臨終の話 チャールズ・チャップリン
チャールズ・チャップリン。
世の中を鋭く風刺しつつも
決してユーモアを忘れない彼は、
喜劇王と称された。
そんなチャップリンは1977年、クリスマスの朝に息を引きとった。
老衰による静かな死だった。
彼の訃報が日本に届いた、25日の夕刻。
東京有楽町のニュー東宝シネマ1では、
チャップリンの伝記映画「放浪紳士チャーリー」が上映中だった。
ラストシーンの途中、その死が場内マイクで伝えられると、
客席は一瞬静まり、やがて彼を称える万雷の拍手が起こった。
チャップリンらしい、見事な幕引きだった。
2017 年 9 月 16 日 のアーカイブ
伊藤健一郎 17年9月16日放送
伊藤健一郎 17年9月16日放送
臨終の話 トーマス・エジソン
発明王、トーマス・エジソン。
彼は、1929年10月。白熱電灯発明50周年の祝典で、
フーバー大統領をはじめとする、多くの来賓から賛辞をおくられた。
けれど、エジソンは、彼らと満足に会話をすることができず、
短い感謝を述べると崩れるように椅子にすわった。
胃がんと糖尿病、さらに腎炎と高血圧を患い、ギリギリの状態だったのだ。
1931年10月18日、いよいよそのときが近づくと、
エジソンは昏睡状態から目を覚まし、妻のミーナにこう言った。
「いいお天気だね」まだ夜があけない暗い時間だった。
ミーナがエジソンに「苦しいですか」とたずねると、
彼は一言「いや、待っているだけだ」とこたえ、
ほどなくして、息を引きとった。
伊藤健一郎 17年9月16日放送
臨終の話 フランツ・カフカ
フランツ・カフカは、
労働局災害保険局で働きながら、小説を書いたという。
まじめで、自分にきびしいカフカは、
過労で体を壊すほど仕事にのめりこんだ。
彼は、34歳で、結核を発症する。
そして、壮絶な闘病生活をおくる中、41歳で生涯を終えた。
カフカの死後に発見された友人への手紙には、こう記されている。
「最後の願いだ。僕の遺稿のぜんぶ、日記、原稿、手紙のたぐいは、
ひとつ残らず、なかみを読まずに焼き捨ててくれたまえ」
カフカの死顔は、彼の精神があらわれたように、
きつく、きびしく、近寄りがたかったという。
伊藤健一郎 17年9月16日放送
臨終の話 魯迅
中国近代文学の父、魯迅。
彼はあるとき、自叙伝を書くことをすすめられると、こう答えた。
私の生涯には、とりたてるようなことは何もない。
私の伝記程度なら、中国では四億も集まり、図書館を満たすことだろう。
伝記として残ることを拒んだ魯迅だが、遺書をしたためたことはある。
そこには、こう記されている。
キリスト教徒は、臨終ですべてを許すそうだが、私には敵が多い。
恨むなら恨め。こちらも誰ひとり許しはせぬ。
一刻者だった魯迅の葬儀には、六千人の学生や労働者が参集したという。
伊藤健一郎 17年9月16日放送
臨終の話 アルフレッド・ノーベル
ダイナマイトを発明した化学者、アルフレッド・ノーベル。
彼は晩年、持病のリューマチが高じて、心臓に障害を起こした。
これは、療養中のノーベルが友人にあてた手紙の一部。
皮肉なことに、医師は私の内服薬として、
ニトログリセリンを処方しています。
ニトログリセリンとは、
ノーベルが生み出したダイナマイトの原料である。
一方で、血管を広げる作用もあり、
現代でも狭心症や心筋梗塞の妙薬とされている。
ノーベルは、ニトログリセリンで治療を重ねるも回復せずに、
はげしい心臓発作を起こして死んだ。