。
科学的な目で見て、伝える。
それがバードの信条の一つだった。

1878年5月、日本を旅しはじめたバード。
6月には奥日光の「湯元温泉」にたどり着く。
初めて見る日本の湯治場に驚いたバードは、
その様子を、こう記している。

 この湯の温度は華氏130度であるが、
 湯が村まで蓋のない木の樋(とい)に沿ってゆくと、
 ただの84度となる。
 湯元は四千フィート以上の高さにあり、非常に寒い。

 ところどころに広い板が渡してあり、
 リューマチに悩む人々は、何時間もその上に横になり、
 硫黄の蒸気を身体に当てる。

バードの真骨頂とも言うべき、精緻な描写。
明治初期の温泉街の活況は、
当時のイギリス人読者のみならず、
現代の私たちにとっても、貴重な資料となっている。

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石橋涼子 16年10月30日放送

161030-03

お風呂のはなし マリー・アントワネットの入浴習慣

18世紀のフランス王妃、マリー・アントワネットは
様々な流行を生み出したことでも有名だ。
彼女のファッションや習慣、好物などは
貴族の間で常に大流行した。

ルイ16世が民衆の飢餓対策のために
ジャガイモの栽培を広めようとした際には、
王妃がジャガイモの花飾りをつけたことで
普及に貢献したとも言われている。

ブームメイカーの王妃がもうひとつ
フランス社会に広めたものがある。

それは、清潔であること。

当時のフランスには入浴の習慣がなく、
香水は、体の臭いを隠すためのものだった。
お風呂好きのマリー・アントワネットは体臭を消す必要がなく、
爽やかで自然な香りを楽しんだという。

パリに下水道設備が整って入浴文化が定着するには
その後半世紀を必要としたが、
不衛生からくる伝染病に怯え続けた人々に
「清潔ブーム」をもたらした王妃の功績は、
意外と大きいのではないだろうか。

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石橋涼子 16年10月30日放送

161030-04

お風呂のはなし 貝原益軒の温泉療法

江戸時代の学者である貝原益軒が
健康にまつわる教えを書いた「養生訓」には
温泉の効果効能や正しい入り方が細かく記されている。

 温泉は、諸州に多し。
 入浴して宜しき症あり。あしき症あり。
 よくもなく、あしくもなき症有。

と、現代の温泉療法にも通じる知識から始まる内容は、
江戸の庶民に温泉ブームをもたらしたという。

実は、夫婦そろって病弱だったという貝原夫妻。
一方で仲はとても良く、夫婦で温泉療養にでかけたりしながら
お互いに長寿を全うした。
そんなほほえましいエピソードも、
効果効能に一役買っているような気がしませんか。

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熊埜御堂由香 16年10月30日放送

161030-05

お風呂のはなし 夢二と彦乃の湯桶温泉

詩人・画家の竹久夢二とその恋人、笠井彦乃。
1917年に2ヶ月以上の北陸の長旅で
金沢の湯桶温泉へ逗留した。

夢二のファンだった19歳の彦乃が、
画廊へ通ううちに心が通じた。
12歳の歳の差と、夢二の女性遍歴で
親から反対を受け、それを押切り同棲するようになった。

そんなふたりが、もっとも幸せな時間を
すごしたといわれるのが
湯桶温泉だ。
3週間、ゆっくりと湯につかりすごした。

その直後、彦乃は結核にかかり入院してしまう。
父親の反対で夢二と面会もできないうちに
息をひきとった。まだ25歳だった。

夢二はその年の誕生日にこう言った。

 私は三十七歳で死んだことになっているんです。
 彼女が二十五で、私が三十七で死んだのです。

その後も夢二は多くの女性と恋に落ちる。
けれど、彦乃と過ごした湯桶温泉での時間は、
夢二の心の中に、大事に、大事に、しまわれていたに違いない。

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薄景子 16年10月30日放送

161030-06

お風呂のはなし ピカソの名言

20世紀を代表する巨匠画家、ピカソ。
10代で天才的な絵画技術をマスターし、
その後、「青の時代」「ばら色の時代」「キュビズム」と
画風を一新しながら、絵画界の新境地を切り拓く。

見たこともない構図、
独特の人物描写、息をのむ色使い…。
常識も既成概念も破壊する作品の数々は
今もなお世界中でリスペクトされ続ける。

生涯で遺した作品数は約15万点。
最も多作な美術家として
『ギネスブック』に記されているピカソ。
膨大な作品とともに、彼が遺した名言をひとつ紹介する。

 すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、
 あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。

ためしに、今夜のお風呂で
体が溶けない奇跡を味わってみる。
天才ピカソにはなれなくても、
当たり前のことを奇跡と感じるだけで、
きっと新しい世界が見えてくる。

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茂木彩海 16年10月30日放送

161030-07
zamojojo
お風呂のはなし 吉田修一の初恋温泉

血行を良くしたり、老廃物を出したり、
温泉には疲れを癒す様々な効果効能があるわけだが、
日常から離れるという行為そのものも、
天地効果と呼ばれ、心のリラックスに一役買っているという。

吉田修一の短編小説、「初恋温泉」。

年齢も、関係も、まったく異なる5組の男女が登場する
温泉が舞台のこの小説では、
そんな効能あってか、あらゆる名言がさく裂する。

 幸せなときだけをいくらつないでも、 幸せとは限らないのよ。

 冗談半分というのは、半分は冗談じゃないということなのだ。

 不満なんて、ない。ただ、あなたと一緒にいたくないだけ。

などなど。
本音も温泉の力を借りれば話しやすい、ということか。

それが良いか悪いかはさておき、
この秋は大切な人と会話しに、温泉に出かけるのも良いかもしれない。

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茂木彩海 16年10月30日放送

161030-08
Dal Lu
お風呂のはなし 湯布院のはじまり

いまとなっては国内有数の温泉地として知られている湯布院。
ところが40年程前までは、奥別府と呼ばれる小さな温泉街だった。

ここを、観光地・湯布院として生まれ変わらせたのが、
中谷健太郎。
現在も続く老舗旅館「亀の井別荘」のオーナーだ。

明治大学卒業後、東宝に入社した中谷は
黒澤明監督らの下で助監督を務めるほどの映画人であったが、
父の急逝により実家の旅館「亀の井別荘」を継ぐことになる。

廃れた温泉街をどうしたら盛り上げることができるか。

頭をひねった中谷は、自分の得意技である映画で解決を試みた。
今年で第41回を迎える、湯布院映画祭だ。

中谷は言う。

 「温泉」は地球の中の子宮のような、自然の温かみがある。

こんな表現ひとつとっても、かつて映画を愛したように
温泉を文化として、作品として愛す中谷の想いが伝わってくる。

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