逆境を生きる クロード・モネ
印象派を代表する画家、クロード・モネは、
晩年、目の病に悩まされた。
83歳のとき、白内障で失明の危機に陥ったが、
3度の手術で視力を取り戻した。
一般的に、白内障の手術をすると
青系の光が網膜に多く達するように感じて
青白い世界に見えるそうだ。
たしかに、このころの睡蓮は青みが増している。
さらに晩年になると、
輪郭がぼやけ、全体的に黄色がかった色彩に変わった。
光の魔術師と呼ばれる巨匠は、
自らの光に対しても、真摯に立ち向かった。
逆境を生きる クロード・モネ
印象派を代表する画家、クロード・モネは、
晩年、目の病に悩まされた。
83歳のとき、白内障で失明の危機に陥ったが、
3度の手術で視力を取り戻した。
一般的に、白内障の手術をすると
青系の光が網膜に多く達するように感じて
青白い世界に見えるそうだ。
たしかに、このころの睡蓮は青みが増している。
さらに晩年になると、
輪郭がぼやけ、全体的に黄色がかった色彩に変わった。
光の魔術師と呼ばれる巨匠は、
自らの光に対しても、真摯に立ち向かった。
逆境を生きる ポール・セザンヌ
近代絵画の父、ポール・セザンヌを
20年近くも苦しめたのは、糖尿病だった。
51歳のとき、その兆候が現れたが、
セザンヌは、アトリエのある山小屋まで毎日歩き、
質素な食事を心がけた。
この運動療法と食事療法が、
症状の悪化を食い止めたと言われている。
しかし晩年は、糖尿病の影響で
神経痛や目の病気も患っていた。
それでもセザンヌは、こんな言葉を残している。
「私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ。」
糖尿病の治療に役立つインスリンの抽出に成功したのは、
彼が亡くなって15年後のことになる。
逆境を生きる エドガー・ドガ
印象派の巨匠、エドガー・ドガの作品は、
室内を描いたものが多い。
目の病気に悩まされていたのも、その理由に挙げられる。
普仏戦争に従軍した際、
寒さに目をやられ、まぶしがり症を患った。
36歳のとき目の焦点が合わなくなり、
40歳で右目の視力を失う。
晩年はほとんど何も見えなかったそうだ。
しかし彼は、薄れゆく視界の中で、
恐怖に苛まれながら、何かを掴んだのだろう。
のちに、盟友であるルノワールはこんな言葉を残している。
「ドガが真のドガとなったのは、50歳以降だ。」
芸術は、心でつくられる。
逆境を生きる ピエール・ルノワール
フランス印象派の画家、ピエール・ルノワールは
リウマチと闘っていた。
47歳のとき、この原因不明の病は、
両手両足の痛みを伴い、彼の体に押し入った。
関節炎と診断され、リハビリで回復した数年後、
サイクリング中の事故で右腕を骨折。
関節リウマチの病状を加速させることになった。
手足の硬直や、顔面神経痛。
70歳を過ぎると車椅子に座ったまま作品に向かった。
場合によっては、筆を手に縛り付けることもあったという。
だが、たとえ健康を犠牲にしてでも創作意欲が尽きることはなかった。
それはルノワールの言葉が表している。
「痛みはいつか消えるが、美は永遠に残るじゃないか。」
芸術家としての、生き様があった。
逆境を生きる フランシスコ・デ・ゴヤ
スペインの宮廷画家、フランシスコ・デ・ゴヤ。
46歳のとき、強烈なめまい、腹痛、発熱、衰弱、難聴など
悪夢のような症状に見舞われた。
メニエール病や原田病、脳の感染症などの病気が疑われたが、
原因もはっきりしないまま、聴力を失った。
しかし、ゴヤの代表作の多くは、
それ以降に描かれている。
晩年には、目も見えなくなり、
書くことも読むこともできなくなっていたそうだ。
彼は言う。
「絵画とは、全て犠牲と決断である。」
その覚悟は、心に響く。
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