2017 年 2 月 5 日 のアーカイブ

大友美有紀 17年2月5日放送

170205-01
「愛の手紙」夏目漱石

 おれのような不人情なものでも頻りに御前が恋しい。

ロンドン留学中の夏目漱石が
妻・鏡子に送ったラブレターは有名だ。
このとき鏡子は何を思っていたか。

 いろんな男の人を見てきたけど、
 あたしゃお父様がいちばんいいねぇ。


もし船が沈没して漱石が戻って来なかったら、
 
 あたしも身投げでもして死んじまうつもりでいたんだよ

悪妻と言われる鏡子だけれど、
彼女なりの愛し方で漱石を思っていた。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-02
「愛の手紙」川端康成

川端康成は、執筆のため逗留していた群馬の旅館から
妻・秀子に、怒りに満ちた手紙を出した。

 新潮と文藝7月号送れ、
 なぜ報告の手紙をよこさんのだ、馬鹿野郎、
 手がくさつたつて代筆されることも出来るだらう、
 さういふ投げやりな、きちんと片付けない、
 ずるずる延ばしの性質が、とても助からん気をさせるのだ。

 
罵倒の言葉が延々と続く。
怒鳴りに帰ろうかと思った、とか、
仕事の疲れで気もまぎれないので
「婆さんのような顔」になった、とか。
怒ってはいるが、どこかしら可愛げのある文章だ。
妻に甘えているのかもしれない。
そんな文豪の素顔が垣間見える。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-03
「愛の手紙」梶井基次郎

宇野千代をめぐって梶井基次郎と尾崎士郎が決闘をした。
という噂があった。
このとき尾崎と千代は結婚していた。29歳と30歳。
それぞれ作家としてすでに世に出ていた。
梶井は「檸檬」をはじめいくつかの短編を同人誌に発表していたが、
まだ無名の存在だった。伊豆の湯が島で千代に出会い恋をした。
では、千代はどうだったのか。

 私は梶井を尊敬していたのでせうか。
 或ひは梶井を恋ひしていたのでせうか。

 
あるインタビューでは、
面食いの私が梶井基次郎に惚れるはずもない、
と言っている。
梶井は妻をめとらず、恋人ももたず、
女性との情交を小説に書くこともないまま、
独特の世界を作り上げ、31歳で早世してしまった。
千代に大量の手紙を書いているが、
千代はそれらをすべて捨てたという。
ほんとうのところは、もう誰にもわからない。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-04
「愛の手紙」森鴎外

森鴎外は日露戦争のとき、約2年の間に
出征先の満州から妻・しげ子や
家族に宛てて、140通におよぶ手紙を送っている。

 茉莉ちゃん。お前は病気の時
 かあさんにくツついてこまらせたというふことだね。
 親だものをくツつくのはあたりまへだ。
 病気でない時もくツついてこまらせておやりよ。あばよ。


小説とは違うやわらかな言葉。おどけた文章。
当時、妻と鴎外の母の仲は険悪であった。
自分の留守の間、妻の気持ちを引き立てようと
手紙を書き送っていたのかもしれない。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-05
「愛の手紙」山口瞳

直木賞作家・山口瞳が妻となる治子に出会ったのは19歳の時。
ある時、仲間内で治子の誕生日を祝う集まりがあった。
その夜、山口は治子に初めての手紙を書く。

 ・・・今、洋服を浴衣に取り変へます時、
 貴女とブツケツコしたブドウの一粒がつぶれた儘で
 おヘソの辺りから出て来たのですが、
 その一粒のグチャグチャな果実を見て居りますと
 今日の一日が偲ばれて・・・・・


治子と一緒にボートに乗っていた仲間が憎らしくて
ブドウをぶつけたり、ボート競争をしたりしたが、
山口はかなわず、ヤリキレナイ気持ちになったという。
そのことがユーモアたっぷりに書かれている。
正確には、これは手紙ではない。
治子のためにお祝いの寄せ書きをした手帳を
山口は持って帰っていた。
手帳が返されたときに書かれていたのだ。
治子は、この文章を読んだときに甘酸っぱいような気持ちが胸にあふれ、
すぐに返事を書いた。ここからふたりの恋愛がはじまった。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-06
「愛の手紙」中島敦

「山月記」といえば、多くの高校教科書に採録されている、
中国の古典を題材にした物語だ。
その作家、中島敦は次男が生まれた頃、ミクロネシアでの仕事を得る。
南洋の気候が持病のぜんそくにもいいだろうと単身赴任した。
子煩悩だった中島は、子どものことを思うと仕事が手につかない。

 何か、人事不詳になるやうな
 劇しい(はげしい)病気にでもなって、
 フト、目が覚めてみたら、お前達の傍にいた、
 といふやうなことになればどんないいだらう。


漢文調の物語を書いた人物とは思えない。
家族とはなれた寂しさからか中島は体調を崩し、
9ヶ月足らずで帰国した。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-07
「愛の手紙」植村直己

冒険家・植村直己の不器用なプロポーズ。
その手紙は公子のもとにカトマンズから届いた。

 私のようなバカな人間は、
 とても公ちゃんに近づけるものではないですが、
 私とて、人間にて、心を押さえることができませんでした、
 俺のような悪人につかまってしまったと、
 一生を棒にふってしまったとあきらめて下さい。


自分を救ってくれる人は君だけだと熱く懇願する。
この旅から帰ってまもなくふたりは結婚する。
その結婚生活はわずか10年だった。



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大友美有紀 17年2月5日放送

170205-08
「愛の手紙」小林多喜二

 あーまたこの二月の月かきた
 ほんとうにこの二月とゆ月
 いやな月 こいをいパいになきたい
 どこいいてもなかれない


蟹工船の作家・小林多喜二の母・セキの文章だ。
多喜二は警察で拷問の末に殺された。
それが二月だった、
読み書きができなかったセキは
獄中の息子に手紙を書きたい一心で文字を覚えはじめた。
「こいをいパいになきたい」とは声をいっぱいに泣きたい、
ということだ。セキは家族に涙を見せたことはなかった。
誰かに見せるために書いたわけではない。
しかし、その悲しみは多くの人に届く。



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