2017 年 9 月 30 日 のアーカイブ

永久眞規 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 堀達之助

1853年、日本に激震が走ったペリー来航。
その得体の知れぬ船に近づき、
交渉を進めた勇敢な男がいる。

彼の名は、堀達之助。
船の下から、唯一喋れる英語の文章を叫んだ。

I can speak Dutch!

堀は長崎で育った、オランダ語の通訳士だった。
流暢なオランダ語で話を進め、
日本は開国へと向かっていく。

その約10年後、1962年。
堀を中心に日本初の印刷された英和辞書、
「英和対訳袖珍辞書」が刊行された。

たった10年。
独学で学んだ彼の英語は、
日本における英語普及の基礎を築くまでになっていた。


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福宿桃香 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 岸本佐知子

会社になじめなかったからという理由で、翻訳家になった女性がいる。
ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』や
ニコルソン・ベイカーの『中二階』など
英語圏の現代小説を数々訳してきた岸本佐知子のことだ。

岸本は、幼い頃から現実を受け入れることが苦手だった。
「どうして人は時間を守るのだろう」
「でたらめな方がいいのに、何故きちんとしようとするのだろう」
OLとして働き出してからも
社会の根本的なルールが理解できなかった岸本は、
やがてほとんどの仕事を取り上げられてしまう。
みんなと同じようにできない自分を申し訳なく思い、
他に居場所を探そうとたまたま辿り着いた場所
それが、翻訳学校だった。

それから三十年余り。今や日本の翻訳界を牽引する存在となった岸本は、
翻訳をつづける理由を次のように語っている。

自分がやっても人に迷惑がかからないと思える唯一のことが、翻訳なんです。

「生きててすみません」とさえ思っていたという岸本が、
はっきり言い切った言葉。
心から好きだと思えるものをやっと見つけた喜びに溢れていた。

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村山覚 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 村上春樹

村上春樹。
日本を代表する小説家であると同時に、翻訳家でもある。

  翻訳というのは言い換えれば、
  「もっとも効率の悪い読書」のことです。
  でも実際に自分の手を動かして
  テキストを置き換えて行くことによって、
  自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。


机の左手に気に入った英語のテキストを置き、
それを右手にある白紙に日本語の文章として立ちあげていく。
村上春樹が翻訳をする理由。

  僕は文章というものがすごく好きだから、
  優れた文章に浸かりたいんだと思います。

高校時代からアメリカ文学にどっぷりと浸かり、
独特のリズムと文体を確立。
「たまたま日本語で書いているアメリカの作家」とも言われる
彼の小説を、時には英語翻訳版で読んでみるというのも
悪くない選択だ。

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藤本宗将 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 宇田川榕菴

幕末の蘭学者、宇田川榕菴(うだがわようあん)。

津山藩の医師をつとめる宇田川家の養子となった彼は
西欧医学の基礎となる化学や植物学に関心を持ち、
オランダ語の本を翻訳して日本に紹介した。

当時の西洋科学には
日本に存在していない概念も多く、
翻訳は新たな日本語を生み出す作業でもあった。

そのとき榕庵がつくった言葉を
私たちはいまも使っている。
「酸素」や「水素」、「細胞」。
さらには「珈琲」という漢字表記も彼が考案したものだ。

ちなみに珈琲の漢字二文字には、
それぞれ「髪飾り」「玉飾り」という意味がある。
枝に実った赤いコーヒーチェリーが
女性のかんざしに似ていたことから名付けたらしい。

当て字ひとつにもセンスを感じる。
翻訳とは、クリエイティブな作業なのだ。

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仲澤南 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 清水俊二

日本を代表する翻訳家の一人、清水俊二。
彼はその生涯の間に、
2000本近い映画の字幕翻訳を行った。

中でも、1955年の映画「旅情」に、
彼の仕事が見えるワンシーンがある。

恋人がほしいなら、高望みせずに自分と付き合えばいい、と
ある男性がヒロインを口説くのだ。

「ステーキが食べたくても、
 飢えているなら目の前の“ラビオリ”を食べろ」

このシーンには、こんな字幕がついた。

「ステーキが食べたくても、
 飢えているなら目の前の“スパゲティ”を食べろ」

映画が公開された1955年当時、
日本でラビオリを知る人はほんの僅かだ。
直訳のままでは、字幕がストーリーの邪魔をする。

原作の世界を壊さずに、文化や時代の溝を埋める、
字幕翻訳ならではの技術が生んだ台詞だった。

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